2016年11月13日

おとこ親とむすことの関係はむつかしいらしい

職場の同僚とはなしていて、
おとこ親とむすことの関係はむつかしい、
というはなしになった。
そのひとの家では、むすこさんがお父さんを
ただうるさい存在としかおもってないそうだ。
わたしの家はどうだろう。
むすこはよくはなすタイプではないけれど、
かといってわたしをうっとうしがってはいないのではないか。

「うちは あんがい いいかんじですよ」と
その場からはなれたあとで、
よくかんがえたら ぜんぜんひとごとでないのに気づいた。
「うちは いいかんじ」どころか、
わたしと父親こそが、まったくうまくいってない例ではないか。
父親はうるさい存在というよりも、ただイヤなやつときらってしまい、
はなからみくだして、あいてにしなかった。
いつからそんな関係がはじまり、
どうしてそうなったのかはわからない。
わたしが小学生のときすでに、
つまらんことをいうやつだ、とだいきらいだった。

わたしの父親は中学校の教師をしており
(10年まえになくなった)、
よくしられているように、
教師の子どもはうまくそだちにくいらしい。
わたしは、父親が教師であることなど関係なく
どんな職業についていようが断固として
父親を否定してきたつもりだ。
父親は、頭ごなしにどなりつけるタイプではなく、
でも わかったようなことをいうのがよけいに腹だたしい。
ちからでおさえつけられたら、わたしはさっさと家をでて
ひとりでいきる道をさがしただろうに、
へんにあまいものだから むすこ(わたし)がつけあがって
家でいいようにふるまってしまう。
もうすこしで家庭内暴力へとすすんだケースかもしれない。
心理学的にはどういうのかしらないけど、
むすこにとって父親は、のりこえていく対象であり、
うまくいかなくてあたりまえと、容赦なくきらっていた。

子どもがちいさいころは、
ただかわいがればいいので対応はむつかしくない。
ややこしくなるのは 思春期のころだろう。
わたしが仕事でときどき中高生とせっすると、
どうはなしていいのか まったくわからなくて おてあげになる。
理屈をきいていると、中高生のいいぶんがただしそうだけど、
かといって、わかったような顔をすると
いいようにふりまわされてしまう。
相手の気もちを尊重しつつ、
こちらの都合もちゃんとつたえるのは とてもむつかしい。
親たちにすれば はじめての子そだてであり、
自分の子どもと どうせっしていいかわからない。
子どものほうは、そんな事情などさっしてくれないし、
あゆみよるつもりはまったくない。

わたしは、失敗だった父親との関係からなにかをまなび、
むすことは わるくない関係をきずけたとおもっているけれど、
修羅場はこれからやってくるのかもしれない。
わたしが父親をあまりひどくいうので、それをきいていたひとが、
そんなことをいっていると、
あなたがむすこさんに おなじような対応をうけるよ、
とおどかされたことがある。
わたしとむすことの関係は、
まだ結論がでていないと みたほうがいいだろう。

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2016年09月04日

むすこの料理とブログ5周年

大学の夏やすみで8月4日にかえってきたむすこがまだ家にいる。
お客さんじゃないのだから、すこしは はたらいてもらおうと、
きょうの夕ごはんをたのんだ。
ぜんぶまかせると負担がおおきすぎるので、
得意料理だといっていた
麻婆豆腐と鶏肉のてりやきをリクエストする。
むすこはアパートで自炊しているそうで、
外食やおそうざいには ほとんどたよらないらしい。
天の麻婆豆腐.jpg
できあがったのが写真の料理だ。
鶏肉は値段のやすさから胸肉をえらんだという。
やすさにつられて豚モモブロックをかうわたしとよくにている。
たのまれたら まったくいやがらずにつくるのだから、
19歳としてはすごくききわけのいいやつだ。
味は、まずまずといえるレベルにしあがっている。
麻婆豆腐はかんたんそうで あんがい味がきまらない。
わたしがつくるのよりもおいしくできていた。
配偶者がいたら かなりよろこんだだろうけど、
きょうは実家にかえっていてるす。
そんな日に料理をたのんだわたしは
ぜんぜんいいやつじゃないかも。

わたしがブログをかきはじめてから
きょうでちょうど5年たった。
なんとなくかきはじめ、
あんがいつづくのでやめるのがおしくなり、
そのうち10年つづけるのがなんとなくの目標になって
きょうにいたっている。
いいネタがなくて、むりやりかいた日もあるし、
こんなのをつづけても意味ないじゃん、と
けっこうまじめにおもったりしながら
のらりくらりと5年をすごした。
どーでもいいことをテキトーにかく、
が基本方針で、できるだけちからをぬいてかけたらとおもう。

長距離をはしるときは、
半分までくると かなり気がらくになってくる。
ゴールが手のとどくところにちかづいてきたかんじがする。
でも、ブログの場合は、まだ半分かとおもうと
さきのながさのほうにがっくりしてしまう。
それに、たとえ10年つづいたからといって、
それでなにかがかわるわけではなく、
完全に自己満足でしかない。
きょうでおりかえし点のポールを右にまがり、
もうあと半分の距離をはしってゴールをめざすわけだ。
長距離ランナーのはしくれとして、リタイヤはしたくない。
効果的にちからをあたえてくれる エイドステーションが
かえり道には たくさんまっていてくれたらいいけど。

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2016年06月05日

「おやじのせなか」をかってにかんがえる

朝日新聞に「おやじのせなか」が連載されている。
有名人が自分の父親についてかたるコラムで、
すでになくなった「おやじ」もいれば、
まだご存命の方もいる。
それぞれに個性的な「おやじ」がおおく、
父親が子どもにあたえる影響がうかがえておもしろい。
6月3日の記事では光石研さんが
「人生をめいっぱい楽しむ人」というタイトルで
「好きなことを好きなだけする」父親についてはなしている。
かわった「おやじ」だから 有名人となる子どもがそだったのか、
「おやじ」からじょうずにまなんだから 有名人になったのか。
もしわたしのむすこが父親(つまりわたし)との関係をたずねられたら
どうふりかえるだろうと気になった。

わたしが自分についてかけば、
自分のしょうもなさをよくしっているだけに
「中途半端なひと」みたいにまとめてしまうだろう。
わたしはむすこにたいし、
ひとの道などはなしたことはないし、
こんな人間になれ、などもけしていわない。
どちらかというと、わたしがへんな影響をあたえないように、
なるべく気配をけしてせっしていた。
でも、もしかしたらむすこは、わたしが気づいていないなにかに
まちがって影響をうけたのかもしれない。
直接むすこにたずねても ききだせっこないので、
むすこがこのインタビューをうけるぐらい えらいひとになり、
むすこがかたる「おやじのせなか」をよんでみたい。

わたしは、わたしの父親がきらいだった。
父は、よくありがちな俗物で、自分ではなにもしないくせに
わけもなく えらそうにふるまう いやな男だった。
おかげでわたしはきちんと反抗期をむかえ、
こんな人間にはならないぞと
反面教師としてだけ父親からまなんだ。
わたしこそよくありがちなむすこだったわけで、
どこにでもいる典型的な親子なのかもしれない。
わたしがおとなになっても うちとけぬまま、
父親は10年まえにガンでなくなった。

先日のブログにかいた犬ぞり師の本多有香さんは、
26歳のときに父親がなくなっている。
本多さんが一般的でない道をすすみはじめたのは、
お父さんの死が影響した、と分析されている。
厳格だった父親から枠にはまらない生き方をまなび、
その父親がなくなったことで
いちどきりの人生なのだから、すきなことをしようと、
生きいそぐようになったそうだ。
生きて子どもたちをしっかりそだてるやり方だけでなく、
死をもって影響をあたえる場合も
けしてすくなくはないだろう。
わたしがもしいま死ねば、
むすこはわたしとの関係をどうふりかえるだろうか。
しりたいような、しりたくないような。

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2016年04月07日

むすこがいないと 献立がきまりにくい

むすこが進学のため広島へいってしまい、
食事をつくる感覚がくるった。
何日かまえには、ハンバーグのつもりでかいものにいき、
きゅうに明太子スパゲッティもいいなーと気がかわり、
なにを血まよったか、いっしょにタジンも、とひらめく。
タジンは45分くらいかかるので、無理なメニューなのに。
タジンといっしょにつくったのが、
きんぴらごぼうにモヤシと高菜づけのいためもの、と
わけがわからない。
これもみんなむすこがいなくなったせいだ。
いなくなれば メニューがきまりやすくなるかとおもったら、
メインがさだまらないまま 混乱してスーパーをうろつく結果、
いつもにまして脈絡のない献立になる。

むすこは部活をしなかったし、塾にもいかなかったので、
夕ごはんの時間になると、家族がいっしょにテーブルについた。
家族の中心は、家長ではなく子どもなのだ。
なにをはなすわけではなくても、
とにかく家族いっしょの食事をつづけてこれたのは
むすこのおかげだ。
むすこがいなければ、きょくたんにいうと
わたしと配偶者、それにわたしの母親が、
のこりものをそれぞれべつべつにたべても(いわゆる個食・孤食)
問題はない。
そうなれば、楽でいいかとおもっていたけど、
いまだにピントのずれたメニューがつづいている。

今夜は小アジのフライをつくる。
町をぶらついていたとき、
居酒屋のメニューがおもてにはってあり、
「いわしフライ」にわたしのなにかが反応した。
いわしフライとフライドポテトにレモンをギュッとしぼり、
パンと白ワインでガツガツたべたくなる。
『異邦人』でムルソーがマソンの別荘でたべた昼食みたいに。

海岸でおよいだムルソーが
マソンの別荘にもどると、ちょうどおひるの準備ができていた。
大へんおなかがすいたと私がいうと、マソンはすぐ女房に、このひとが気に入ったといった。パンがうまかったし、私は自分の分の魚をがつがつたべた。それから肉や揚げたじゃがいももあった。誰もかも、ものもいわずにたべた。マソンはよく酒をのみ、いくらでも私についだ。

きょうのスーパーには、いわしがなくて、
下処理をした小アジが200円ほどでおいたあった。
ゼイゴだけとりのぞき、小麦粉をまぶしてあげる。
じゃがいも4つをフライドポテトにする。
レモンをしぼり、やすい白ワインもテーブルにならべた。

ムルソーがたべた昼ごはんのなかで、
意外と手にはいらないのが
ふつうにうまいフランスパンだ。
きょうはソースとチーズだけのピザをやいて、
フランスパンのかわりにした。
ところどころ『異邦人』とはちがう献立だけど、
イメージのいわしフライが、
現実の夕ごはんになったのに満足する。

今夜のメニューで問題だったのは、
小アジのフライがメインなのに、あわせて
・小松菜とうすあげの煮物、
・白菜の卵とじ
をつくったことだ。
このおかずで 茶わん1杯のごはんをたべてしまい、
魚のフライをガツガツたべるイメージどおりにいかなくなった。
むすこがいない混乱は、まだつづいている。

posted by カルピス at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

丸なげがすき

田んぼにものおき小屋があれば便利だ、とおもいつつ
なかなかとりかかれない。
いまは、足踏脱穀機やイノシシよけの電気柵が、
書庫としてつかっている部屋においてある。
部屋がごちゃごちゃしておちつかないし、
これでは書庫としての機能をはたさない。
脱穀機だけでなく、クワや長ぐつ、
草刈機などをおく場所が田んぼにあれば
ずいぶんすっきりするだろう。
冬をこし、やがて春になり、
もうすぐことしの米つくりがはじまってしまう。
本格的にうごきだすまえの段階で、
なんとか小屋づくりをおえておきたい。

ホームセンターで材料をかってくれば、
小屋をつくるのは そんなに手間はかからない。
ただ、最初のいっぽをきりだせないのだ。
なにかいいアイデアがないか、かんがえていたところ
むすこに丸なげするのをおもいついた。
高校の卒業式をおえたむすこは、
進学さきの広島へいく3月すえまで
とくになにをするわけでもなく、家でのんびりすごしている。
さいきん免許をとったばかりなので、
田んぼまでかよえば 運転の練習にもなるだろう。
わたしが車にのらない日は、むすこがつかってもいいから、
そのかわりに小屋をつくる、というのが
わたしがむすこにしめした交換条件だ。

わたしは大工仕事が得意ではなく、
わたしが小屋をつくったところで
どうせたいしたものはできない。
むすこだって きっとうまくはないだろうけど、
それだったら どちらがやってもたいした差はないのだから、
むすこにすべてまかすことにした。
いっしょにホームセンターへいき、
だいたいの材料をえらんで 田んぼまではこぶ。
たりないものがあったら 自分の判断でかうよう むすこにつたえた。

すべてをまかすのは、ひとをそだてるうえで効果的だといわれている。
丸なげではなく、進行状況をチェックしながら
必要におうじて アドバイスをいれたりするのだろうけど、
わたしの場合は まったくの丸なげだ。
でも、あんがいこういう体験が
ほんとうの教育なのでは、なんておもったりもする。
むすこが自発的にいいだしたのではなく、
まきこまれ型の体験というのが ちょっとよわい点だけど、
わたしが楽をして、むすこもすこしたのしめるとしたら
おたがいにいいとりひきではないか。

ものおき小屋づくりの丸なげに味をしめて、
今夜の夕ごはんづくりは むすこにたのんだ。
わたしがある会に出席することになり、
こんな場合、いつもだと夕ごはんを準備してでかけるのだけど、
家でのんびりすごす人間がなにもしないで、
はたらいているわたしが 夕ごはんの心配までするのは、
よくかんがえると まちがっている。
むすこには、カレーライスでいいから
なにかつくるようたのんだ。
カレーだけでなく、サラダやほかの料理があれば なおよい、
といったけど、それはあっさりかわされてしまった。

小屋づくりをきりだしたのが先週で、
きょうまでまだ1回しか作業をしていない。
基礎をおく場所の土をならして
たかさをそろえただけだという。
きょうはいい天気だったのに、田んぼにはいかなかった。
丸なげしてみまもるのも、
あんがい なにもしないためのちからがいる。
できればさいごまでわたしは手をださず、
むすこだけにまかせたい。
むすこが広島へいく今月すえまでに、小屋が完成するだろうか。

なんでもかんでも 丸なげされるのはかなわないと、
むすこがはやく家をでて、自立した人間になってくれたら
わたしはいちばんうれしい。
高校を卒業したら 家はもう自分がのんびりすごす場所ではないと
むすこが自覚するためにも、丸なげできる機会をいかしたい。

posted by カルピス at 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする