2020年07月04日

ペットといっしょに入所できる特老「さくらの里山科」

きょうの「ラジオマンジャック」(NHK-FM)のテーマは「定番」。
土曜日の夕方4時になると、この番組をききながら、
ブログをかくのがわたしの定番になってきた。
そのまえに、ひるねをするのも土曜日の定番だ。
ひとの生活は、定番でできているといってもいいのではないか。

朝日新聞土曜日版beも、あたりまえだけど
土曜日だけにきょうの定番だ。
コラム「それぞれの最終楽章」は
特老の施設長、若山さんが「ペットとともに」をかいている。
この特老は、ペットといっしょにはいれるというからすごい。

特別養護老人ホーム「さくらの里山科」では、
犬10匹、猫9匹が、約40人の入居者と住んでいます。入居者が連れてくる以外に、殺処分されそうな犬や猫も引き取っています。大好きなペットと一緒に最後までー。そんな思いを支えるために、「山科」を立ち上げました。

(入所者のひとり山口さんは)「喫茶店イベント」には、亡くなる半月ほど前まで、毎回来ていました。職員とボランティアが運営する喫茶スペースで、本格的な機械でいれるコーヒーを150円で飲めます。入居して2ヶ月目には車いす生活になりましたが、ひざの上にチロを乗せて、喫茶店イベントに参加していました。

山口さんが亡くなるときには、チロが枕元にいて、
チロにみとられながら、山口さんは旅だったそうだ。

「さくらの里山科」のブログをみると、
ネコたちがソファでねむっている。
https://ameblo.jp/sakuranosato-yamashina/entry-12608580293.html
動物たちといっしょにくらすには、
衛生面への配慮や、動物の病気・ケガへの対応、
動物どうしの相性など、たくさんの仕事がでてくるだろうけど、
こんな特老にはいられたらしあわせだ。
わたしは、いまいっしょにいるココを家にむかえるとき、
さいごまで世話ができるかどうかをかんがえた。
わたしのほうがさきにいってしまい、
ココが途方にくれてはたいへんだから。
特老にははいりたくないけど、「山科」だったらお世話になりたい。

10年以上まえ、歯がすごくいたくて、
わたしはつらい夜をすごしたことがある。
家にいたネコのピピがわたしによりそってくれ、
その存在がどれだけありがたいかに感謝した。
死ぬときは、家族でなくても、
なかよしの動物がいっしょだったら、おだやかにいけるだろう。
わたしはいま、障害者介護の仕事についているけど、
動物を施設のなかにとりいれようとしたら、
さまざまな問題がでてくる。
「大好きなペットと一緒に最後まで」を実現させた、
「さくらの里山科」のすばらしいこころみに、あつい拍手をおくる。
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きょうから、もうひとつの土曜日の定番、
Jリーグの実況放送が再開される。

posted by カルピス at 17:12 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月03日

『クロールー凶暴領域ー』

『クロールー凶暴領域ー』
(アレクサンドル=アジャ:監督・2019・アメリカ)

フロリダの町にハリケーンがちかづいてきた。
はげしい雨に町は水びたしとなる。
連絡がとれない父親を心配し、
女子大学生のヘイリーは、家のようすをみにいく。
地下室で、ようやく父親をみつけたけど、
地下室にはワニが何匹もはいりこんでいた。
地下室だけでなく、池みたいになったとおりにも、
ワニがうじゃうじゃいる。

ストーリーはかんたんだけど、家のなかやまわりを、
ワニがうようよおよいでいる、という設定がおっかない。
まえに『ワニの町へ来たスパイ』というミステリーをよんだ。
こちらはルイジアナ州が舞台で、ストーリーにワニがからんでいる。
アメリカ南部の町は、そんなふうに、
ワニが身ぢかな存在なのだろうか。

ヘイリーは、やっとみつけたお父さんを、
地下室からたすけだそうとするけど、
ワニが何匹もいるので、うっかりうごけない。
おれが排水管をたたいてワニの気をひくから、
おまえはおよいで階段までいけ、なんて
お父さんが提案していたけど、
ちょっとあぶないんじゃないかとおもう。
そのすこしあとでは、ワニは水しぶきに反応するので、
水しぶきをたてなければ大丈夫だ、といいながら、
とおりのむこうにうかんでいるボートを、
ヘイリーにとりにいかせたりする。
はじめはぬき足さし足でヘイリーはすすんでいたのに、
とちゅうから「いそいでおよげ!」に方針がかわる。
けっこうテキトーな指示をだすおとうさんだ。

そもそも、いくら水泳選手でも、
服をきたかっこうで、ワニよりはやくはおよげない。
ただ、作品の冒頭に、ヘイリーが水泳大会でおよぐ場面があり、
あれぐらいはやくおよげるひとなら ひょっとして、
とおもわせるから、わかい水泳選手をヒロインにすえたのはうまい。
はじめのころヘイリーは、半分水につかりながらワニからにげていた。
それが終盤になると、ワニとおよいで勝負、にかわってくる。
あいてがサメだと、およいでにげるのはぜったい無理だけど、
ワニだったらなんとかなるような気がする。
何匹のワニにおわれながら、必死でにげるヘイリーがリアルだ。
もと水泳選手だったわたしだけど、
いまではきわめてゆっくりしかおよげない。
冒頭の水泳大会で、選手たちがみせたおよぎはほんものだった。
きれいで迫力のあるクロールをみて、
この映画への評価があまくなったみたいだ。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月02日

レジ袋有料化がどんな影響をあたえていくか

きのうからレジ袋が有料となった。
きょうは仕事でクッキーをうりにでかける。
レジ袋が有料化になって、はじめての販売だ。
これまでだとたくさん(5袋ぐらいを)かってくれたお客さんには、
「袋はごいりようですか?」とたずねていたけど、
そんな気づかいがいらなくなった。
だれもがビニール袋をたのむとお金がかかるとしっているので、
袋をもとめるひとはいない。すごくスムーズに販売できた。

よくいわれているように、レジ袋が生態系にあたえる影響は、
全体からみると、ほんのわずかなものだろう。
ストローよりは意味がありそうだけど。
それでも、プラスチック製品が、環境によくないと
意識するきっかけにはなる。
ものをかわなければ、袋はいらないので、
これまでよりもかいものする量がへるのではないか。
新型コロナウイルスにより、自粛生活をやってみると、
どうしても必要なおでかけは、そんなにないのがわかる。
世の中は、やらなくていいことがおおいし、
かわなくていいものもまたおおい。
そうやって、ひとがうごかなくなり、
かいものしなくなると、経済的にはよくないのだろうけど、
環境からみれば、そうした生活のほうが、地球のためだ。

ただ、やらなくていいことこそ やってたのしいことで、
それを追求しているのが「デイリーポータルZ」だ。
このサイトのおもしろさは、やらなくてもいいことをやり、
いかけなくてもいいところへ でかけることにある。
コロナがひろがり、不要不急がさけばれているときでも、
「デイリーポータルZ」はどうでもいいことをやりつづけた。
必要なことしかできなくなったら、どれだけつまらないかを
コロナが気づかせてくれた。

環境についてかんがえ、徹底しようとするとかなりやっかいだ。
省エネルギーがいいにきまっているので、
電力をおおくつかう生活はよくない。
テレビ・エアコン・冷蔵庫はどれも電力をくう。
自動車をうごかすのもやめたほうがいい。
自動車をつくるのに、膨大なエネルギーがつかわれるし、
うごかすのにガソリンや電気が必要だ。
でも、あまりラジカルにはしると、生活にうるおいがなくなる。
環境保護について、自分に無理なくできることを
ながくつづけていくしかない。
その第一歩がストローだったりレジ袋なのだろう。
環境への意識が、より具体的になる。
ただしくても、できないことはあるし、
無理にもとめられると、気もちよくない。
どの線におちつかせるのかは、自分がきめる。

posted by カルピス at 21:57 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月01日

配偶者が白内障の手術をうける

配偶者が白内障の手術をうける。
飛蚊症が気になって眼科へいくと、白内障だといわれたそうだ。
彼女はいま60歳で、白内障には はやいようにおもえる。
お医者さんがいうには、40歳以上のひとの9割は、
気づいているか、いないかのちがいだけで、
すでに白内障にかかっているらしい。
いずれ手術をしなければならないのなら、
はやめにきれいにみえたほうがいいですよ、
みたいなころし文句をお医者さんにいわれ、
配偶者は手術をきめた。

手術はきのうだった。
白内障の手術なんて、かんたんなものだろうと、
たかをくくっていたのに、お医者さん・スタッフ全員で
10人ぐらいのチームによって とりおこなわれている。
もっとも、手術をうけたのは、配偶者だけでなく、
5人がつぎつぎに手術室によばれている。
手術じたいは20分で、ぜんぜんいたくなかったそうだ。

白内障の手術は、片方ずつすすめるので、
きのうの夜は、左目に眼帯をして家にもどってきた。
みためには、けっこうたいへんそうだ。
本人も、もっとかるい術後だとおもっていたのに、
こんなにおおごとなら、もう片方の目はどうしようかな、
とまよっていた。それほどたいへんだったのだ。

でも、きょうまた病院へゆき、眼帯をとられたら、
これまでとまったくちがう世界がひろがっていたという。
白内障の手術のあと、劇的によくみえるようになった、
というはなしをよんだことがあるけど、
彼女にも、その圧倒的な変化がおとずれたのだ。
自分がその体験をしてないと、どんな世界がひらけたのか
まったく想像できない。
とにかく、配偶者はものすごく感激していた。
子どもはこんな世界をみているのか、なんていう。
それまでは、みえるものに、白いモヤがかかっていたそうだ。
それがふつうの状態だから、みえにくいとおもわない。
手術をして、どれだけみえてなかったのかに 気づいたという。
シワや、皮膚のおとろえがよくみえてこまる、ともいっている。
ブラウン管テレビから、液晶テレビにかえた、
ひとむかしまえの消費者、みたいなものだろうか。

気づいてないだけで、わたしも白内障がすすんでいる口にちがいない。
配偶者をみならって、はやめに手術をうけたほうがいいだろうか。
ただ、どの患者さんも、配偶者のように
うまくみえるようになるとはかぎらないらしい。
ほとんどの場合うまくいくけど、
ときにはそうならないこともある。リスクはつねにある。
そんなはなしをきくと、とくにこまっていないいま、
わざわざリスクをおかさなくてもいいようにおもう。
わたしはまちがいないく飛蚊症で、
あちこちに黒い糸くずがみえる。
蚊だとおもって、たたこうとすることもよくある。
年をとってから冬の夕方は、ものすごくくらくかんじる。
みえにくいので、運転をしているとあぶなくてしょうがない。
自覚症状としては、そのふたつが目についてのわたしの老化だ。
老化だから、ま、いいか、とおもっている。
配偶者はあかるい顔で、よくみえるようになった目のことをはなす。
めでたし、めでたし。
無事に手術がうまくいき、彼女の配偶者であるわたしもよろこんだ。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月30日

おとまりの仕事をキャンプごっこの気分でのりきる

このまえの土曜日は、仕事で職場にとまった。
仕事といっても、事務やなにかの準備ではなく、
ショートステイの利用者とのおとまりだ。
仕事だとおもうとたのしくないので、
キャンプごっこで気をまぎらすことにする。
もちろん職員用のふとんもあるけど、
キャンプだとかんちがいしたいので、
2ミリのうすいアルミマットをひろげ、
そのうえにデコボコのついたサーマレストのマットをしく。
まえにかっていたネコがつめとぎにつかったので、
マットとよぶのがかわいそうなほど 虫くい状態になっている。

野宿するのに、なによりも大切なのは、
寝袋ではなくマット、というのを
野宿伝道師のかとうちあきさんが
なんどもくりかえして強調している。
さむい時期の野宿では、したからのひえがなによりつらい。
いくらあたたかい寝袋にくるまっても、
マットに手をぬくと残念ないちやをすごすはめになる。
たとえ部屋でねるキャンプごっこといえども、
たたみのうえにじきにねたら、
つぎの朝はつかれがたまっているだろう。
かとうさんのおしえを忠実にまもり、マットをつかった。
といいながら、うえにかけるのは
寝袋ではなく、家からもっていった夏がけだ。
いまの時期、さむさよりもあつさのほうが問題で、
土曜日の夜もむしあつかったのでエアコンをつけた。
キャンプといいながら、エアコンをつけるなんて、
まったくどうかしてるけど、
もともと中途半端なこころみなのだ。
ご飯はコンビニでかったものだし、
お風呂だってふつうにはいる。
読書用のスタンドまでもっていったし、
パソコンだってある。
ようするに、マットをしいてねただけのはなしなのに、
気もちをあそび方向にもっていきたいために、
自分でキャンプ気分を演出したかった。
ヒロシさんのひとりキャンプの影響もあっただろう。

利用者さんは、夕ごはんのあとお風呂にはいり、
8時になるとふとんにもぐりこんだ。
そして、そのまま朝の6時すぎまでしずかにすごしてくれる。
そのあとは、わたしが自由につかえる時間だ。
わたしは、いちおう仕事として夜をつきそうので、
ひさしぶりにお酒なしの夜をすごした。
すこしぐらい、とちょっとまよったものの、
自分がアルコール依存症でないことを確認するために、
ひとばんだけでも自分の意思でのまずにのりきる。
さいわいに、お酒がほしいとはすこしもおもわなかった。
本をよみだしたものの、10時すぎにはねむけがやってきた。
家では12時をすぎないとねないのに、
この夜は10時15分にふとんにはいる。

とまりあけの日は、9時に勤務時間がおわる。
家にもどったわたしは、ずいぶんほっとしたのかがわかった。
ひさしぶりのおとまりで気づいたのは、
わたしは自分の家がだいすきという事実だ。
キャンプごっこするよりも、なれた自分の家、
自分の部屋でぬくぬくとすごしたい。
こんな性格の人間は、いくら野宿にむいた季節になったとしても、
外よりは家ですごすのをえらぶにきまっている。
わたしに必要なのは、ひとりキャンプにつきあってくれる仲間だ。
ヒロシさんはもとより、かとうちあきさんだって、
グループで夜をすごすものの、ねるのはひとりだ。
なかまとでかけるひとりキャンプのカテゴリーにはいる。
まえは、ひとりでなければ軟弱だとおもっていたけど、
そんなところで片意地をはらないで、
ひとといっしょにすごしたほうがここちいいときもある。
依存しなければ、自立もできない。

posted by カルピス at 22:12 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

「死生観への郷愁」(佐伯啓思)にひかれる

27日の朝日新聞にのった
「死生観への郷愁」(佐伯啓思)にひかれた。
 今日、死生観などということは誰もいわない。だが、私には、どこか、古人のあの、人間の死という必然への諦念を含んだ「無常観」がなつかしく感じられる。少なくとも、古人は、その前で人間が頭を垂れなければならない、人間を超えた何ものかに対する恐れも畏れももっていた。そこに死生観がでてきたのである。

新型コロナウイルスがはやろうが、ガンにかかろうが、
ひとはいつかかならず死ぬ。
なにかおおきな病気をわずらったとして、
かんたんにあきらめなくてもいいけど、
こころのどこかに、ま、いつかは死ぬんだし、
というあきらめをもっていたほうが
おだやかなこころもちでいられるような気がする。
そして、ジタバタせずに さいごをむかえられるのでは。

『わすれられないおくりもの』(スーザン=バーレイ)
にでてきたアナグマの死をおもいだす。
http://www.suzuya-k.co.jp/okurimono.html
アナグマは、自分の年だと、死ぬのが、そう遠くはないことも、知っていました。
 アナグマは、死ぬことを恐れてはいません。死んで体が無くなっても、心は残ることを、知っていたからです。だから前のように、体がいうことをきかなくなっても、くよくよしたりしませんでした。ただ後に残していく友達のことが、余り悲しまないようにと、言っていました。

年をとれば、だんだんからだがうごかなくなる。
そしてある夜、アナグマは、自分がげんきにはしっている夢をみる。
すっかり自由になった気がしているうちに、
やがてトンネルのむこう側へといってしまったアナグマ。
年をとって死をむかえるのではなく、
病気になり、不本意ながら死んでいくのは、
またべつのつらさがあるだろう。
でも、アナグマは、人生のとちゅうでやってきた「死」にたいしても、
きっとこわがらずに病と死をむかえられるのではないか。

まちなかで、ひとごみにもまれているよりも、
自然にちかいところで動物とくらしていたら、
やがてくる死をうけいれやすいのではないか。
自分に死がちかづいたときに、
諦念をもってむかえられたかどうか、ぜひ記事にかきたい。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月28日

日記をつけるということ

「シゴタノ!」の大橋さんが、
日記をかいたほうがいい、とすすめている。
https://cyblog.jp/40942
大橋さんが、日記についてのポッドキャストをきき、
共感した内容について 紹介された記事だ。
「日記を書いた方がいい人と書かないほうがいい人がいる」
そうで、
「書かないほうがいいのはヒマな人」
その理由がいくつもならべてあり、
ヒマなひとは、けっきょく、
日記を書こうとしても、特に何もやってないので過去をほじくり返し始める

のがおもな理由のようだ。そうかもしれない。

もうひとつ感心したのは、
「日記は、事実2割:感想8割」という方針だ。
日記は事実だけを書いても面白くないので続かない
・日記というと何時に起きて何を食べて何をした、という出来事を時系列に書きがち
・こういう日記はあとで読み返しても面白くない
・読み返しても面白くない日記を書く=無意味な作業をすることになるので絶対やめたほうがいい

自分が何を思ったのか、どう感じたのかを書く
・主観的な感想
・偏見
・誰かに対する怒り
・すごくうれしかったこと

「時系列に書きがち」は、まさしくわたしのことで、
時系列に、なにをしたかだけをかき、
感想にはほとんどふれていない。
こうしているのは、梅棹忠夫さんからの影響で、
『知的生産の技術』に、
日記というのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題ではない。日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、なにもないのである。

とかかれていたのにすっかり感心したからだ。
そして、業務日誌のような記録ばかりをつけるようになる。
業務日誌のような日記にするか、「事実2割:感想8割」にするかは、
なにを目的として日記をつけるのか、によるちがいだ。
大橋さんが紹介しているのは、
日記をかくのがすきでたまらないひとのやり方だ。
このような日記は、あとからよみかえして、成長を確認したり、
おもったことをすべてかくことで、
こころの整理をするためにつけられている。
日記は自分の内面を見つめる重要な作業 、
というかんがえが、基本にある。

わたしは「ほぼ日手帳」に日記をつけており、
デジタルとしてはscrapboxをつかっている。
ほぼ日手帳のほうには、業務日誌的な内容が中心で、
多少の感想と、おもいつきをかいている。
scrapboxには時系列になにをしたかだけをかく。
もうひとつ、まいにち更新しているこのブログも、
ひとにみせるため、というよりも、
自分のためにかいてる日記みたいなものだ。
感想をここにかいているから、
ほかのところにかく必要をかんじないのかもしれない。
日記をつける目的を、どこにおくかで、
日記はずいぶんちがうものになる。
無意識のように毎日つけているだけで、
その効用についてかんがえたことがなかった。
毎日かくぐらいだから、なにか意味をかんじているのだろう、
なんだかんだいって、わたしも日記をかくのがすきなのかもしれない。

posted by カルピス at 17:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

『梅棹忠夫の「日本人の宗教」』

『梅棹忠夫の「日本人の宗教」』
(梅棹忠夫:著・中牧弘充:編著・淡交社)

『梅棹忠夫の「日本人の宗教」』がとどく。
「梅棹忠夫生誕100年記念出版」なのだそうだ。
梅棹さんがなくなって10年がたつのに、
いまもなおポツリポツリと、
梅棹さんの本をよめるのはありがたい。

内容は、
第1章 幻の著書『日本人の宗教』を追跡する(中牧弘充)
第2章 宗教の比較文明論(梅棹忠夫)
第3章 民俗学者の発想「宗教について」(梅棹と中牧との対談)
となっている。

第1章の「幻の著書『日本人の宗教』」というのは、
「幻の著書」とは、もともと梅棹さんが淡交社から
『日本人の宗教』として依頼された本だったからだ。
これは『世界の宗教』(全12巻)の最終巻に位置づけられていた。
梅棹さんはさまざまな理由からこの本をかきあげらなかったものの、
準備としてかかれた「こざね」が、梅棹資料室にのこされていた。
そのこざねをもとに、梅棹さんがかきたかったであろう内容を、
中牧弘充さんが「追跡し、推理」してまとめ、本書となった。
淡交社の方々は、まさか企画の50年後に、
このような形で もとのタイトルどおりの本が
発行できるとはおもわなかっただろう。
おそろしく気のながい仕事をやりとげられた。

それにしても、「こざね」がのこされていてよかった。
完全にならべおえたこざねでなくても、こざねさえあれば、
あるていど梅棹さんがかきたかった内容を推察できる。
こざねは、執筆内容を整理するだけでなく、
本人にかわり、原稿のラフスケッチも しめしてもくれる。

「まえがき」のさいごには、
本書の姉妹編ともいうべき
『梅棹忠夫の「人類の未来」』が紹介されている。
この本は、1970年ごろに、
河出書房が企画した『世界の歴史』(全25巻)の
最終巻に予定されていたものの、
『日本人の宗教』とおなじように、実現する日はこなかった。
のちに小長谷有紀さんが「こざね」を資料としてまとめたものが、
『梅棹忠夫の「人類の未来」』として発行された。

どちらもの本も、シリーズの最終巻として期待されていたのに、
梅棹さん本人の著作とならなかったのがくやまれる。
ただ、梅棹さんが亡くなってからも、
こうして1冊の本としてよめるのだから、
中牧弘充さんほか、たずさわった方々、また淡交社に感謝したい。
ひさしぶりに手にした梅棹さんの本がたのしみだ。

posted by カルピス at 15:47 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月26日

映画『風と共に去りぬ』にひそむ人種差別

映画『風と共に去りぬ』が、黒人差別的だという理由から、
アメリカの動画配信サービス
「HBO Max」のラインナップからはずされた、
ときょうの朝日新聞にのっていた。
脚本家のジョン=リドリー氏による批判がきっかけだという。
映画は南北戦争前の南部を美化し、有色人種の最も痛ましいステレオタイプを永続させている

わたしが高校生のころ『風と共に去りぬ』をみたとき、
「奴隷制って、そんなにわるくなさそうじゃない?」
という感想をもった。
スカーレットにつく めしつかいの黒人女性は、
お屋敷のすべてをしきってるようだったし、
男性の使用人も、やりがいをもってはたらいていた。
黒人と白人が、おたがいにたすけあって生きているようにみえた。
うっかり そうおもわせてしまうつくりだから
この作品が問題にされるのだろう。
奴隷制や人種差別についての知識がないと、
映画をみたとおりにしんじてしまう。
「HBO Max」は、本編のまえに歴史の解説をつけたうえで、
ふたたび『風と共に去りぬ』の配信をはじめたという。

アメリカのミネアポリスで、黒人のフロイド氏が
警官にころされた事件から1ヶ月以上すぎた。
アメリカだけでなく、世界じゅうで抗議のうごきがつづいている。
アメリカはなんてひどい国だろう、と批判するのはかんたんだけど、
日本にだって外国人にたいする差別があるし、
女性差別、障害者差別と、あらゆるところに差別がはびこっている。
フロイド氏の事件がきっかけで、
アメリカの黒人だけでなく、白人も参加して、
人種差別に抗議するうごきがたかまっているという。
白人にとっても、いまのアメリカにのこる差別問題は、
けして他人事でなくなっているのだろう。
そんなふうにして、目のまえにおきていることに、
声をだしていくしかない。
『風と共に去りぬ』のあつかいはそのひとつであり、
かつては『ちびくろサンボ』が問題視されたし、
色えんぴつからは「はだいろ」がなくなった。
フロイド氏の事件をおもくうけとめ、
人種差別がなくなる方向へ 世界がかわるよう ねがっている。

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

ヒロシさんのひとりキャンプがたのしそうだった

ステイホームのとき、
キャンプ用のコンロで料理したら
キャンプした気になって たのしかった、
とネットにのっていた。
「キャンプ」の用意をするのも、
あとかたづけも楽なので、いいあそびかもしれない。

ヒロシさんのひとりキャンプをテレビでみた。
キャンプ場へゆき、たき火をして、
その火をつかって料理している。
食材は、キャンプ場にいくとちゅうのスーパーで、
気にいったものをかっていた。
家でのキャンプごっこより、ずっとほんものっぽいけど、
ひとりでキャンプして、
なにがおもしろいのだろうとはじめはおもった。
わたしもひとりキャンプをしたことがあるし、
ともだちとふたりだったときもある。
ひとりのときは、つきあってくれるひとがいなかったからで、
だれかつれがあったほうがわたしはたのしい。
ひとりキャンプは、ご飯をたべるとあとはすることがなく、
酒をのみ、はやばやとテントにはいって
ヘッドライトのあかりで本をよむぐらいだ。

ヒロシさんは、だれかといっしょだと
自分のすきなスタイルをじゃまされてたのしくないし、
気をつかうのもいやだとはなしていた。
ヒロシさんはお酒をのまないので、
ご飯をたべるとハンモックにあがり、
まわりの景色をみながらねむりにつく。
じっさいは、なんにんかでキャンプ場にでかけ、
むこうでは、ひとりひとりが自分で料理する、という
グループでのひとりキャンプのことがおおいらしい。
さみしくないし、おしゃべりはできるし、
自分がやりたいことをじゃまするひともいないし、
ひとりキャンプのよさと、グループキャンプのよさの
両方をたのしめそうだ。
恋人以外とおなじテントですごしても、いいことはないので、
なんにんかでいくひとりキャンプはいい方法だとおもう。

ヒロシさんはテントはつかわない主義のようで、
テレビでみたときは、ハンモックとタープをくみあわせていた。
テントをはるのはそうめんどくさくないけど、
テントのなかはりっぱな部屋ともいえ、
外でねる気分をあじわいたいのなら、
テントをつかわないほうがいい。
わたしは かとうちひろさんの『野宿入門』をよみ、
かとうさんの自由さにあこがれた。
でも、行動がともなわない。
野宿をしたいといいながら、夏のあつさ、
冬のさむさが我慢できないし、蚊になやまされたくもない。
なんだかんだいっても、快適さによわいわたしは、
家でのキャンプがおにあいかもしれない。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする