2016年11月29日

まるで福袋のような 配偶者への誕生日プレゼント

むすこの誕生日になにをおくるかを、
毎年ブログにかいてきたけど、
今回の対象はむすこではなく配偶者。
むすこが大学生になり、家からでたためで、
アパートでくらすむすこへプレゼントをおくるほど
わたしは親切な親ではない。

で、ことしの問題は、
配偶者になにをプレゼントするか、となった。
おたがいの誕生日に、ささやかなプレゼントをおくるのが、
アリバイ工作のように ほそぼそとつづいている。
わたしの誕生日には、パジャマとTシャツをくれるが定番で、
配偶者の誕生日は、日がせまってから
くるしまぎれのおもいつきで なんとかやりすごしている。
ずっとまえは花束とワインに固定されていた。
まだ保育園にかよっていたむすこが手わたすと、
それなりにプレゼントらしくなる。
そのあとになると、音楽のCDでごまかす手をおぼえる。
80年代のなつかしの曲ベスト、みたいな
おおざっぱなCDがおおい。
ちなみに、きょねんはビートルズの
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド』と、
ハーブのオイルバーナーをプレゼントした。
これは、コンセントにつけると、
ハーブオイルがあたためられて
いいかおりをたのしめるというもの。

ことしのプレゼントもにたような構成になった。
ハーブショップでかった2種類のせっけんと
ハーブティーのつめあわせ。
それだけではさみしい気がして、
こんや サザン・オールスターズの『稲村ジェーン』をかってきた。
福袋じゃないんだから、
もっとスマートにきめればいいとおもいつつ、
自信がないものだから 量(あるいは数)でごまかしてしまいがちだ。
いったいなにをおくられたら 彼女はよろこんでくれるだろう。
ながねんいっしょにくらしていながら、
配偶者にだれかすきなアーティストがいたのかさえ はっきりしない。
車を運転するときは、音楽をきくというよりも、
ボリュームをしぼり、BGMとして
これまでにわたしがおくったCDをきいているようだ。
稲村ジェーン.jpg
『稲村ジェーン』にしたのはジャケットがたのしそうだったから。
桑田佳祐がすきと、いっていたような いないような、
かすかな記憶が頭をかすめた。
いじわるなみかたをすれば、
せっけんは、お風呂でわたしもつかえるだろうし、
CDだってあとからかりれば わたしのiTunesにとりこめる。
そもそも配偶者は、鼻がまったくきかないので、
そういうひとにむけてかおりをたのしむプレゼントは
いったいなんの意味があるだろう。
わたしにしてみたら、ハーブショップでプレゼントをさがすのは、
いやがらせをしているわけでは もちろんなく、
そのつど彼女の鼻がきかないのをわすれているからだ(ほんとうに)。
鼻がきかないというと、残念な世界におもえるけど、
かんがえてみると へんなにおいをかがなくていいわけだから、
ハンディキャップとはきめつけられない。
たとえば家族のだれかがおならをしても、
音さえたてなければ配偶者にはばれないわけで、
いっしょにくらすわたしの 正直な感想としては、
たすかることのほうがおおい。

まるで福袋のようなしまらないプレゼントとはいえ、
ことしもなんとかきりぬけられそうだ。
内容はともかく、こうやって
相手を気にかけるのが大切なわけで、
しばらくは地雷をふまずにくらせるのではないか、たぶん。

posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

サッポロ一番みそラーメンをめぐる DV的ふかいかなしみ

わたしの敬愛するいしいひさいち氏が、
なにかの機会に
「ラーメンは、やっぱりサッポロ一番みそラーメンでしょう」
ときっぱり(たしか)発言していたのをおもいだし、
スーパーのやすうりで 5袋いり298円をかった。
いざというときのストックとして
ダンボールにいれておく。
きのうのひるごはんは、めぼしいのこりものがなかったため、
そのみそラーメンをとりだして おなかをみたした。
わたしの大切なみそラーメンだけど、
家族のために のこり4袋は食器棚にいれておいた。

ところが夜その棚をみると、みそラーメンがない。
配偶者によって、電話のちかくという
ラーメンとしたらありえな場所にうつされていた。
ここはわたしのスペースなのだから、
あんたがかってにみそラーメンなんかおくんじゃないという、
配偶者からのつめたいメッセージだ。
わたしのみそラーメンを、なんだとおもっているのか。
まったく友好的でない態度にわたしはショックをうけ、
4袋のみそラーメンを、災害用ストックのダンボールにもどした。
なんという屈辱感。

彼女は自分がきめた場所に、ラ王や正麺など、
いまふうのおいしいインスタントラーメンをおきたいのだ。
サッポロ一番みそラーメンは、貧乏な学生や、
いしいひ氏のこのみからはただしいラーメンでも、
おいしさだけをもとめる余裕のない選択では はじかれやすい。
わたしはしかし、ほんもののラーメンに似せた
おいしいラーメンに、なんとなく反発をかんじてしまう。
わたしがたべたいのはインスタントラーメンであって、
ラーメンにちかづこうとするインスタントラーメンではない。

みそラーメンにこだわるのはただのノスタルジーで、
わたしがそれだけふるい人間なのだろう。
小学生のころ、学校からかえると毎日のようにおやつとして
日清出前一丁をつくってたべていたのが
わたしとインスタントラーメンとの関係を決定づけた。
生ラーメンもおいしいけれど、
これは別の種類のラーメンであり、
インスタントラーメンといえばチープな袋めんにとどめをさす。
みそラーメンがはたしてきた歴史的なやくわりをおもえば、
インスタントラーメンおき場から みそラーメンをはじくなんて
あまりにもひどい。

けさの朝日新聞で、ドメスティックバイオレンスをとりあげていた。
DV防止法が成立してから15年たつという。
被害の1割は男性なのだそうで、
記事ではめずらしく男性のケースに焦点をあてている。
ということと、みそラーメンのあつかいには
もちろんなんの関係もないけれど、
なんとなく ふかい共感をおぼえながら記事をよんだ。

posted by カルピス at 13:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月15日

大衆は身ぢかにいた

まえの職場でおたよりをつくっていたとき、
まじめな記事ばかりではおもしろくないので、
ある20代の女性職員には 介護とか仕事からまったくはなれた
私的な生活についてかいてもらっていた。
とくべつするどい考察というのではなく、
かといってセキララすぎる日常でもない。
どちらかというと、きょうもげんきだビールがうまい、みたいなかるめのやつ。
「介護史上類をみないお気楽連載」がサブタイトルであり、コンセプトだ。

担当者としてわたしは家に原稿をもちかえり、
誤字脱字などをチェックする。
なにげなく、というか
こんな連載をのせるなんてクールでしょー、みたいに
配偶者にみせると、
「このひとはよくわかっている」と
ちからづよく断言されてしまった。

どうしてもかたくなりがちなおたよりを、
すこしでもやわらかく、という存在の記事だから、
りっぱなことはなにもかかれていない。
いや、そうじゃなくて
こんなお気楽な記事もいいでしょ?といっても
ものごとがよくわかっている いい記事としての評価を
配偶者はゆずらない。
予想外の感想だ。そんなよみ方もあるのか。

ためしにほかの職員の記事もよんでもらった。
おたよりによくある、活動のようすとか、
研修報告などの わりとまじめな記事。
それらについて配偶者は、「このひとは、わかっていない」という。
配偶者は、あまり本をよむほうではなく、
どちらかといえばベストセラーや話題になった本に反応するタイプだ。
『スティーブ・ジョブズ』や『東京タワー』、最近では『鹿の王』など。
だからといって彼女の意見をかろんじるのではない。
「このひとはよくわかっている」は、
わたしにはおもいもしない指摘であり、新鮮だった。
彼女がお気楽記事をたかく評価したのは、
それをかいた職員の資質を
なにかしらかぎつけたのかもしれない。
わたしたちは、配偶者みたいなひとにむけて
おたよりをつくっているのであり、
想定すべき読者が、こんな身ぢかにいたのだ。

かいた記事がどんなふうにうけとめられるかは、
ほんとうに予想もつかない。
自分のかんがえが、そのままつたわるなんて
かんたんにおもわないほうがいい。
お気楽記事をかいた職員に、
配偶者の感想をつたえると、まんざらでもないようだった。
いっぽう的に「お気楽」だときめつけて、
おたよりのやわらかさを自慢していた
自分のあさはかさをおもった。

posted by カルピス at 14:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月02日

配偶者への誕生日プレゼント

きのうは配偶者の誕生日。
もちろんプレゼントは用意してあった。
1980年代のベスト(いわゆる歌謡曲)をあつめたCDと、
それだけではなんだかさみしい気がして、
なにか本でもと、『3時のアッコちゃん』(柚木麻子)をえらぶ。
彼女はそんなに本をよむほうではないけれど、
栄養士の仕事をしており、たべものをあつかうという意味では
まったくまとはずれとはいえないプレゼントだろう。
きょねんもたしかCDできりぬけたような気がする。
手わたすと「ありがとう」といってくれた。
いってくれたけど、それだけで、
はなしがひろがらないし、ふかまらない。
おたがいに プレゼントのやりとりが ふなれなままで、
いつまでたってもスマートにいかない。

なにかとてもすきなものがあるわけではなく、
配偶者へのプレゼントえらびにはいつもこまってしまう。
まあ、趣味のものばかりおくるのもどうかとおもうので、
なんとか相手がよろこびそうなものを いろいろかんがえるのが
プレゼントするときの基本となるこころがまえであり、
日ごろから相手のようすを気にかけていれば、
それらしいものが おのずと頭にうかんでくるはずなのだろう。

プレゼントというとおもいだすのが
『大草原の小さな家』シリーズにみる
クリスマスの朝がどんなにたのしみだったか、という場面だ
(ブログにも、もうなんどもかいた)。
インガルス一家はお金もちではないので、
お店でかった品物をプレゼントにするのではなく、
(よくおぼえていないけど)子どもだったら絵をかくとか、
お母さんだったらふるいセーターをほどいてつくった手袋とかを用意してのプレゼント交換で、
おくったほうも、おくられたほうもこころをあたたかくする。
お金がなければ知恵をしぼるしかないのだ。
もちろん大切なのは、相手のことをおもう気もちであり、
それがあればプレゼントはステキにみえるる。
はずれのプレゼントでは、気もちがないことが
すぐにみやぶられてしまうからこわい。

むすこがかよっていた保育園は、
保護者が手づくりしたプレゼントをクリスマス会のときに
サンタさんが子どもたちにわたす、というとりきめがあった。
かったものではだめで、かならず手づくりしなければならない。
なにがわたされるか、子どもたちには秘密にしてあり、
本番のクリスマス会でサンタさんにわたされるときは、
期待と心配で緊張の一瞬だ。
1枚だけピントはずれの写真がのこっており、
そこにうつっているむすこの、胸をときめかせた表情がとてもいい。
目がむこうの世界へとんでいる。あんな顔はおとなにはまずできない。
ぼやけているけど、保育園時代ではいちばんすきな写真だ。

保育園もうえのクラスにすすむころは プレゼントのネタがつきてくる。
なににしたらいいか、木工が得意な職場の上司に相談すると、
丸太をつかったトナカイを提案してくれた。
直径30センチ、ながさ50センチくらいの丸太にドリルで穴をあけ、
足や首になる枝をつっこむと、
わりとかんたんに、存在感のあるトナカイができあがる。
その年におくられたなかで、いちばんおおきなプレゼントとなり、
ほかの子たちがうらやましがるし、またがってあそぶこともできたので、
むすこはすごくよろこんでくれた。
おどろきがあり、実用にもなる。
プレゼントは、かくあるべきである、というお手本のような作品だった。
うまくはまったときのプレゼントは、たしかにおくるほうにとっても
たのしいものだ。

わたしの誕生日はどうかというと、
配偶者はきまってTシャツと半袖シャツを1枚ずつプレゼントしてくれる。
実用的ではあるけれど、サプライズはない。
おたがい歳相応の、かれたプレゼントにおちついてきた。

posted by カルピス at 19:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』ちえさんがはたしたやくわり

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』
(作:K.Kajunsky / 漫画:ichida / PHP研究所)

「ヤフー知恵袋」にのった相談が話題になり、
マンガ化されたもの、らしい。
わたしは「ヤフー知恵袋」がだいきらいで、
そんなこと質問せずに 自分でかんがえろ、といらついてしまう。
しかしこの相談は、たしかにひとりでかかえこむには難問すぎる。
わたしも「必ず死んだふり」をする奥さんについてかんがえさせられた。
かんがえたのは、もちろん配偶者のことだ。

「ちえさん」が、死んだふりをする奥さんの名前だ。
彼女がなぜそんなことをするのか、夫にもよくわからない。
相手にしないでいると、首になわをつけたり、
口から血をたらしたりと 演出がエスカレートしていく。
わからなくても 夫はいらだったり といつめたりはせず、
基本はスルーしながらおだやかにつきそっている。

わたしの配偶者は、死んだふりはしないまでも、
この「よくわからなさ」がとてもよくにているとおもった。
ことばにだして説明してくれない。
なんかよそよそしいし、距離感がとりにくい。
不機嫌なわけではない。
用がなければなにもはなさないし、
用があっても よほどでないと自分からは口をひらかない。
無口なのかもしれないけど、職場ではふつうにやっているようだ。

わたしと家のなかでであわないように、
ビミョーに時間をずらしてうごく。
わたしがひっこんだところに彼女がはいってきたり、
その逆だったり。
なんだかすこしずつみごとにずれるなー、と感心していたら、
彼女がタイミングをコントロールしているみたいなのだ。
わたしがきらいだからではなく、これが彼女のやり方なのだと
ずいぶんしてから気づいた。
それで夫婦といえるのか、といわれそうだけど、
わたしはこれでいいとおもうようになった。
あまり一般的とはいえないにしても、これもまたひとつの形であり、
そういうひともいるのだ。
ちえさんのはなしをよんでいると、
配偶者もまた彼女なりのやり方で、
おだやかな日常をたのしんでいるとおもえてきた。

どうでもいいようなことをはなしかけてきてこまる、とか
いつも長電話で、とかいう男性側の苦情をよくきくけど、
わたしと配偶者との関係にはあてはまらない。
わたしたちが特殊なのかとこれまでおもってたけど、
このマンガをみると、あんがいこういう女性はおおいのかもしれない。

波風があってあたりまえだろう、それが生活というものだ、
というのが一般的にはいわれている。
それもまたひとつの形にすぎないわけで、
わが家が絵にかいたような家族でないとしても、
ひとつの家族であることはまちがいない。
それでじゅうぶんだ。

ちえさんは、にぎやかなおしゃべりはきっと苦手だろう。
ほかのひとがもりあがっていても、
それをとなりでしっかりきいているだけで、
自分から輪にはいったりしない。
それがいいというわけではないけれど、
そういうひともいることが
このマンガによってひろくうけいれられたのではないか。

電車にのったとき、老婦人に席をゆずったちえさんは、
てれくささから つつつーと、となりの車両にうつってしまう。
「いいことをしましたね」と家にもどってから夫がほめると
ちえさんはまだはずかしがっていて、むこうへにげてしまった。
そして、つぎの日には、ウルトラマンのお面をかぶっている。
それならはずかしくないようで、
夫がなにをはなしかけても「ゼアッ」と
ウルトラマン語でかえすだけだから 会話にならない。
会話にしたくないことを、ちえさんはお面をかぶってつたえている。

ひとはつい、自分を基準にものごとをかんがえがちで、
それからはずれると「かわっている」「ふつうじゃない」と
拒否反応をしめしがちだ。
一般的でないちえさんは、まちがっているのではなく、
それが彼女のスタイルというだけのことだ。
「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」という
ありえない相談が たくさんのひとにうけいれられたのは、
ちえさん的な人間への共感からだろう。
「必ず死んだふり」をする奥さんがいるくらいだから、
これからの相談ごとは、たしょうのことではおどろけない。
なんでもありだし、それでいいのだ。
ちえさんがはたしたやくわりはおおきい。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする