2021年12月14日

息子が2年ぶりにかえってきた

東京ではたらいている息子が、2年ぶりにかえってきた。
4日間すごしたのち、けさまた東京へむかう。
息子がいない2年間は、なんともおもわなかったのに、
玄関でわかれたあと、きゅうにさみしさが胸をかすめる。
こんどあうのは、いつになるだろう。
2年ぶりの帰省だったのは、もちろんコロナのためだ。
そのあいだに息子は大学を卒業し、仕事をきめ、
ことしの4月から東京でのひとりぐらしをはじめている。
かえってきたら、いろいろきこうとおもっていたのに、
いざ顔をあわすと、いまさらなような気がして
あまりはなしをしなかった。
家族でいっしょに食事をしたのは、4日間で2回だけだ。
わたしがつくったおでんと餃子を たべさせてやれてよかった。
家族4人ででかけた焼肉屋では、
はじめウーロン茶をのんでおきながら、
息子がそのあとビールも注文したのにおどろいた。
ウーロン茶のあとのビールって、おいしいのだろうか。
おもわぬところで 意外な息子の一面をしる。

台所にある時計は、朝のいそがしいときなど、
すこしすすんでいるくらいがたすかるものだ。
はじめは5分ほどはやかった時計だけど、
ほっておくうちに、「くるい」はすこしずつすすんでゆき、
とうとう18分もはやい時刻をさすようになっていた。
その時計を、息子が正確な時間になおしてしまった。
18分もすすんでいる時計をなおすのは
彼にしてみれば、当然のことだったろう。
4日間とみじかかった息子の帰省だけど、
正確になった時計は、おもわぬおきみやげとなった。
息子の不在をさみしがりながら、
しばらくは時計をみるたびに息子をおもいだしそうだ。

なれてくると、あたりまえながら
正確な時をおしえてくれる時計のほうが 便利だとわかった。

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月15日

むすこの旅だちをよろこぶ

広島の大学にいっていたひとりむすこが、東京での就職をきめた。
今月の10日に広島をはなれ、東京へむかっている。
家にはよらず、広島からちょくせつ東京へいったので、
新型コロナウイルスの影響もあり、もう1年以上むすこにあってない。

東京駅についたところで配偶者に連絡があった。
その日はホテルにとまり、つぎの日にアパートへうつるという。
そのアパートも、むすこがひとりでさがしており、
あたりまえながら、親はなにもしていない。
手のかからない人間にそだってくれたものだ。
配偶者とのやりとりのあと、わたしもすこしはなした。
ひさしぶりにきくむすこの声はげんきそうだ。
いまわたしが口をはさむことはなにもないので、
からだに気をつけて、とだけつたえ、
ひさしぶりの「会話」をおえる。

むすこは大学のとちゅうでいちねん休学し、
フィリピンで3ヶ月ほど英語の勉強をしている。
新型コロナウイルスのことをおもうと、
いいときに いい体験ができてよかった。
休学により、予定より1年しおくり期間がのびたけど、
それも今月でようやくすべておわる。
わたしの子そだてにかんする責任はこれでおわり、
あとは自分の老後のことだけをかんがえればいい。
いますぐ仕事をやめてもいいわけで、
そうおもうとすごく気がらくになる。

すこしまえにみた映画で、花婿の父親がむすこを自慢していた。
自分はとるにたらない人間だけど、
むすこがやさしい人間にそだったことだけがほこりだ、と
披露宴のスピーチで、むすこをストレートにほめている。
日本人にはなかなかできないけど、
わたしもまた、もし結婚式がひらかれ、はなす機会があるのなら、
むすこを手ばなしでほめたいとおもう。
はなす内容は、映画とおなじだ。
わたしがこんなにとるにたらない人間なのに、
むすこはとてもいいやつにそだってくれた。

我が家は、絵にかいたような平凡な一家だ。
両親ともふつうのサラリーマンで、
金もちではないけど、それほど貧乏でもなく、
あかるくたのしい一家団欒には ほどとおかったけど、
すこしぐらいのギクシャクは、家族なんだから あたりまえだろう。
わたしはあまい父親で、むすこをやたらとほめてかわいがった。
配偶者も余計なことはいわず、でも愛情だけはたっぷりそそぎ、
祖父も祖母も、孫であるむすこをいつも気にかけてくれ、
ネコたちもまじえ、一家がフツーの中流家庭をかたちづくっていた。
いまの時代、「フツー」であることがどれだけ貴重かは、
だれもがよく理解していることだろう。
そんな家庭環境が、きっとむすこを
「あたりまえ」にそだててくれたのだろう。
むすこのおかげで、自分の子とキャッチボールをするという、
父親ならではの夢がかなえられたし、
わたしが手わたす本、たとえば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を
すすめられるままに よんでくれたりもした。
むすこが無事に巣だっていったことをよろこびたい。

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2019年07月25日

セブ島での語学留学をおえたむすこにたずねる

むすこが4ヶ月弱の語学留学をおえ、
いったん広島のアパートによってから、
実家であるわたしたちの家に 今夜かえってきた。
フィリピンのセブ島にある語学学校へでかけたのがことしの4月。
出発するまえに 留学についてたずねても、
こまかいことは本人もわからないようで、
わたしはどんな滞在になるのか、イメージがつかめなかった。
こんやは、謎だった部分について、なんだかんだと質問した。
たずねると、うっせーなー、とかいわず、
いやがらないで はなしてくれる。

・1クラス5人(韓国人2・台湾人2・むすこ)
・授業は基本的にマンツーマンで、
 1日にひとコマくらいはクラスでのはなしあい
・学校が経営する寮でくらす。4人部屋をえらんだという。
・3回の食事と授業料、それに寮へのしはらいは、1ヶ月に13万円。
・(チョコレートマウンテンで有名な)ボホール島へいった?
 いってないそうだ。はじめのころ
 なんどかセブ島のビーチにいったぐらいで、
 セブ島からでなかったという。
・じゃ、なにをいちばんしてたの?
 あんがいまじめに勉強してたみたい。
・留学のあとでほかの国へ旅行にいけばよかったのに、
 とわたしがいうと、
 ぜんぜんそんなことはかんがえなかったそうだ。
・63キロの体重が、59キロになっていた。
 体調をくずしたこともあったし、
 フィリピン料理はあまりあわなかったという。      

どれくらい英語のちからがついたかは おしえてくれない。
先生とマンツーマンでの授業をうけたら、
かなり英語になれるのではないか。
こんど英検をうけてみるそうだ。  

21年まえにむすこがうまれ、
男の子の親になったのだから、
・いっしょに自転車ではしる
・キャッチボールをする
が、わたしのささやかなねがいとなった。
そしてこのふたつは、ぶじに実現している。
留学からもどり、子どものたしかな成長をかんじるのも、
とくにねがっていたわけではないけど、
親としてなかなかわるくない気もちだ。
わたしがはじめて外国へでたのは25歳のときだ。
むすこはいま21歳。
いい体験をしたのだろう。
すこしやせたぶん、表情がひきしまってきた。 

4ヶ月ぶりにむすことあうココは、
それでもわすれてなかったようで、
いつものようにリラックスしてテーブルにあがり、
そのままねそべった。   
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2019年03月29日

むすこに夕ごはん当番をたのんだら、野菜いためをつくっていた

一週間まえ、広島からむすこがかえってきた。
せっかくだから、きのうは 夕ごはんをつくって、とたのんでみる。
わたしが仕事をおえて、スーパーへかいものにいくと、
どうしてもたべはじめるのが7時すぎになってしまう。
むすこに用事がないのなら、むりしてわたしがつくるより、
かわりに夕ごはんをつくってもらったほうがらくだ。
まいにちだとたいへんだけど、週にいちどくらいならいいだろう。

むすこに夕ごはんをまかせ、わたしは仕事のあと、
職場からジョギングにでかける。
今週は雨にじゃまされず、月・火・水とはしったので、
できれば木曜日もジョギングをつづけ、月のトレーニング回数を
20回にしておきたかった。

むすこはひとりぐらしをするようになり、
自炊のうでがあがっただろうから、
なにかひねったものをつくるのかとおもっていた。
そうでなければカレーライス、
あるいは、広島にいるのでおこのみやき、
もしかしたらシチューもあるかもしれない。
でも、家にかえってみると、むすこがえらんだのは野菜いためだった。
ほかに、配偶者がつくったサラダとなますが冷蔵庫にあった。
野菜いためはすこし意外だ。肩すかしをくったかんじ。
おくれて家にもどったわたしは、
ひとりで野菜いためと ほかのおかずをつつく。

でもほんとうは、野菜いためがいちばん無難な献立だ。
カレーやシチューが一品だけでは かなりさみしいけど、
野菜いためなら、まちがいのないおかずとなる。
わたしもまえはずいぶん野菜いためをつくったものだし、
いまでもしょっちゅう野菜いためにたすけられている。
わかいころ、1年間の農業研修に参加したとき、
昼ごはんと夕ごはんは、日がわりで参加者がつくっていた。
いろいろ献立をかんがえるのだけど、
15人分の料理はなかなかたいへんで、
そんなとき、野菜いためをつくれば、
とりあえず一品になったので、ずいぶんたすけられた。
「こまったときの野菜いため」とだれかがいった。

ほんとうに、野菜いためはインドにおけるカレーみたいだ。
いろんな野菜と豆、あるいは肉のくみあわせで、
膨大な種類のカレーができあがるように、
野菜と肉の種類をかえていためれば、
それはもう、まったくちがう料理として 堂々と食卓にならべられる。
むすこが献立を野菜いためにきめたのは、
どんな意図があってのことか、つまびらかではない。
でも、すでに野菜いための偉大さをみとめているとしたら
なかなかの料理センスとみとめなければならないだろう。
もしかしたら、そこまでふかよみするのは、ただの親バカで、
ほんとうは、めんどくさかっただけかもしれないけど。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

『未来少年コナン』の影響で「おじい」「おとう」とよぶようになったむすこ

『鳩の撃退法』(佐藤正午)のはじまりは印象にのこる。
幸地家の幼い娘は父親のことをヒデヨシと呼んでいた。パパとかお父さんとかのかわりにヒデヨシ、漢字に書けば秀吉という父親の名前を呼び捨てにしたのである。

わたしのむすこは、わたしのことを「おとう」とよぶ。
母親は「おかあ」で、おじいさんは「おじい」。
保育園でほかの子どもたちが 親をどうよんでいるのか
そんなに注意してきいていたわけではないけど、
「おとう」「おかあ」はめずらしいのではないか。
「お父さん・お母さん」、あるいは
「パパ・ママ」がおおかったようにおもう。

これは、わたしがむすこに『未来少年コナン』をみせた影響だ。
コナンはおじいさんのことを「おじい」とよぶ。
コナンは ものごころがついたとき すでに両親がいなかったので、
「おとう」「おかあ」とくちにする場面はなかったけど、
おじいさんが「おじい」なら、そのながれで
お父さんは「おとう」、お母さんは「おかあ」になるだろう。
だれかがおしえたわけではないけど、おさなかったむすこは
コナンにならって わたしを「おとう」とよぶようになった。

親のよびかたは、いちどはじめると
あとからかえにくいもので、
二十歳になったむすこは いまでも「おとう」という。
「おとう」は わるくないよび方だ。
保育園児から大学生まで、はばひろくつかえるし、
第三者がいても、「おとう」と口にするのは はずかしくない。
保育園のときに「パパ」とかいってた子は、
おおきくなってから むりに「おやじ」なんて
なれないいいかたに かえなければならず、
苦労するのではないか。

親をどうよんだかが、その子の人生に、
どんな影響をあたえるのか しりたいところだ。
うまくいってる家族には、
よび方に 一定の法則があるのかもしれない。

ものすごく むりやりなはなしだけど、
ひごろの観察により、病院の名前は
「しみず」がいちばん ふさわしいという結論にいたった。
もちろん漢字で清水とかいてもいい。
小児科でも脳外科でも、動物病院でも産婦人科でも、
あらゆる病院に「しみず」はすんなりおさまる。
これが「よしだ」ではぜんぜんだめで、
ひらがなで3文字、漢字で2文字なのはおなじなのに、
耳できいたとき、目でとらえたときの説得力に おおきな差がある。
わたしがむかし「しみず医院」にお世話になったわけではないのに、
なぜこういうちがいがうまれるのか なぞにつつまれている。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする