2018年02月18日

『未来少年コナン』の影響で「おじい」「おとう」とよぶようになったむすこ

『鳩の撃退法』(佐藤正午)のはじまりは印象にのこる。
幸地家の幼い娘は父親のことをヒデヨシと呼んでいた。パパとかお父さんとかのかわりにヒデヨシ、漢字に書けば秀吉という父親の名前を呼び捨てにしたのである。

わたしのむすこは、わたしのことを「おとう」とよぶ。
母親は「おかあ」で、おじいさんは「おじい」。
保育園でほかの子どもたちが 親をどうよんでいるのか
そんなに注意してきいていたわけではないけど、
「おとう」「おかあ」はめずらしいのではないか。
「お父さん・お母さん」、あるいは
「パパ・ママ」がおおかったようにおもう。

これは、わたしがむすこに『未来少年コナン』をみせた影響だ。
コナンはおじいさんのことを「おじい」とよぶ。
コナンは ものごころがついたとき すでに両親がいなかったので、
「おとう」「おかあ」とくちにする場面はなかったけど、
おじいさんが「おじい」なら、そのながれで
お父さんは「おとう」、お母さんは「おかあ」になるだろう。
だれかがおしえたわけではないけど、おさなかったむすこは
コナンにならって わたしを「おとう」とよぶようになった。

親のよびかたは、いちどはじめると
あとからかえにくいもので、
二十歳になったむすこは いまでも「おとう」という。
「おとう」は わるくないよび方だ。
保育園児から大学生まで、はばひろくつかえるし、
第三者がいても、「おとう」と口にするのは はずかしくない。
保育園のときに「パパ」とかいってた子は、
おおきくなってから むりに「おやじ」なんて
なれないいいかたに かえなければならず、
苦労するのではないか。

親をどうよんだかが、その子の人生に、
どんな影響をあたえるのか しりたいところだ。
うまくいってる家族には、
よび方に 一定の法則があるのかもしれない。

ものすごく むりやりなはなしだけど、
ひごろの観察により、病院の名前は
「しみず」がいちばん ふさわしいという結論にいたった。
もちろん漢字で清水とかいてもいい。
小児科でも脳外科でも、動物病院でも産婦人科でも、
あらゆる病院に「しみず」はすんなりおさまる。
これが「よしだ」ではぜんぜんだめで、
ひらがなで3文字、漢字で2文字なのはおなじなのに、
耳できいたとき、目でとらえたときの説得力に おおきな差がある。
わたしがむかし「しみず医院」にお世話になったわけではないのに、
なぜこういうちがいがうまれるのか なぞにつつまれている。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月08日

むすこが成人式をむかえたやれやれ感

6日にもどったむすこが、今夜また広島にむけて出発した。
きのうあった成人式のためだけに かえってきたのだ。
高校を卒業したときよりも、
二十歳をぶじにむかえたいまのほうが、
子そだてをおえたやれやれ感がつよい。
年末にもどらなかったのは、
コンビニでバイトをしていたからだという。
もう自分でちゃんと生きているので、
なにも親が心配することはない。
しおくりは、あと2年のこっているけど、
わたしのささやかな「種の保存」の役割は、
むすこの成人式をもってつつがなく終了した。

旅行のつかれがぬけなくて、トレーニングをはじめる気にならない。
そのぶん、年末にやらなかった掃除やら、
旅行のかたづけやらをこまめにやった。
きょうの記録は、ぜんぜん旅行と関係ないけど、
事実をならべる業務日誌風なのは、旅行ちゅうといっしょだ。

・ピピがおしっこしたマクラをあらう
 はじめて洗濯機をためしてみた。
 手であらうより、ずっとかんたんだ。
・年賀状の返事をかく
 まだ1通だけだけど、とにかくとりかかれたのがおおきい。
・机まわりのかたづけ
 本がそこらじゅうにおかれ、ホコリがつもり、
 みただけでがっかりする机が すっかりきれいになった。
 よくみると、iMacのまえにいるシャーザクの肩に、
 とりわすれたホコリがのこっていた。
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・旅行でつかった道具や服をしまう
 夏服をカバンにいれ、旅行用具をかたづける。
・ガソリンスタンドで 灯油を3缶いれる
・ピピ(ネコ)のためにトイレシートをかう
・夕ごはんのかいものと準備
 やっと料理ができるくらいげんきがでてきた。
・1時間のひるね
・ズブロッカをかう
 旅行ちゅう、ほぼ毎日ビールをのんでいた。
 日本にもどり、本格的に酒が復活しそうだ。

きょうが祝日なのは、じつにありがたかった。
ゆっくりからだをやすめ、かたづけもおわった。
あすからの再スタートをなんとかむかえられそうだ。
旅行ちゅう、できるだけたべるようにしていたけど、
日本にもどってからお腹の調子がわるくなったこともあり、
体重が4キロもへってしまった。
はやめに体重をもとにもどしたい。

posted by カルピス at 21:26 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

おとこ親とむすことの関係はむつかしいらしい

職場の同僚とはなしていて、
おとこ親とむすことの関係はむつかしい、
というはなしになった。
そのひとの家では、むすこさんがお父さんを
ただうるさい存在としかおもってないそうだ。
わたしの家はどうだろう。
むすこはよくはなすタイプではないけれど、
かといってわたしをうっとうしがってはいないのではないか。

「うちは あんがい いいかんじですよ」と
その場からはなれたあとで、
よくかんがえたら ぜんぜんひとごとでないのに気づいた。
「うちは いいかんじ」どころか、
わたしと父親こそが、まったくうまくいってない例ではないか。
父親はうるさい存在というよりも、ただイヤなやつときらってしまい、
はなからみくだして、あいてにしなかった。
いつからそんな関係がはじまり、
どうしてそうなったのかはわからない。
わたしが小学生のときすでに、
つまらんことをいうやつだ、とだいきらいだった。

わたしの父親は中学校の教師をしており
(10年まえになくなった)、
よくしられているように、
教師の子どもはうまくそだちにくいらしい。
わたしは、父親が教師であることなど関係なく
どんな職業についていようが断固として
父親を否定してきたつもりだ。
父親は、頭ごなしにどなりつけるタイプではなく、
でも わかったようなことをいうのがよけいに腹だたしい。
ちからでおさえつけられたら、わたしはさっさと家をでて
ひとりでいきる道をさがしただろうに、
へんにあまいものだから むすこ(わたし)がつけあがって
家でいいようにふるまってしまう。
もうすこしで家庭内暴力へとすすんだケースかもしれない。
心理学的にはどういうのかしらないけど、
むすこにとって父親は、のりこえていく対象であり、
うまくいかなくてあたりまえと、容赦なくきらっていた。

子どもがちいさいころは、
ただかわいがればいいので対応はむつかしくない。
ややこしくなるのは 思春期のころだろう。
わたしが仕事でときどき中高生とせっすると、
どうはなしていいのか まったくわからなくて おてあげになる。
理屈をきいていると、中高生のいいぶんがただしそうだけど、
かといって、わかったような顔をすると
いいようにふりまわされてしまう。
相手の気もちを尊重しつつ、
こちらの都合もちゃんとつたえるのは とてもむつかしい。
親たちにすれば はじめての子そだてであり、
自分の子どもと どうせっしていいかわからない。
子どものほうは、そんな事情などさっしてくれないし、
あゆみよるつもりはまったくない。

わたしは、失敗だった父親との関係からなにかをまなび、
むすことは わるくない関係をきずけたとおもっているけれど、
修羅場はこれからやってくるのかもしれない。
わたしが父親をあまりひどくいうので、それをきいていたひとが、
そんなことをいっていると、
あなたがむすこさんに おなじような対応をうけるよ、
とおどかされたことがある。
わたしとむすことの関係は、
まだ結論がでていないと みたほうがいいだろう。

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2016年09月04日

むすこの料理とブログ5周年

大学の夏やすみで8月4日にかえってきたむすこがまだ家にいる。
お客さんじゃないのだから、すこしは はたらいてもらおうと、
きょうの夕ごはんをたのんだ。
ぜんぶまかせると負担がおおきすぎるので、
得意料理だといっていた
麻婆豆腐と鶏肉のてりやきをリクエストする。
むすこはアパートで自炊しているそうで、
外食やおそうざいには ほとんどたよらないらしい。
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できあがったのが写真の料理だ。
鶏肉は値段のやすさから胸肉をえらんだという。
やすさにつられて豚モモブロックをかうわたしとよくにている。
たのまれたら まったくいやがらずにつくるのだから、
19歳としてはすごくききわけのいいやつだ。
味は、まずまずといえるレベルにしあがっている。
麻婆豆腐はかんたんそうで あんがい味がきまらない。
わたしがつくるのよりもおいしくできていた。
配偶者がいたら かなりよろこんだだろうけど、
きょうは実家にかえっていてるす。
そんな日に料理をたのんだわたしは
ぜんぜんいいやつじゃないかも。

わたしがブログをかきはじめてから
きょうでちょうど5年たった。
なんとなくかきはじめ、
あんがいつづくのでやめるのがおしくなり、
そのうち10年つづけるのがなんとなくの目標になって
きょうにいたっている。
いいネタがなくて、むりやりかいた日もあるし、
こんなのをつづけても意味ないじゃん、と
けっこうまじめにおもったりしながら
のらりくらりと5年をすごした。
どーでもいいことをテキトーにかく、
が基本方針で、できるだけちからをぬいてかけたらとおもう。

長距離をはしるときは、
半分までくると かなり気がらくになってくる。
ゴールが手のとどくところにちかづいてきたかんじがする。
でも、ブログの場合は、まだ半分かとおもうと
さきのながさのほうにがっくりしてしまう。
それに、たとえ10年つづいたからといって、
それでなにかがかわるわけではなく、
完全に自己満足でしかない。
きょうでおりかえし点のポールを右にまがり、
もうあと半分の距離をはしってゴールをめざすわけだ。
長距離ランナーのはしくれとして、リタイヤはしたくない。
効果的にちからをあたえてくれる エイドステーションが
かえり道には たくさんまっていてくれたらいいけど。

posted by カルピス at 20:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

「おやじのせなか」をかってにかんがえる

朝日新聞に「おやじのせなか」が連載されている。
有名人が自分の父親についてかたるコラムで、
すでになくなった「おやじ」もいれば、
まだご存命の方もいる。
それぞれに個性的な「おやじ」がおおく、
父親が子どもにあたえる影響がうかがえておもしろい。
6月3日の記事では光石研さんが
「人生をめいっぱい楽しむ人」というタイトルで
「好きなことを好きなだけする」父親についてはなしている。
かわった「おやじ」だから 有名人となる子どもがそだったのか、
「おやじ」からじょうずにまなんだから 有名人になったのか。
もしわたしのむすこが父親(つまりわたし)との関係をたずねられたら
どうふりかえるだろうと気になった。

わたしが自分についてかけば、
自分のしょうもなさをよくしっているだけに
「中途半端なひと」みたいにまとめてしまうだろう。
わたしはむすこにたいし、
ひとの道などはなしたことはないし、
こんな人間になれ、などもけしていわない。
どちらかというと、わたしがへんな影響をあたえないように、
なるべく気配をけしてせっしていた。
でも、もしかしたらむすこは、わたしが気づいていないなにかに
まちがって影響をうけたのかもしれない。
直接むすこにたずねても ききだせっこないので、
むすこがこのインタビューをうけるぐらい えらいひとになり、
むすこがかたる「おやじのせなか」をよんでみたい。

わたしは、わたしの父親がきらいだった。
父は、よくありがちな俗物で、自分ではなにもしないくせに
わけもなく えらそうにふるまう いやな男だった。
おかげでわたしはきちんと反抗期をむかえ、
こんな人間にはならないぞと
反面教師としてだけ父親からまなんだ。
わたしこそよくありがちなむすこだったわけで、
どこにでもいる典型的な親子なのかもしれない。
わたしがおとなになっても うちとけぬまま、
父親は10年まえにガンでなくなった。

先日のブログにかいた犬ぞり師の本多有香さんは、
26歳のときに父親がなくなっている。
本多さんが一般的でない道をすすみはじめたのは、
お父さんの死が影響した、と分析されている。
厳格だった父親から枠にはまらない生き方をまなび、
その父親がなくなったことで
いちどきりの人生なのだから、すきなことをしようと、
生きいそぐようになったそうだ。
生きて子どもたちをしっかりそだてるやり方だけでなく、
死をもって影響をあたえる場合も
けしてすくなくはないだろう。
わたしがもしいま死ねば、
むすこはわたしとの関係をどうふりかえるだろうか。
しりたいような、しりたくないような。

posted by カルピス at 21:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする