2022年05月21日

「オトナになった女子たちへ」(伊藤理沙さん)がだいすき

金曜日の朝日新聞に、隔週で連載されている
「オトナになった女子たちへ」(伊藤理沙)がだいすきだ。
こんかいは、伊藤さんの配偶者である「ヨシダサン」が、
家での食事をぜんぶつくってくれる、というはなし。
伊藤さんの昼ごはんや、むすめさんのお弁当も、
ぜんぶヨシダサンがつくる。伊藤さんはなにもしなくていい。
らくちんでたすかるのだけど、これがもしかして
ヨシダサンの罠だったら、と伊藤さんはひそかにおそれている。
年齢がうえのヨシダサンが、伊藤さんよりさきにいってしまうと、
のこされた伊藤さんは料理ができない残念な老人でしかなく、
ひとりさみしくたれじぬのではないか、という予感。
そして、心配しながらも、あえて「罠」にはまってゆく伊藤さん。
奥さん死んだらたいへんなめにあう夫」は、わたしだ。

3月でわたしの配偶者が退職し、家にいる日がおおくなった。
これまでは、夕ごはんの2/3をわたしがつくってきたけど、
4月から週にいちどくらいにへってしまった。
トレーニングがはかどるし、楽でいいのだけど、
料理をしないと、こんなにもカンがにぶるのかとおどろいている。
かいものにいっても こんだてをおもいつかないし、
料理をはじめても、スムーズなながれができない。
いちど身についたスキルは、一生ものだ、とおもっていたけど、
料理については、かんたんに、そして急速にサビつくのがわかった。
わすれないていど、日常的に料理にかかわるほうが自分のためだ。
 本日の弁当は「鶏そぼろ弁当」だ。そぼろ弁当の日は、そぼろが余るということで、わたしの分の弁当を作ってくれる。なんつー甘い罠だ。それを我慢できずに朝、食べちゃったわたし。昼、どーするんだ。家庭内早弁だ。子供か。低年齢化もすすんでいる。うまかった。このようにやさしく日々能力を奪われている。

posted by カルピス at 20:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月13日

伊藤理沙さんは、ロシアによるウクライナ侵略へも目をとどかせる

金曜日の朝日新聞に、隔週で連載されている
伊藤理沙さんのコラムをたのしみにしている。
奇抜な発想に感心するばかりで、伊藤さんは天才にちがいない。
こんかいのはなしも、やはりすばらしかった。
太陽系の惑星から、冥王星がはずれたことからはじまり、
傷口をはやくなおすには、むかしだと消毒してかわかしていたのが、
いまは水であらってからばんそうこう、が常識になったこと、
さらには上着をスカートのなかにいる「イン」について。
「時代はかわる」のではなく、
「まわる」とうたった中島みゆきはえらい、から
ロシアによるウクライナ侵略へも目をとどかせる。
そういう自慢の歌手が日本にしかいないんじゃなくて、世界中に、各国にいるんだ、ってことをわすれたくない。ウクライナにもいる。いるに決まってんだろ?そんなことをわたしに言われちゃうプーチンです。

うまいでしょ?伊藤理沙さんは天才です。

posted by カルピス at 20:37 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月09日

伊藤理佐さんがといかける「仕事とは、なにか」

たのしみにしている伊藤理佐さんの連載コラム、
「オトナになった女子たちへ」(朝日新聞)。
今回は、仕事とはなにか、について。

伊藤家は家のそうじを「ダスキンさん」にまかせていて、
それなのに、ダスキンさんがくる日の朝、
伊藤さんとヨシダサン(伊藤さんの夫)が
ざっとヌメリをとったり、物をどかしたり、ふいたり、ほこりをはらったり、する。

ここまでは、よくきくはなしだ。
でも、伊藤さんは最近になって、こうかんがえるようになった。
つまり、もしかしたらよごれている家は、
プロのそうじ人にとって宝箱かもしれない、と。
「この家、つまんねーな」
と、思われていないか。
「もっとヌメッてろよ」
「ガッカリだな」
みたいな。
「このレベルで定期便頼んでんじゃねーよ、チッ」
とか。
「面白くない」
と、思われることは、職業上の理由で我慢できない。

「職業上の理由で我慢できない」がおかしい。
よごれている部屋をみられるより、
おもしろくないとおもわれることのほうが、
伊藤さんは我慢できない。
職業上の理由、と、めずらしく、
かたぐるしい言葉をつかって プライドをのぞかせる。
 わたしたちは、間違った親切心と、つまらないみえで、ダスキンさんのやる気と仕事を奪ってはいないだろうか。つまり、わたしたちは「やらない」という仕事をさぼっていないだろうか。プロに対してプロの仕事ができているだろうか。もっとヌルヌルしていたほうがいいのではないか。仕事とは、なにか。もっとヌメる自信はある。悩んでいる。

けっきょくさいごの段落を、ぜんぶ引用してしまった。
伊藤さんのまじめさと ふまじめさのかねあいが だいすきだ。
たたみかけるように、リズムをきかせた文章がうまい。
「やらない」という仕事をさぼらないよう 気をつけたい。

posted by カルピス at 20:14 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月13日

「雨戸道」11年 伊藤理佐さんのコラムがいつもながらうまい

いつもながら伊藤理佐さんのコラムがすばらしい。
隔週の金曜日、朝日新聞に連載されている
「オトナになった女子たちへ」のことだ。
今回は「雨戸道」について。
伊藤さんは、雨戸をあけるのも「道」があるという。
茶道や花道でいう、あの「道」のことで、
戦車道があるぐらいだから、雨戸道があっても不思議ではない、
と かんたんにはいいきれない。
戦車道はむりやりだけど、雨戸道はたしかにむかしからあった。
雨戸には、戦車道よりも、
よほどお作法っぽい要素があると、伊藤さんは気づいた。

伊藤さんがかんじている「道」っぽいところは、
 電動で、ない。ガラガラっと、戸袋から一枚ずつ、夕方に出して、朝は入れる。なんとなく、日が沈んでから&昇ってから、としている。季節に合わす。素早くやる。でも、少し勢いをつけないと一発で決まらないので、ちょっと音を立てる。雨戸で自分を隠しながら、目線を外にまっすぐ向けない。道を歩いている人、向かいの家の人、と目があわないようにする。なんかこう、お作法っぽい。

雨戸をあけるのに作法があるように、
雨戸をあけているひとから目をそらすのも
まわりのひとがつくりあげた作法だ。
なぜなら「朝だから見られたくない格好」だから。
家の前のゴミ出しがギリギリ許される、の格好だった。角のコンビニには行っちゃダメレベルの。だから雨戸で隠すのだ。そうか。それはこちらへの気づかいだった。気をつかっているつもりが、つかわれていた。外にも「雨戸道」があった。

わたしがすむ地方には、雨戸がない。
わたしの家だけでなく、雨戸文化のない地方のようだ。
東京で、親戚の家にとまったとき、はじめて雨戸を体験した。
雨戸をぜんぶしめると、部屋はまっくらになり、
朝になり雨戸をひらくと、ものすごくつよい光がはいってくる。
雨戸の威力と存在感は圧倒的だった。
雨戸はこれだけのちからをひめているのだから、
たしかに それなりの作法が必要にちがいない。

コラムのしめくくりが、またうまい。
 どーでもいい気がする。いや、どーどもよくない。そんなこといったら「お茶」だってどーでもいいのだ。

すべてに「道」がつうじていると 伊藤さんは発見した。

posted by カルピス at 17:00 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月04日

「幼稚園でさえ、この采配」伊藤理佐さんのコラムがさえてる

いつもながら伊藤理佐さんのコラムはうまい
(朝日新聞:「オトナになった女子たちへ」)。
こんかいは、保育園のチョー(まとめ役)をきめるはなし。
伊藤さんのしりあいがかよう幼稚園は、推薦でもアミダでもなく、
「園長のご指名」でチョーがきまるのだという。
ことしは
「いちばん若〜い、しかもやさしそーーーなママがご指名をうけて。しかも2人目がおなかに」(中略)
「んで、数人で、ダイジョウブデスカ?って、園長に話に行ったの」
そうしたら、園長先生がこう言ったのだそうだ。
「しかりした人がなると、みんなが意見を言いづらい。やさしい年上の人がなっても気を遣う。若くて妊娠中だと、みんなお手伝いをしてくれる、助けあう、協力する。だから、年少はこれでいいのです」
と。ハハーッ、となった、と。年中さん、年長さんは、違う理由で、ぜんぜん別タイプの人がご指名をうけたのだそうだ。(中略)
 近所の幼稚園でさえこの采配。近所の幼稚園さえ、ですよ。国は・・・・・

うまいのはここでかたられているところの園長先生なのだけど、
はなしのエッセンスのとりだし方が伊藤さんはたくみだ。
ほんとに、幼稚園でさえ、この采配なのに、国は・・・。

ヤフーのポータルサイトに、
ヒロシさんへのインタビューがのっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd02ebc0b505a0acec611bdafcf5bc8a8b6747b9
ヒロシさんの月収は最高で4000万円のときもあり、
はじめはよろこんでいたけど、そのうち
お金の価値がわからなくなった、とヒロシさんはかたっている。
お金への執着をなくすにはどうすればいいかをたずねられると、
ヒロシさんは、ユーチューブをつよくすすめている。
ヒロシさん: たとえニッチでも好きなことだったら、苦にならないし楽しいですよ。それに、 絶対コアなファンがいるはずです。 僕は「アルバイトするくらいだったら、毎日YouTubeを更新しなさい」って言います。 アルバイトは時間の切り売りでしかないけど、YouTubeはその先に広がる可能性がたくさんあるんだから! これが僕の実体験から答えられる、“お金への執着から抜け出す方法”です!

いちど有名人になったヒロシさんでさえ、
毎週の視聴者が3人、という時期もあったそうで、
だれもみてないからこそ、それでいいのであり、
配信の反応を気にする必要はない、という。

わたしのこのブログは、きょうでまる9年つづいている。
反応を気にせずにかいていたら、
ほとんど反応がないまま9年がすぎた。
10年連続をめざしているけど、10年つづけたところで
なにかがかわるわけではなさそうだ。
それでも、たのしい9年だった。
表記法は自分のこのみでとおせるし、
なにをかくかも自由にえらべる。
「好きなことだったら、苦にならないし楽しい」とわたしもおもう。

posted by カルピス at 20:30 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする