2017年07月17日

夏にむけて コンディションをととのえたい

3週間さきにせまったレースにそなえ、2時間ちかくはしる。
おとついにも、おなじコースをはしったけど、
1時間ほどしたら気分がわるくなったのであるいた。
熱中症になりかけていたのだとおもう。
からだがまだあつさになれておらず、
体温調整がうまくいかないようだ。
きょうはしっかり水分をとり、ゆっくりだけど
とにかくさいごまではしりつづける。
あつさにくじけないで はしりとおせたのは 自信になった。

昼ごはんのあと、30分ひるねをしてから田んぼの草かりへ。
2時間ほど草刈機をつかう。
とちゅうでなんども水をのみ、シャツが汗でびっしょりだ。
家にかえると、まず水風呂につかって からだの熱をとる。
そのあとビール。
エアコンをつけないと、部屋の温度は30℃もあるけど、
からだがひえていれば 風をすずしくかんじる。
汗をかいた分、水分をおぎなえば、
じっとりした汗はでず、皮膚がスベスベしている。
しっかり汗をかき、そのあとの水分補給が
あつい日のコンディションづくりにはかかせない。
コンディションさえよければ、
熱風がふいていてもぜんぜんくるしくない(ときもある)。
すべてはコンディションだ。

仕事にでかける日はどうしようもないけど、
やすみの日はあつさをたのしみたい。
あついあついとグチをいってもしかたないから。
夏でなければ味わえないものはいろいろある。
それらは、あつい夏のほうがよりたのしい。
わたしがたのみとする「夏」用品は、
水風呂・ビール・アイスティー・スイカにジントニック。
それに扇風機・ひるねをくみあわせて、
エアコンにあまりたよらない夏にしたい。
なんだかんだいっても、ほんとにあついのは あと1ヶ月ほどだ。

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2017年07月16日

『熱風』での対談「仕事と家庭」 家庭のやりくりがいかにむつかしいか

ジブリのフリー小冊子、『熱風』7月号に、
鈴木敏夫さんと森健さんによる対談
「仕事と家庭」がのっていた。
森健さんは、クロネコヤマトの経営者として有名な
小倉昌男さんを取材した『祈りと経営』により、
大宅壮一メモリアルノンフィクション大賞を受賞している。
経営者として超一流だった小倉氏だけど、
家庭においては配偶者・子どもたちと
いろいろな問題をかかえていたようで、
この対談では仕事と家庭はべつものという視点が、
くりかえしかたられている。
想像だけど、やっぱり家庭が落ち着かなかったから仕事に逃げた、だから仕事が成功した、そういう関係にあったんじゃないかなって思うけど。だってびっくりするぐらい仕事で頑張るわけでしょ。運輸省との交渉、規制緩和の問題を平気で交渉していたわけですよ。それは家庭で抱えていた問題に対するいらつき、その解消の意味でもあったと、撲なんかは読んでいたけどね。(鈴木)

わたしも、自分の「仕事と家庭」についてかんがえてみる。
仕事は、もうほとんど軸足をのこしておらず、
いわれたことだけは粛々とやるけど、
地味でやる気のとぼしい職員だ。
いわれたらやるし、常識の範囲内で
意見をだしたりはするけど、それ以上の存在ではない。
かといって、そのぶん家庭にエネルギーをそそいでいるかというと、
けしてそんなことはなく、
自分の部屋にひきこもり、すきなことだけをする
ろくでもない夫であり父親だ。
とうぜんながら、家庭はあたたかな雰囲気につつまれたりはしない。
ネコのピピは、もうすこしわたしを評価してくれそうな気がするけど、
ネコなので発言力はあまりたかくない。

30代のころは、いまとくらべものにならないぐらい仕事をした。
行政からの補助がすくなく、きわめて貧乏な事業所だったので、
自分たちで運営費をかせがなくてはならなかった。
日用品のバザーをひらいたり、映画会や音楽会を企画して、
サービス残業があたりまえだったし、休日にも職場にでていた。
本業の介護についての専門知識はとぼしかったけど、
事業所の経営を、仲間たちと必死にささえていた。

そうしたがんばりを、配偶者がみとめていたかというと、
たいしていまとかわらないような気がする。
つまり、仕事にうちこもうが、そうでなかろうが、
家におけるわたしのポジションは たいしてかわりはない。
わたしの意識は、一貫して
家庭にはむけられていなかったのだろうか。
そうだともいえるし、それなりに最善をつくしたともいえる。
その程度の意識では うまくいかないほど、
家庭はむつかしい問題なのだ。

鈴木さんと森さんの対談をよみ、
わたしの家庭だけが、うまくいってないわけではないと、
なんだか安心させられた。
むしろ、うまくいってないのがあたりまえと、
おおくのひとが はじめからあきらめるほど、
家庭をうまくまとめるのはむつかしい。
おなじ空気をすい、おなじテーブルで食事をとるだけでも、
それはそれで、ひとつの家庭のありかただと、
ひくいところから みつめなおしたほうが うまくいきそうだ。
きのうはわたしの誕生日で、
配偶者はいつものように半袖シャツとTシャツをくれた。
いったいそれ以上、なにをのぞめというのか。

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2017年07月15日

『走れ、走って、逃げろ』少年はなぜまえをむきつづけられたのか

『走れ、走って、逃げろ』
(ウーリー=オルレブ・母袋夏生:訳・岩波書店)

ワルシャワのゲットー(ユダヤ人居住区)からにげだした少年が、
森と農村を放浪しながら生きのびるはなし。
家族はどこにいるのかわからなくなり、
仲間ができたかとおもうと、ドイツ兵がきてバラバラにされ、
親切な農家で仕事ができるようになったかとおもうと、
ユダヤ人であることが村のひとにしれ、
家をでなければならなくなったり。
これでもかと過酷な試練がうちよせるけど、
少年はまえむきな気もちをたもちつづけ、
生きのびることだけをかんがえる。
日にちは数えなかった。瞬間瞬間を、一時間一時間を生きていた。朝から夜までを生きた。

うでを脱穀機にまきこまれ、
すぐに手術すればたすかるのに、
医者はユダヤ人を治療するのをことわる。
ほかの医者がきてくれたときには
壊疽がすすみ、うでをきりおとさなければならなかった。
片腕になっても、少年はけしていじけない。
どうしたら まえとおなじように仕事ができるかと、
工夫と練習をかさねて、なんでもひとりでこなせるようになる。

めちゃくちゃかわいそうなはなしだけど、
「かわいそう」と少年にむかっていえば、
きっと彼は、そんなあわれみはいらないというだろう。
ほかのひととおなじ仕事ができること、
ひとりでも生きていけるちからを身につけたことに
少年はほこりをもっている。
たびたび困難がおしよせても、
少年は自分で方針をきめ、自分でうごく。
少年はどうしたら生きのびられか 知恵をしぼる。
生まれもったあかるい笑顔でにっこりほほえむと、
親切なひとが食事や仕事をあたえてくれるときもある。
「イエスさまにみさかえあれ」と、
宗教にのっとって きちんとあいさつすると、
相手はそれなりの態度で少年にせっしてくれた。
少年は戦争をいきのび、
やがて学校にかよい、大学まですすむ。
彼のつよさは、けして自分をあわれむのをゆるさない。

しりあいとはなしていたら、
岩ガキをどうやってたべるか、というはなしになった。
岩ガキをこじあけるのは、あんがいむつかしいらしい。
苦労してくちをひらいても、
しりあいはあまりカキがすきではないそうだ。
「かわいそうでしょー」といわれる。
そうか。たしかにかわいそうかも。
ナチにおわれて放浪しながら生きる少年は、
自分をかわいそうとおもっておらず、
カキをまえによろこべないしりあいは、
みずから「かわいそうでしょー」という。
「かわいそう」にはいろいろあるなー。

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2017年07月14日

伊藤理佐さんの「鰻、全力応援!」が かっこいい

伊藤理佐さんが朝日新聞に連載中のコラム
「オトナになった女子たちへ」がいつもながらおかしい。
きょうは、ウナギを応援するはなし。
「鰻、全力応援!」だ。
 我が家では「鰻」を応援している。「がんばれ!」と思っている。(中略)ヨシダサン(伊藤さんのオット)と話し合った結果、うちは「安い鰻を食べない」という応援の仕方になった。「鰻屋さん」も応援することにした。「高いけど、たまに、鰻を、鰻屋さんで食べる」という方針だ。

挿絵は、伊藤さんとヨシダサンがビールをプハーッとやりながら
ウナギをつついており、「こう見えても 応援中・・・」とある。
食事とか、エネルギーの摂取としてではなく、
応援と位置づけるやり方があったのだ。
スーパーにならんでいるウナギをみると、
とんでもない値段についグチをいいたくなるけど、
そして けっきょくとてもじゃないけど かえないのだけど、
応援だったら、たかいからといって みすてるわけにはいかない。
「全力応援!」するしかない。
まったく、目のつけどころがすばらしい。
伊藤さんにかかると、日常生活はあそびにみちている。

わたしはなにかに確信をもって応援しているだろうか。
「鷹の爪」をだいすきだというわりに、
壁かけカレンダーすら かわずにすませるし、
サッカーの日本代表を応援していながら、グッズひとつもってない。
応援は、無償の行為であり、
応援したからといって、直接のみかえりはもとめない。
勝利がみかえりのようにおもえるけど、
ことがそれほど単純なら サポーターに苦労などない。
応援しているチームが、かつこともあれば、まけるときもある。
まけたからといって 応援をやめるようなら、
それは「応援」とよばない。
応援は、いわば究極のペイ=フォワードだ。

東京にすむ 義理の兄は、
松江にくるたび 老舗の鰻屋さんをかならずたずねる。
わたしにすれば、ものすごくたかいウナギ料理だけど、
東京からわざわざくるのだから、
旅費や滞在費をかんがえると、
すこしぐらい(すこしじゃないけど)ウナギ代がかかるといって、
スーパーの中国産ウナギで我慢するのは たしかにまちがっている。
義理の兄がしてるのは、伊藤理佐さんとおなじ
「全力応援!」だとおもえば、ものすごくふにおちる。
配偶者の実家があるからといって、毎年わざわざかえってくるよりも、
べつの町へ旅行すればいいのにと、不思議におもっていたけど、
ウナギの応援なのだから、義理の兄がえらんだスタイルは、
正統派の応援者として、まったくただしい。

伊藤家のすばらしいところは、
個人のこのみとしてではなく、
「ヨシダサンと話し合った結果」
我が家の方針をさだめたところにある。
ふたりによる熟慮のうえだから、ただ「すきだから」よりも、
採択のおもみが ぜんぜんちがう。
ひとりでの応援がまちがっているわけではないけど、
その一段うえをいくあそび方にわたしはしびれる。
たとえビールをプハーッとやりながらの応援でも、
いかにも高段者の生活者として 伊東家がかっこよくみえる。

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2017年07月13日

むすこがお世話になった保育園の移転・新築計画

むすこがお世話になった保育園から
「応援する会」の案内がとどいた。
移転・新築するにあたり、ご協力をおねがいしたい、とある。
建物がふるくなり、改築が必要だけど、
市は整備費をすんなりはだしてくれない。
待機児童への対応として、定員数をふやすための計画なら
市からみとめられやすいので、
おもいきってあたらし場所へ移転・新築するという。
すでに市からは計画がみとめられ、
来年の4月からの開所にむけて建物の設計や、
近隣の自治会への説明会をひらいていく段階へとすすんでいる。
そして、いちばんの問題は財源の確保となるので、
「応援する会」をたちあげて、関係者に寄付をつのることとなった。

むすこが卒園してから14年もたつけれど、
この保育園にすっかりお世話になったという気もちが
いまもわたしにはある。
わたしだけでなく、おおくの保護者がおなじおもいをもっており、
会にあつまった元保護者からは、
当時をなつかしみ、感謝の気もちをあらたにし、
ちからになれることがあれば なんでもしたい、
という発言がおおくきかれた。

むすこがかよった保育園は、
「さくら・さくらんぼ」とよばれる保育をおこなっており、
ゼロ歳児から泥だらけになって「あそびきる」。
年長さんになってもよみ・かきや計算の勉強はまったくしない。
ものがたりをきき、それを絵にかいたり、
リズム体操やダンス、和太鼓にとりくむ。
ちいさな子どもたちは、
年長さんのたくましいすがたに あこがれてそだち、
年長さんがとりくむ和太鼓や体操を
尊敬のまなざしでみつめている。

わたしだってむすこにたいし、
親として できるだけのことをしたとおもっているけど、
ひととして大切なちからを
この保育園により やしなってもらえた。
わたしはむすこがなにをしても、
ひととしてちゃんとそだったとしんじられたので、
安心してほったらかした。

寄付をつのる、といわれると、
じっと下をみてやりすごしたいものだけど、
「応援する会」にかけつけた保護者・元保護者からは、
まえむきなアイデアがいくつもだされた。
職員の方だけでは負担がおおきすぎるので、
保護者の役員会で事務局をつくり、
これからの運動をすすめることになる。
いくらすぐれた方針の保育でも、
寄付となればまたべつな苦労をともなう。
でも、この園のためならと、
ファンとなった保護者がたくさんいる。
おおくのひとの協力をえて、
きっとすてきな新園舎ができあがるだろう。

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2017年07月12日

たまには「おしゃべり」がしたくなる

すこしまえの「今日のダーリン」に
糸井重里さんが「おしゃべり」についてかいている。
お酒を飲む人たちが、「飲もうや」と集まるのも、
飲もうが飲むまいが「会おうか」と連絡とりあうのも、
学校や会社に「もうちょっといよう」と居残るのも、
電話しているのも、メールしているのも、
「ほんとうにしたいこと」は、ひとつなんじゃないか。
 
おしゃべりがしたい、ということ。

そういえば、たしかにそうだ。
おしゃべりがしたくての のみ会なので、
おしゃべりができそうにない会に わたしはいかない。
きっとわたしは「おしゃべり」をしないひとと、
職場でうけとめられているだろうけど、
自分では基本的に「おしゃべり」がすきだとおもっている。
自分ではなすだけでなく、ひとのおしゃべりをきくのもすき。

なにをおしゃべりしたいかというと、
こたえのない問題を、あーでもない こーでもないと
こねくりまわすのがたのしい。
たとえば「いかに生きるか」でもいいし、
なぜ日本人は外国語をまなぶのがにがてか、
みたいな問題もこれまでにずいぶんはなした。
イメージとしては、大学生が友だちのアパートにあそびにいき、
そこにまたほかの学生も顔をのぞかせ、
お酒をのみながらおしゃべりするかんじ。
仕事のはなしや、職場の人間関係については
はなしが生々しくなりやすいので できるだけさけたい。
外国のパブでよくありそうな、
先週おこなわれたサッカーの試合を
ファンどうしがふりかえっておしゃべりする、
みたいなのが、いかにも人畜無害でこのましい。
みじかくて 気のきいたセリフをさらっと口にする、というのは
いきな会話ではあるだろうけど、おしゃべりとはまたちがう。
おしゃべりには、あるていど かわされることばの量が必要だ。

すきなおしゃべりについての基本線はかたまっているけど、
日々の生活では あたりさわりのない会話にとどまっている。
友だちはすくないし、なんだかんだで毎日いそがしくすぎていくし。
だからこそ、糸井さんがいうように、おおくのひとが
わざわざ「おしゃべり」のためにあつまろうとするのだろう。
そとにでかけるのがおっくうなわたしは、
おしゃべりの機会をみおくることがおおい。
ブログはひとりでするおしゃべりみたいなものだろうか。
たまには時間をムダにつかい、
あーだこうだ おしゃべりしたくなった。

レストランでの食事をみたときに、
おしゃべりなカップルは不倫ちゅうのふたりで、
おしゃべりをしてないカップルが夫婦だと、
なにかの本にかいてあった。
わたしと配偶者の関係は、まさしく「夫婦」で、
おしゃべりにならない。
ここはひとつ、てっとりばやい解決策がもとめられる。

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2017年07月11日

ヒロシさんのネガティブ芸がすごい

NHK-FMの「ゆうがたパラダイス」、
火曜日は三森すずこさんの担当で、
きょうのゲストはヒロシさんだった。
「ヒロシです」のヒロシだ。
ひとむかしまえ、ネガティブなセリフを
ひとりがたりしていたヒロシさんは、
いまもまたネガティブさを前面にだしている。
でも、その内容はずいぶん円熟味をましてきた。
いぜんは、よくあるネガティブにすぎなかったのが、
いまはさらにそれを
「ネガティブであつかいにくいひと」まで芸をたかめている。
わたしもけっこうネガティブな人間なのに、
ついもっとポジティブにならないと、とまじめにかんがえがちだ。
何十年もネガティブをやってきたのだから、
そうかんたんにポジティブになれるわけがない。
ヒロシさんのネガティブ路線を参考にして、
ネガティブでなにがわるいと、ひらきなおりたくなった。

ヒロシさんについて、むかしみた芸のほかには
どんなひとなのか ほとんどしらない。
自虐ギャグで絶大な人気をえていたピン芸人で、
その後まったくうれなくなり
(自分からテレビにでなくなったらしい)、
世間のつめたさをしっかり味わったひとと解釈している。
三森さんの番組では、ネガティブであつかいにくいひととして
「おれのことほんとにしりたいの?」と
すぐにうたがったり ひねくれたりして、
あつかいにくさが芸になっていて おかしかった。
「しくじり先生」を絵にかいたような人生で、
まわりもヒロシさんのうきしずみをしっているから、
はれものをさわるようなあつかいだ。
なにかいったとき「おもしろくないでしょ?」と
自分からいじけるので、まわりのあわてぶりがおもしろくなる。
地獄をみたひとのつよさ・すごさがにじみでて、
ほかのひとにない芸風となっている。
おちるとこまでおちれば、もうこわいものはない。
ネガティブだって あんがいわるくないのかも。
世のなかは、とかくポジティブさがもとめられがちで、
だからこそ かえって生きにくいひとがたくさんいる。
時代は地味をこえて、ネガティブへと舵をきりつつある。

ヒロシさんの趣味はアウトドアだそうで、
なぜなのかをきかれると、
自然はみんなに平等だから。
うれてるひとにも、うれてないひとにも、
平等に雨がふる。

というのがおかしかった。
ふつうなら、お天道さまは、だれにも平等に陽をそそぐ、
といいそうなところなのに、
根っからネガティブなひとは雨をまずイメージするのだ。
ヒロシさんの真骨頂をみたおもいだ。

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2017年07月10日

『PK』(ラージクマール=ヒラーニ:監督・アーミル=カーン:主演)

『PK』(ラージクマール=ヒラーニ:監督・2014年・インド)

『きっと、うまくいく』のアーミル=カーンが主役をえんじる。
評判がいいし、アーミル=カーンなので、
おもしろくないわけがないと期待してかりた。
153分とながい作品で、なかなかはなしがうごきださない。
前半は、ものがたりの伏線をかためる作業がしつこいほどつづき、
それぞれの配置がきまった まんなかへんから
いっきょにものがたりがすすんでいく。
この作品をえがくには、153分が必要だったと
全部みおわったときに納得できる。
『カラマーゾフの兄弟』をえがくには、
あのとほうもないながさが必要なのとおなじだ(ほんとか!)

以下ネタバレあり。
地球を調査するためにやってきた宇宙船から、
宇宙人がひとりインドの砂漠におりたつ。
宇宙船と交信するリモコンを、冒頭でいきなりうばわれてしまい、
彼(PK)は、ことばも風習もわからないインドに、
なすすべもないままほうりだされる。
神さまならたすけてくれるというので、
いろんな神さまにすがり、リモコンがもどるようにおねがいする。
しかし、どの神さまも、PKのねがいをきいてくれない。
なぜ神さまがたすけてくれないのか、
PKはいろいろかんがえるうちに、宗教の本質にせまっていく。

宗教批判にうけとれる場面があり、
よくこの作品がインドでつくられたものだと感心する。
いくつもの宗教が混在し、現実の問題として
きびしい対立関係にあるインドだからこそ、
うけいれられたのかもしれない。
インドで宗教をあつかうというと、
いろいろタブーがおおそうだけど、
宗教が身ぢかな存在なだけ、
あるていどは自由に発言できるのだろうか。
なぜ神にすがってもききいれてもらえないのかは、
おおくのひとたちがもつ共通の疑問だ。

シリアスな問題を、わらいにつつんで
映画にとりいれるのに成功している。
まさか、オープニングに登場した男性が、
ラストの鍵をにぎるとは、まったく予想していなかった。
PKをえんじるアーミル=カーンの、
存在そのものがみごとに宇宙人っぽい。
耳がでかくて、目をかっとひらき、
カトちゃんダンスみたいなはしりかたをする。
宇宙人がいるとしたら、PKみたいな外見ではないだろうか。
みおわったときのさわやかさがすばらしい。
PKもまた、『アホは神の望み』でいう
「神はバカ正直なひとにほほ笑む」典型的なアホっぽいひとだ。
でも、神はPKがバカ正直だからほほえんだのではない。
地球より はるかにひろい宇宙をしっているPKは、
地球人のいう神よりも、本質的な「神」を理解している。

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2017年07月09日

西部謙司氏のいう「気持ちの問題」がおもしろい

サッカージャーナリストの西部謙司氏が、
「気持ちの問題」と題して、
サッカーでも点がおおくはいる試合は実現できるとかいている。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/nishibe/kiji/20170707s00002368176000c.html
オフサイドや、足でボールをあつかうルールにより、
サッカーはあまり点がはいらないスポーツだ。
だからおもしろくない、というひとがいる。
おもしろいスコアは3-2といわれているし、
あまりたくさん点がはいりすぎるのは
なんだかサッカーらしくない。
ただ、国によって得点への価値観はちがっており、
守備を重視するイタリア人にとって、
1-0での勝利が最高のスコアといわれたりする。

西部氏は、先日おこなわれた
J2第20節のFC岐阜対ジェフユナイテッド千葉が、
4−6というスコアだったのを紹介しながら、
現代サッカーと得点の傾向を整理し、
なぜロースコアの試合になりやすいかを分析している。
その結論が「気持ちの問題」というのがおもしろい。
 要は気持ちの問題なのだ。シュートやパスワークなど技術的な問題はあるだろうし、戦術的な課題もあるだろうが、現実に1試合で5点、10点が入る試合もあるわけで、その気になればサッカーは1試合平均2点台のゲームではなくなるに違いない。

結局、たいていのことは「気持ちの問題」なわけで、
でも、それをいっては身もフタもないから
いろいろとかざりをつけて 文章に説得力をもたせるのが一般的だ。
西部氏の記事は、そこをぬけぬけと
ストレートについてくるのが魅力となっており、
人徳からか、なんとなく納得してしまう。

まえにも西部氏の記事に、
「ひいて守る相手をくずすには先取点」
とかいてあり、おどろいたことがある。
ひいてまもりをかためられると、
点をいれられないからこまっているのに、
その解決策が、「さきに点をいれること」なのだから
発想がものずごく柔軟だ。
先取点をいれられたら、相手はせめざるをえないから、
とにかく点をいれたらいい。すごくわかりやすい。
サッカーにくわしくないわたしは、
たくみな守備に感心するだけの知識がないので、
点がたくさんはいる試合のほうが みていてたのしめる。
「気持ちの問題」で、そんな試合がすぐに実現できるのなら、
「ひいてまもってカウンター」ではなく、
もうすこしまえにでて、せめこんでほしい。

先日おこなわれていたコンフェデのメキシコ対ロシアをみる。
ルーズボールをキーパーとあらそっていたメキシコの選手が、
一歩さきにおいつき、ヘディングでボールをうかせる。
ボールはそのままゴールへ。
キーパーは、その選手と交錯したときに、
ボールではなく むなもとへむけて キックをはなっている。
あきらかに 腹いせだ。
スロービデオでそのときの映像がながれると、
おどろいたことに、メキシコの選手はほほえんでいた。
ヘディングしたボールが ゴールにすいこまれるのを確信すると、
キーパーにけられる恐怖よりも、得点へのよろこびにより、
けられながらも空中でわらっていた。
点をいれるためだったら、どんな犠牲でもはらうという
一流選手のガッツをみたおもいだ。
その試合のスコアは2-1でメキシコだった。
けられてもほほえむぐらいの「気持ち」があれば、
4,5点はいるのでは、とかきたかったけど、
じっさいには両チームの合計で3点だ。
「気持ちの問題」は、なかなか気もちだけでは
うまくいかないかもしれない。

posted by カルピス at 20:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

まるのみしてうまいのか?

小アジをフライにしようとさばいていたら、
どのアジのお腹にも、ちいさな魚が何匹かはいっていた。
15センチほどのアジなのに、
自分のからだの 半分くらいある魚を まるのみにしている。
まるのみして、うまいのか?
アジにかぎらず、おおきな魚や、オットセイにアシカ、
そうだ、ペリカンもだ。
つるりと魚をまるのみにするけど、
まるのみして 味のちがいがわかるのだろうか。
鳥だってそういえば基本的にまるのみだ。
カエルやヘビも頭からパクリとやる。
まるのみは、けして異端ではなく、
マジョリティな食事法かもしれない。
その日のごはんをいきおいよくたべている犬は、
とても味わっているようにはみえない。
牛や馬といった草食系の動物以外は、
まるのみないし、それにちかい咀嚼が一般的である。

まるのみがただしい食事法としても、
まるのみ派の動物たちは、なんでもかんでも
まるのみにしているわけではないだろう。
どれをまるのみにするか、かれらはどうやってみわけるのだろう。
あいてがうごいていたら、いきのいいごちそうだと判断して
まるごとパクリとやるのだろうか。
でも、死んだ獲物をたべる動物もいるのだから、
おいしいからまるのみしている動物と、
とにかくお腹をみたしたらいい動物にわけたくなる。

こうなると、「うまい」とは なんなのだろう。
たとえばチンパンジーは このんでたべるものがきまっている。
味覚音痴といわれるネコだって、
どのペットフードでもいいわけではなく、
すきなカンヅメでないとたべない。
まるのみする動物は、うまいから獲物をまるのみにする。
うまいと判断するのは、舌ではなくノドごしの瞬間かもしれない。
人間が舌でうまい・うまくないをきめるのは、
きわめて例外的な舌のつかい方であり、
おおくの動物は、舌にたよらないで「うまい」をきめる。 
だからまるのみでも はやぐいでも、「うまい」とかんじている。
人類は、舌にたよりすぎてきたのではないか。
ノドごしの快感こそが、
つぎのヒット商品をうみだす鍵におもえてきた。

posted by カルピス at 12:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする