「国際語エスペラントは今」がのった。
英語ばかりがひとりがちしている状況なのに、
いまさらエスペラント語に出番があるのだろうか。
記事では、パソコンゲーム「ことのはアムリラート」
でつかわれているのがまさにエスペラント語なのだという。
このゲームは、
主人公の少女が、日本とそっくりなのに言葉が通じない異世界に迷い込む
のだそうだ。
異世界のキャラクターが日本語を普通に話すことに疑問をもったのが制作のきっかけ。
とある。
わたしはわかいころに ほんのすこし
エスペラント語をかじったことがあり、
ほんのちょっとしかしらないものほど
おおくをかたりたがる、という原則どおり、
エスペラント語が話題になると、口をはさまずにいられない。
これまでに、このブログでもなんどかかいてきた。
またおなじような内容になるけど、
しつこく、えらそーにエスペラント語をかたりたい。
エスペラント語は、ポーランド人のザメンホフが
1887年につくった人口のことばだ。
いまの社会では、英語が世界共通語のようにおもわれており、
英語を母語とするひとが なにをするにも有利になる。
しかし、それでは公平な関係ではないじゃないか、
という発想がエスペラント語にある。
もしも、だれもが母語のほかに
エスペラント語をはなせるようになれば、
世界じゅうのひととコミュニケーションがとれる。
国際補助語としてのやくわりを、エスペラント語がはたす。
アメリカやフランス、そしてロシアなど、
いくつかのかぎられた国が ことばにおいて徳をするのではなく、
どのことばをつかうひとも平等であれたら、
という平和へのねがいから エスペラント語はかんがえられた。
日本人の外国語べたは おおくのひとにおぼえがあるだろう。
なんねん英語を勉強しても、はなせるようにならない。
外国人は、たとえばフランス人が英語をはなせるようになるのは
比較的かんたんなのにくらべ、
日本人が欧米のことばをまなぶときは、
文法や発音などが日本語とおおきくことなるため、
身につけるためには膨大な時間と努力が必要となる。
エスペラント語は、人工言語とはいっても、
単語のおおくをラテン系のことばからもってきており、
イタリア人は、日本人よりもかんたんにはなせるだろう。
それでもエスペラント語は、
日本人が英語やフランス語を勉強するよりも、
はるかにすくないエネルギーで身につけられる。
エスペラント語がすぐれているのは、
文法がよく整理されており、例外がないところにある。
たとえば動詞の現在形は語尾に「as」がつく。例外はない。
未来形にするには、動詞の語尾を「os」にかえるだけでいい。
過去形は、語尾を「is」にかえる。これもまた例外なしだ。
動詞の原形(不定詞)は語尾が「i」で、
語尾を「o」にかえると名詞となり、「a」すれば形容詞となる。
単語をひとつおぼえたら、動詞と形容詞にも そのままいかせる。
例外ばかりの英語やフランス語を勉強したあとで、
すべて例外がないエスペラント語が、どれほど楽かにおどろいた。
もうひとつエスペラント語を勉強していて気づくのは、
言語帝国主義に加担していない気分のよさだ。
英語を勉強していると、どうしても、いったいなにがかなしくて
おれは英語なんかを勉強しているのかと、むなしさが頭をかすめる。
平和運動や、国際補助語というこころざしはたかくても、
エスペラント語をつかうひとがすくなければ理想におわる。
こんかいの記事で紹介されているように、
パソコンゲームをきっかけにして
わかいひとたちがエスペラント語を勉強するなんて
いぜんにはかんがえられなかったうごきだ。
2012年にはGoogle翻訳の対象にもなったそうだし、
はなし相手もSNAでみつけられる。
ラジオで女性DJが、舌をふくざつにうごかしながら、
ネイティブっぽい発音をしてみせるとうんざりするけど、
だれかが すらすらとエスペラント語をはなしだしたら
英語やフランス語より、ずっとかっこいい。