2020年07月01日

配偶者が白内障の手術をうける

配偶者が白内障の手術をうける。
飛蚊症が気になって眼科へいくと、白内障だといわれたそうだ。
彼女はいま60歳で、白内障には はやいようにおもえる。
お医者さんがいうには、40歳以上のひとの9割は、
気づいているか、いないかのちがいだけで、
すでに白内障にかかっているらしい。
いずれ手術をしなければならないのなら、
はやめにきれいにみえたほうがいいですよ、
みたいなころし文句をお医者さんにいわれ、
配偶者は手術をきめた。

手術はきのうだった。
白内障の手術なんて、かんたんなものだろうと、
たかをくくっていたのに、お医者さん・スタッフ全員で
10人ぐらいのチームによって とりおこなわれている。
もっとも、手術をうけたのは、配偶者だけでなく、
5人がつぎつぎに手術室によばれている。
手術じたいは20分で、ぜんぜんいたくなかったそうだ。

白内障の手術は、片方ずつすすめるので、
きのうの夜は、左目に眼帯をして家にもどってきた。
みためには、けっこうたいへんそうだ。
本人も、もっとかるい術後だとおもっていたのに、
こんなにおおごとなら、もう片方の目はどうしようかな、
とまよっていた。それほどたいへんだったのだ。

でも、きょうまた病院へゆき、眼帯をとられたら、
これまでとまったくちがう世界がひろがっていたという。
白内障の手術のあと、劇的によくみえるようになった、
というはなしをよんだことがあるけど、
彼女にも、その圧倒的な変化がおとずれたのだ。
自分がその体験をしてないと、どんな世界がひらけたのか
まったく想像できない。
とにかく、配偶者はものすごく感激していた。
子どもはこんな世界をみているのか、なんていう。
それまでは、みえるものに、白いモヤがかかっていたそうだ。
それがふつうの状態だから、みえにくいとおもわない。
手術をして、どれだけみえてなかったのかに 気づいたという。
シワや、皮膚のおとろえがよくみえてこまる、ともいっている。
ブラウン管テレビから、液晶テレビにかえた、
ひとむかしまえの消費者、みたいなものだろうか。

気づいてないだけで、わたしも白内障がすすんでいる口にちがいない。
配偶者をみならって、はやめに手術をうけたほうがいいだろうか。
ただ、どの患者さんも、配偶者のように
うまくみえるようになるとはかぎらないらしい。
ほとんどの場合うまくいくけど、
ときにはそうならないこともある。リスクはつねにある。
そんなはなしをきくと、とくにこまっていないいま、
わざわざリスクをおかさなくてもいいようにおもう。
わたしはまちがいないく飛蚊症で、
あちこちに黒い糸くずがみえる。
蚊だとおもって、たたこうとすることもよくある。
年をとってから冬の夕方は、ものすごくくらくかんじる。
みえにくいので、運転をしているとあぶなくてしょうがない。
自覚症状としては、そのふたつが目についてのわたしの老化だ。
老化だから、ま、いいか、とおもっている。
配偶者はあかるい顔で、よくみえるようになった目のことをはなす。
めでたし、めでたし。
無事に手術がうまくいき、彼女の配偶者であるわたしもよろこんだ。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月01日

配偶者への誕生日プレゼントとしてブルートゥース スピーカーをおくる

配偶者への誕生日プレゼントとして
ブルートゥース スピーカーをおくる。
自分用に2000円のブルートゥース スピーカーをかったら、
すごくちいさいのに、いい音がでるのでおどろいた。
もっといい商品にしたら、もっと満足できる音になりそうだ。
というわけで、配偶者へは8000円するソニーの製品をえらんだ。
とどいてみると、わたしのよりさらにちいさい。マグカップみたいだ。
もっとおおきくてもいいから、いい音のほうがありがたいのに、
とおもったけど、いまはおおきさと音はあまり比例しないのだろうか。
心配なのは、配偶者はスマホで音楽をきかないよすで、
ブルートゥース スピーカーをおくられても
たいしてありがたくないかもしれない。
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じっさいに、彼女へスピーカーをみせると、
「はっ?」という うすい反応がかえってきた。
スマホに音楽アプリをいれてるわけではないし、
ラジオもきかないのだから、正直なところ、
つかい道のないプレゼントだ。
彼女がもっているCDを、わたしがパソコンにとりこんで、
そのデーターを、またスマホかタブレットにいれたらいいけど、
すごくめんどくさいし、このネットの時代に
いまさらCDから音楽データーをとるのはまちがっている気がする。
というわけで、今の段階では、
配偶者がブルートゥース スピーカーをつかう場面は、
スマホでユーチューブをみたりきいたりするときぐらいとなる。
「ユーチューブをみる?」ときくと「みない」そうで、
だったらぜんぜんつかい道がない。
らじるらじるをインストールして、
彼女が部屋においているCDラジオと音をくらべようとしたら、
なぜかスマホにらじるらじるをインストールできなかった。
月にいくらかのお金をはらって、
音楽配信サービスをうければいいけど、
そこまでして音楽をきく気にはなれないそうだ。
けっきょく、彼女にはなんのよろこびをもたらさない
まとはずれなプレゼントなのがあきらかとなった。
わたしはいったいなにをおもって
ブルートゥース スピーカーなんかを
彼女へのプレゼントにえらんだのだろう。
いまはつかい道がなくても、そのうちよさがわかるから、なんて
もごもごと残念ないいわけをして彼女の部屋をでる。

posted by カルピス at 22:25 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月09日

配偶者の実家へ草かりに

配偶者の実家へ草かりに。
義理の父が、「サービス付き高齢者向け住宅」でくらすようになり、
配偶者が家の管理すべてをになっている。
家まわりだけでなく、畑やお墓もあるので、
草がのびる時期には毎週のように草かりにでかけている。
わたしは、年にいちど、お盆まえに草かりを手つだって
アリバイづくりというか、お茶をにごすというか、
すこしはかかわった実績をのこそうとしている。

いまは女性むけに電動式の草かり機があり、
配偶者をおもにそれをつかって家まわりをきれいにたもっている。
わたしはつかったことがないけど、
刃はチップソーで、ガソリン式の草かり機といっしょだ。
やわらかい草なら、電動式でもじゅうぶん役にたつ。

わたしは、ガソリン式の草かり機をつかう。
刃がふるかったので、あたらしものにとりかえた。
新品の刃は、バリカンで髪の毛をかっていくみたいに草がよくきれる。
夏のあつい日に、草をかるといえば、
村上春樹さんの「午後の最後の芝生」にとどめをさす。
わたしはこの作品を頭におもいうかべながら草をかった。
「僕」は、ざっと機械で芝をかってから、
あとはハサミでこまかなしあげにはいる。
家まわりの草かりは、まさかハサミでしあげをするほど
ていねいな仕事はしない。
草刈機だけで、できるだけ効率よく草をとりのぞくだけだ。
そういえば、「午後の最後の芝生」は、
めちゃくちゃあつい夏のいちにちという設定だけど、
よくよむと、7月14日のできごとなのがわかる。
梅雨がまだあけない7月14日なのに、
太陽はじりじりと肌を焼いた。僕の背中の皮はきれいに三回むけ、もう真黒になっていた。

7月14日までに、皮が3回むけるって、ほんとうなのか。
なかなか油断できない小説だ。

午前と午後にかけ、3時間ほどで草かりをおえる。
ふだんひとがすまない家でも、
こうやって草かりだけはつづけないと、
草はすぐにのびて家や畑をのみこんでいく。
田舎に家があるというと、
牧歌的で ゆったりしたくらしをイメージするけど、
草かりだけをとっても やらなければならない仕事がたっぷりある。
高齢化がすすみ、わかいひとがすくない地方では、
家をおなじ状態にたもつだけでも そうかんたんではない。
配偶者は、このさきどうやって、家をたもっていくつもりだろう。
そしてわたしは、いつまで草かりを手つだっていくだろう。
いまはまだからだがうごいても、
われわれはじきに老夫婦となり、草かりができなくなる。
とりあえずきょうの草かりはおえたけど、
ちかい将来をすこしかんがえるだけでも、
わりと気のおもくなる夏のいちにちだった。

posted by カルピス at 18:18 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月05日

花火大会にはチェアリングがぴったりだった

配偶者とふたりで花火大会へ。
配偶者とのわずかな接点が、この花火大会なので、
快適な見物のために、ことしはレジャー用のイスも用意した。
チェアリングの効果をたしかめる、はじめての機会でもある。

会場へいってみると、自分たちがイス持参のためか、
ほかのひとたちのイスに目がいく。
いつもより、イスがおおいような気がする。
花火がはじまる10分まえに会場へつく。
いい場所はすでにびっしりひとがすわっており、
あとからきたわたしたちがイスをそなえると、
そんなところにイスをおいたらじゃまでしょう、と
注意されてしまった。
すごすごと場所をうつすと、
そこでもまた じゃまだといわれる。
傍若無人で社会のルールをまもらない、
なさけない中年になってしまい、はずかしくなる。
イスをつかうときは、うしろにいるひとたちへの配慮がかかせない。

なんとかいい場所をみつけてイスをそなえつける。
もってきたイスは、コールマンのもの。
1.4キロとかるく、値段は1500円。
やすいものは500円からあったけど、すわりごこちがよくない。
いくつかのイスにこしかけてみて、コールマンのにきめた。
もっとゴージャスなイスは、きっとそれなりに快適なのだろう。
でも、場所をとるし、かさばるし、おもい。
車でいくキャンブなら そんなイスもありかもしれないけど、
場所のかぎられた花火大会には、このイスでじゅうぶんだ。
じっさいにすわってみると、
コールマン製のイスが いかにすぐれものかわかる。
おかげで1時間の花火を快適に見物でき、すっかり気にいった。
いつもはスリーピングマットをひろげ、
そのうえにすわるので、どうしてもきゅうくつな姿勢となり、
腰をもぞもぞうごかしながらの見物となる。
イスにたよりたくなったのは、
われわれが それだけ年をとったのかもしれない。
こんなふうに、なにかのたすけをかりて、
老化していくからだをいたわりながら、
年中行事をたのしみつづけたい。
ことしの花火大会は、コールマンのイスが大正解だった。
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イスにすわり、うちわをつかいながら缶チューハイをのむ。
2本のみおわるころには、よいこころもちとなり、
花火もちょうどクライマックスをむかえた。
ことしは1時間で7000発と、きょねんの1万発よりすくなかったけど、
いわれなければ わたしは気づかなかった。
ラスト10分を、じゅうぶんにもりあげてくれたので、
みたされた気もちとなる。
配偶者も、あたらしいこころみとしてのイスに満足していた。

花火だけに1500円のイスはもったいない。
イスの機動性をいかし、これからは
本格的なチェアリングとしてもつかってみたい。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

もうすぐ誕生日。 バースデーチャリティーをどこにしようか

ラジオ番組で、バースデーチャリティーについてはなしていた。
誕生日を、ただ自分のためにおいわいするのではなく、
おいわいしたつもりになって、
なにがしかのお金をだれかのためにやくだててもらう。
寄付文化のない日本では、寄付が根づきにくいけど、
誕生日はだれにでもくるのだから、1年にいちど、
だれでもチャリティーができる。すばらしいアイデアだ。
もうすぐわたしの誕生日なので、
わたしもバースデーチャリティーをしようかという気になった。
そんなときにフェイスブックをひらくと、
吉田淳さんもうすぐ誕生日です。
関心のある慈善活動をサポートする募金キャンペーンを作成しよう。

とのっていた。
自分でうごきだすまえに、
フェイスブックにうながされるとは。
むかしのCMじゃないけど、
いまやろうとおもったのに、さきどりされると、
なんだか気もちがなえてしまう。
でもまあ、なんらかの形で寄付してみよう。

歯みがきをしてるとき、カガミをみると、
ほほに蚊がとまっている。
たたいても、蚊をしとめられない。
老眼のため、ぼんやりとしかみえなかったので、
シミを蚊とかんちがいしていた。
老化としてのシミと老眼。
両方をいやおうなく つきつけられて、がっくりくる。
ほかにもなにかと老化をかんじる機会がふえた。
まだ60にもならないのに、老化って、こんなにすごいとは。
糸井重里さんが、65から、老化はどっとくる、
といっていたけど、そのまえからすでに
しっかり味わっている。
まだまだ、こんなものではないといわれると、
これからやってくるほんものの老化に、
そうだろうなーとおもいつつ、まったく見当がつかない。
老化はだれにとってもはじめての体験なので、
ひとの老化が参考にならない。
自分にやってくるさまざまな症状に、
これが老化なのだと、神妙につきあっていくしかない。

配偶者が誕生日プレゼントとしてシャツとTシャツをくれた。
まいとしかならずシャツとTシャツを1枚ずつくれる。
愛というより儀式としてのプレゼントで、
夫婦であることを再確認できるたいせつな行事だ。
ことしもなんとかもらえてホッとする。
配偶者としては、ファッションにうとい夫が
ろくでもないシャツをきてうんざりするよりも、
自分がえらんだものを身につけるほうが、
まだすくわれるのかもしれない。
もうすぐ誕生日。
もう年はとりたくない、なんておもわない。
1年をなんとかぶじにおえられて、ありがたくおもう。

posted by カルピス at 22:44 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする