2017年09月14日

かとうちあきさんが野宿をはじめたころをかたっている

『野宿野郎』編集長のかとうちあきさんへのインタビューが
ツイッターにながれていた。
https://series.yahoo.co.jp/feature/expedition/3/
野宿したいと思い始めたのは中学生からです。その頃、思春期というか、わりと暗い感じだったので「このままではいけない」みたいな思いがあって。「スタン ド・バイ・ミー」(1986年公開)とか、「イージー・ライダー」(1969年公開)とか。そういう野宿映画を見て「おっ、何だこれは。青春っぽいぞ」と 思ったのが始まりです。

「野宿映画」というジャンルわけがおもしろい。
そこをつっこまれると、
えっ? でもなんか、みんなでたき火を囲みながら寝るじゃないですか。そこで主人公たちがいい話をするみたいな。あれは、外で寝る(野宿する)ことによって、きっと成り立っている映画なんですよ。

たしかに、両方の映画とも、たき火の場面が印象にのこる。
仲間といっしょにすごす みしらぬ土地での夜は、
きっと少年たちの記憶に宝物としてきざまれるだろう。
泊まる所を決めちゃうと、そこまで行かないといけないですからね。それってとっても不自由なことですもんね。

ふつうのひとには旅館やホテルがあたりまえだけど、
かとうさんにとっては快適ではなく不自由なんだ。
(高校3年生のときにやった本州縦断について)
誰でもできます! 私もやって思ったのは、「誰でも時間さえあればできるんだ」ってことで、逆にそれが面白かったなぁ。海を渡るのは自力ではできないけど、日本国内の地続きの場所だったら歩いていけば絶対着くみたいな。その感覚がわかったのが面白かったです。

そのときに長いこと野宿をして、なんかどこかで野宿が生活になった瞬間みたいなのが、すごく面白かったんですよね。

「歩いていけば絶対着く」
「野宿が生活になった瞬間」
すばらしい達観だ。
きのうのブログにバックパッカーの旅をとりあげたけど、
5番めにジャンルわけされるバックパッカーとして
かとうさんの野宿は位置づけられるのでは。
野宿をつづけることで、旅と生活のさかいをなくし、
旅にでなくても、旅びとの自由を獲得している。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

『旅を生きる人びと』(大野哲也)バックパッカーの人類学

『旅を生きる人びと』(大野哲也・世界思想社)
バックパッカーの人類学

バックパッカーが 学問の対象になるなんて。
旅行がすきで、文化人類学に関心のあるわたしには
たまらなくおもしろい本にしあがっている。
この本では、日本人特有ともいえる「自分探し」を手がかりに、
日本人バックパッカーたちの生きかたをさぐっている。
著者は筋金いりのバックパッカーであり、
バックパッキングなんてしたこともない学者が、
もっともらしくバックパッキングを研究するのとは わけがちがう。
取材したバックパッカーへの理解と共感がきわめてふかい。

本書では、バックパッカーを4つのタイプに分類し、
それぞれ例をあげながら、
どんな「自分探し」がおこなわれているかをあきらかにする。

・移動型
 可能な限り多くの国や町に行くことに喜びや価値を見いだす
・沈潜型
 気に入った町に長期滞在して、
 その町に「溶け込む」ことに喜びを見いだす
・移住型
 現地社会が気に入って移住した者
・生活型
 旅を生き続けているバックパッカーのことを指す
 移住型のように特定の社会に定住する気も毛頭ない

旅の商品化についての分析が興味ぶかかった。
商品化されている旅の例として、
タイのチェンコンからラオスのフェイサイへ、
そしてメコン川を船でくだってルアンパバーンまでのコースがある。
バックパッカーは商品化された旅を消費するだけの存在だ。
リスクは最小限におさえられ、
快適で安全な「冒険」をたのしめるシステムができあがっている。

メコン川を船でくだりはしなかったけど、
このまえの旅行でわたしがたどったのは、
ほぼこの本で紹介されているコースだ。
いかにも秘境にはるばるやってきたと、
旅行者におもわせる、異国情緒たっぷりの景色。
自分では自由に旅行をたのしんでいるつもりでも、
じつはすべてできあがったシステムのなかで
じょうずにあそばされているにすぎない。
ガイドブックにたより、マニュアルどおり、
だれかがおこなった旅をなぞるバックパッカーって、
かなり残念な存在であり、それがわたしの旅でもある。

生活型のバックパッカーにはなしをきくと、
朝起きて、朝飯の用意して、そのあと柔軟体操、ヨガも取り入れたやつを二時間くらいやって、そうすると昼になるから昼飯作って。そのあと、ちょっと休憩したり本読んだりしたら、もう夜になるから、晩飯作って。だから生きてるだけで忙しいですよ。

わたしの休日は、まさにそんなかんじだ。
日本にいながら「旅に生きている」のかもしれない。
わざわざ外国へ旅にでなくていいのかも。
 ルーティン化した日々の生活に旅を実感している人は少ないかもしれない。一方、旅を生き続けている人も、日々の移動にいまさら旅を強烈に実感することはないかもしれない。しかし「私」の実感はどうであれ、「私」は、自己の生が尽きるまで、「私」だけの生を歩み続けなければならない。(中略)
「私」が踏んだ場所には「私」だけの足跡が残っていく。この足跡こそが、「私」だけの旅路であり、最後の一歩の地点こそが「私」がたどり着いた、そして「私」だけがたどり着くことができた到達点なのだ。
 「私」は、到達点は見えないが、それでも、より善き生に向かって、機知を操りながら、日々旅をしているのである。

生活型バックパッカーの生き方をみていると、
月なみな表現ながら、人生は旅であり、旅はまた人生であると、
いまさらながら 気づかせてくれる。
彼らはまさに旅をつづけながら、生きている。
旅にでようがでまいが、けっきょくは旅を生きているのであり、
どう生きるかが ひとりひとりにとわれている。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

180度 発想をかえてみる

ピピがまた 枕のうえでおしっこをした。
これで4どめとなる。
さいわい、枕をトイレシートでくるんでから
枕カバーをかけておいたので、
枕につめてあるビーズまで おしっこはとどかなかった。
4回もつづくと、これはもう あきらかに
ピピは枕のうえでおしっこをするのがすきなのだ。

こうなったら、枕をまもるというこれまでの対応から、
180度 発想をかえ、おしっこは 枕の上でするものと、
あたらしいとりきめをピピにしめしたらどうだろうか。
どこでおしっこをするかわからないと、
いたるところにトイレシートをしかなくてはならない。
トイレとしての枕でおしっこをしてくれたら、
全体としては、おしっこ被害がなくなる。
厳重にトイレシートでくるめば、
枕のなかまでよごれたりしない。
ピピには気もちよく枕の上でおしっこをしてもらおう。
われながら神対応におもえ、自分で感心してしまった。

きょうのできごとで、もうひとつさえていたのは、
仕事が一段落したときのプチ終礼をやめたこと。
わたしがはたらいている事業所には、
刺激にとても敏感なひとがいて、
めずらしい自動車がとおったり、
いつもはいないひとがきゅうにたずねてくると、
その刺激にすぐさま反応し、ワーッとおおさわぎになってしまう。
しずかに、とかイスにすわりましょう、なんていってもだめだ。
刺激に反応する障害特性なのだから、
刺激をできるだけ とりのぞくしかない。
しかし、当然ながら 日常生活には
刺激となる不意なできごとにみちているわけで、
気もちの波をなくすのは そうかんたんではない。

クッキーづくりが一段落し、
これから配達やらかいものにでかけるというまえに、
ささやかな終礼をして、その日の活動をふりかえるのが、
クッキー班のおやくそくになっている。
どうも、そうやって終礼をすることじたいが、
おおさわぎにつながっているのに気づいた。
仕事が一段落したときなので、あそびたい気もちもあるのだろう。
そんなときに わざわざ終礼なんかをはじめると、
その会がひきがねになって さわぎたい気もちに火をつけてしまう。
終礼でのわるふざけをくりかえしてきた習慣から、
終礼が、おふざけの合図になってしまった。
それなら、終礼じたいをやめてしまったほうが、
感情の波をおおきくしないですごせる。

いろいろ工夫して、なにかのシステムをあらたにつくるのではなく、
すべてやめてしまうという ひき算の発想が気にいっている。
あれこれつけくわえるよりも、
あんがいこの対応はあたっているのではないか。
ピピのトイレとして枕を位置づけること。
終礼をとりやめて刺激をすくなくすること。
われながら、さえてるいちにちだった。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

田中小実昌さんにつられてジンをかってみる

朝日新聞の土曜日版beで、新宿ゴールデン街がとりあげられていた。
作家やアーティストなど、
あやしげな業界人がこのんだ のみ屋街だという。
常連客としてゴールデン街にでいりした作家に、
田中小実昌さんの名前があがっている。
コミさんは、もっぱらジンをこのみ、
とうぜんながら、いつもよっぱらっていたそうだ。

わたしがはじめて小実昌さんをしったのは、
アメリカの軽ハードボイルド作家、
カーター=ブラウンの翻訳者としてだった。
カーター=ブラウンの作品は、なんにんかのひとが訳しているけど、
そのかるい世界をあらわすのに、
小実昌さんの訳がいちばんしっくりくるようにおもった。
アル=ウィーラ警部のでてくるシリーズが、
わたしはとくにすきだった。
ハードボイルドなのに、ちからをぬいて生きているのがいい。
やたらと軽口をたたきながら、あんがい仕事はちゃんとやっている。

エッセイをよむと、小実昌さんは、
日本でも外国でも、しらない町へでかけ、
いきさきのわからないバスにのるのがすきらしい。
いかにも自由きままなすごし方がかっこいい。
そして、旅さきでも、やはりジンを基本に 酒をもとめている。

お酒をかいにいったとき、いつもだと、
ジンはゴードン=ドライジンにきめているけど、
ほかのジンもためしてみる気になる。
小実昌さんの記事が頭をかすめたからだ。
小実昌さんはきっと、どのジンがいちばん、
なんていわなかっただろう。
ジンのかおりがして、よっぱらえたらよかったのではないか。
わたしだって、こまかなちがいがわかるほど、
りっぱな味覚はもっていない。

かったのは、おなじみのゴードン=ドライジン・
ギルビー、そしてボンベイ=サファイアの3本だ。
ボンベイ=サファイアだけ、うすいブルーの色がついている
(とおもったら、ビンの色であり、ジンは透明だった)。
ゴードンとギルビーは37.5度で、ボンベイ=サファイアは47度。
ギルビーは値段のやすさにつられ、
ボンベイ=サファイアは、しりあいがすすめていたから。

ためしてみると、やはりゴードンがいちばんおいしくかんじる。
ただ、なんとなくゴードンのほうが、というレベルなので、
そのうち違和感はなくなるかもしれない。
わたしがジンをのむときは、ほとんどの場合ジン=トニックだ。
ことしになって、レモンではなくライムを、
冷蔵庫の氷ではなく、ロックアイスへと すこしこだわってみる。
のこりの人生で、あと何回ジン=トニックをのめるかわからないので。
ギルビーは、水わりのほうがいい、と
ネットにのっていたのでためしてみる。
たしかに、ソーダやライムをいれないほうが、
おいしいような気がした。
いずれにしても、ジンはこゆめにつくったほうがおいしい。
うすいジンほどふやけた酒はない。

「なにかのみますか?」とたずねられたときに、
アル=ウィーラ警部はきまって、
「スコッチのオン・ザ・ロック、ソーダをちょっぴりいれて」
とこたえていた。
ジンもいっしょだ。
あくまでも こゆく、ソーダはちょっぴり、が
ただしいジンの たのみ方である。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

地区の運動会に参加する

地区の運動会がおこなわれた。
体育委員をやってるので、必然的に参加しなければならない。
きょねん、100メートル競争でビリになった記憶がまだあたらしい。
そもそも、わたしは運動会にいいおもいでがない。
小学校のときから、短距離がおそくて、
運動会ではいつもビリにちかいほうだったし、
小学生として参加した地区の運動会では、
リレーでわたしがバトンをおとしたため順位をさげた。

体育委員になってまだ2年めなので、
まわりの顔になじみがなく、わたしの存在は完全にういている。
さいわい、競技観察係をおおせつかったので、
本部テントにつめる時間がながく、
地区のひととあまり顔をあわせなくてもよかった。
競技観察係は、なまえがりっぱなだけで、
じっさいはたいした権限があるわけではなく、
ただたっているだけに かなりちかい。
リレーでは、グランドのあちこちに紅白の旗をもってたち、
OKなら白旗を、ダメなら赤旗をふって合図する。

小学生がはしるところをみていると、
短距離は、完全にセンスがものをいう世界なのがわかる。
はやい子は、学年がひくくてもかっこいいはしりをするし、
おそい子は おさないころから
ギクシャクとしたうごきを身につけている。
わたしも、子どものころ すでに
いまのはしりが完成していたのだろう。

女性が出場するレースでは、
必死にはしりる女性のうつくしさに胸をうたれた。
いいかげんにながすのではなく、
一生懸命にはしりながらも、うつくしさをたもっている。
お化粧もしてるみたいだし、髪のセットもみだれない。
『ルパン三世カリオストロの城』では、
スパイとして潜入している不二子ちゃんにルパンが
「仕事に熱中してるご婦人ってのは、うつくしいねー」
という場面がある。
たしかに。
気どらずに、全力をつくしている女性は、ハッとするほどうつくしい。

男だって、けっこう本気で運動会にうちこんでいる。
閉会式では、不本意な成績に満足できなかった男性が、
放心状態となり、式のとちゅうで列をはなれ、
自分たちのテントへもどっていくのをみた。
まわりのひとは、どう声をかけようかとこまっていた。
わたしの地区でも、ながいあいだ体育委員をしているひとは、
地区の成績に本気でこだわっており、
委員になって2年めのわたしなど、まったくおよびでない存在だ。
運動会にさきだつ準備会では、
たかだか運動会とはいえない雰囲気のもとで、
2どのうちあわせがもたれ、選手選考に知恵をしぼっている。
参加できるひとにおねがいする、というよりも、
かてるひとをどう確保するかが選手選考会なのだ。
運動会というよりも、選手権レベルの意気ごみなのがすごい。
すごいけど、わたしとはずいぶんちがう価値観の世界であり、
なんかいかかわっても なかなかなじめない。

posted by カルピス at 19:56 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

『再婚生活』(山本文緒)うつ病からの復帰、第一弾の日記エッセイ

『再婚生活』(山本文緒・角川書店)

山本文緒さんの『再婚生活』は、
うつ病で入院し、そして退院してからの生活が
日記エッセイとしてつづられている。
といっても、闘病記をかんじさせるおおげさな表現ではなく、
体調と気もちのうつりかわりが ありのままにかいてある。
状況は深刻だけど、そうおもわせないかるさがいいかんじだ。
うつは、たいへんな病気だなーとおもいつつ、
ひとの生活をのぞきみするのがすきなわたしはには、
興味ぶかい日記だった。
わたしがしばしばかんじる「だるさ」について、
この日記にはひんぱんに登場するのにも共感できる。

山本さんは、だるさの度あいを「ダルサ指数」としてあらわしている。

・本日の私は大変元気。ダルサ指数0。
・たっぷり14時間睡眠で、体調は15ダルサくらいに回復の模様。
・夜に症状がでて120ダルサで苦しむ
・ダルサはメーターを振り切ったまま

「120ダルサ」なんて、おもしろいあらわし方だ。すごくわかりやすい。
わたしのだるさも、もしかしたら精神的なものではないだろうか。
脳がブレーキをかけるから、からだがだるいのかも。
うつ病のだるさといっしょにしたら、
うつ病のひとからは、なにをあまえたことを、と
ヒンシュクをかいそうだけど、
まあそこはダルサ指数のひくい初心者としてゆるしてもらおう。

わたしのだるさは、それほど深刻なものではないけど、
だるいときに、ほんのすこしクッキーをたべると、
まるで薬をのんだみたいに げんきがでる日もあり、
わたしのだるさは血糖値のひくさが関係してるのかもしれない。
貧血ぎみでもあるので、鉄分をおぎなう薬をのんでもいるけど、
こちらのほうは、即効性がなく、
きいているのか いないのか よくわからない。
めんどくさがりのわたしは、
めんどくささとだるさの関係をうたがっていたけど、
精神的なものとかんがえると、納得しやすい。
だるいときは、だるいとかんがえてもどうにもならない。
どうにもならないので、だるさはないものとするのも ひとつの手だ。

山本さんは、うつ病とつきあいながら
仕事をし、けっこうあそびあるき、
おもったことをかくさずにひとにつたえている。
ストレスをためない生活にみえるけど、
それでも体調をコントロールできないのだから、
うつ病はやはりたいへんな病気だ。
でも、たいへんはたいへんとして、この本をよめば、
うつ病のひともすこしは気がやすまるのではないか。
うごけなくても、家事ができなくても、
病気なんだからしかたないとおもえてくる。

posted by カルピス at 17:08 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

きゅうにおとずれた「絶好調」がいつまでつづくのか

アルバイトのあとで、2週間ぶりにおよごうと プールへでかける。
水のいれかえで、プールはつかえなかった。
はしったりおよいだりするまえは、
できたら練習したくないなー、という気分と体調のことがおおいけど、
このごろすごくからだがよくうごき、
はしるのが気もちよくなっている。
ひさしぶりのプールで、どんなおよぎができるのか、
そして、体調のよさはほんものだろうかと、
たのしみにしていた水泳だったので 残念だった。

カツ丼をたのしみに お店にでかけたら、やすみだった、という場合、
カツ丼がだめならラーメンにしようか、とはならない。
とくに、そのお店が絶対的な存在の場合、
なかなか頭とからだが変更を納得してくれない。
そんなときは、自分でカツ丼をつくる手があるとおしえてくれたのは、
『哀愁の町に霧が降るのだ』にでてきた沢野さんだ。
たしかにこの方法だと、絶体絶命のピンチを
ギリギリのところでチャンスにかえる可能性がある。
でも、プールでおよげない場合は、どうやってのりきればいいのか。
プールには、トレーニングジムが併設されているけど、
ジム用のズボンをもっていなかった。
さすがに水泳パンツでトレーニングするのは はずかしいし、
ひとさわがせでもある。
車にのりこんだまま、どんな選択肢があるのか しばらく検討したけど、
けっきょくきょうのところはなにもできないという結論にいたる。
家にもどって体幹トレーニングをするのがせいぜいで、
欲求不満なからだをなだめるように、
家でしこしことからだをうごかした。

なぜきゅうにからだがうごくようになったのか わからない。
ずっとだるさがつづいていたので、
ふつうにうごけるようになると すごく楽だ。
ひとは気分でうごいている、となにかにかいてあったけど、
ほんとうに、からだがキレキレだと、
なにごとにもまえむきでいられる。
道ですれちがう しらないひとにも上機嫌で声をかけそうだ。
ジョギングでは、これまで30分はしると
ようやくウォーミングアップがおわる、
みたいなかんじだったのに、
このまえは はじめから気もちよくはしれたのでおどろいた。

新聞広告に「家内も驚いた、みなぎる活力」なんて薬がのっている。
わたしの場合はそっちの「活力」ではないので
残念ながら配偶者はちっともおどろかないけれど、
もし薬でいまみたいにからだがうごくようになるのなら、
サプリにたよるのもありだなとおもう。
80歳をこえてからエベレストにのぼり有名になった三浦さんは、
サントリーのセサミンをのんでいるという。
ほかにも、調子がよくなるというサプリを、
新聞だけで何種類も目にする。
ケチで貧乏なわたしは、サプリの効果をしんじてなかったので、
これまでいちどもためしたことがない。
わたしの絶好調は、なにがよかったのか、
そして、いつまでつづいてくれるのか。
朝おきたとき、なにかのかげんで、
またあのだるいからだに もどっているのでは、と ヒヤヒヤしている。

posted by カルピス at 21:19 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

みていないサウジアラビア戦を「分析」する

9月4日は、ブログをかきはじめて6年目となる記念日だった。
10年連続をめざし、いまようやくその2/3までこぎつけた。
あんがいへっちゃらかも、とおもう日があるかとおもうと、
適当なネタをおもいつかず、むりやりのりきることもある。
きょうもまた、そんないちにちかもしれない。
なにしろ、みてもいないのに、サッカーの試合についてかくのだから。

サッカー日本代表は、Wカップアジア最終予選の最終戦で、
サウジアラビアと対戦した。結果は0-1の完敗。
8月31日におこなわれた対オーストラリア戦にかち、
6どめのWカップ出場をきめていたからよかったようなものの、
もしあの試合をおとしていたらとおもうと ぞっとする。
どうしてもかたなければならないサウジアラビアと
アウエーでたたかうなんて、
ナイーブな日本代表には たえられそうにない。

時差の関係で、試合は日本時間の午前2時30分
(9月6日)からはじまった。
もうWカップの出場がきまっているので、
深夜におきて(あるいは ねないで)
つきあうほど大切な試合ではない。
録画して、夕方にゆっくりみようとたのしみにしていた。
結果のわかった試合を録画でみる是非はともかくとして、
消化試合ともいえる試合なので、安心してみられるはずだ。
でも、録画に失敗し、試合結果だけをしることとなる。
そのうち試合のようすが耳にはいってきて、
あまりかんばしくない内容だったのをしる。

オーストラリアとの試合が、
攻守とも すばらしくはまっていたので、
わたしは手ばなしでよろこび、
日本代表のさらなる可能性によいしれた。
でも、かたなければ2位以内にはいれない
サウジアラビアが相手では、状況はかなりきびしくなる。
ましてやアウエーなのだから、
気象条件やスタンドからのブーイングなど、
おおくの点が日本にとって不利な環境だ。
日本チームは、先取点をゆるしたあとも、
自慢の堅守速攻がちぐはぐなまま、
ずるずると試合終了をむかえたようだ。
オーストラリア戦といれかえた選手たちが、
めだったはたらきをしなかったようで、
収穫にとぼしい最終戦となった。
なんどでもくりかえしていうけど、
ほんとうに、オーストラリア戦で
Wカップ出場をきめていてたすかった。

試合をみていないのに、
その試合についてブログにかくのは「あり」だろうか。
村上春樹さんの小説にでてくる「撲」なら、
試合をみずにブログをかくのが、はたしてただしい行為だったのか
わたしにはわからない、とかいって、なやんでみせる場面だろうけど、
こんなのに「ただしい」も「ただしくない」もない。
サッカーの感想から、ただの日記へと、
わたしのなかでのジャンルがうつっただけだ。

とはいえ、だいぶまえの読書で、
村上龍さんが、よんでいない本の解説をかいたとしり、
おどろいたことがある。
それにくらべれば、まだ罪はかるいのではないか。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹・川上未映子)

『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹/川上未映子・新潮社)

村上作品の熱心なファンである川上未映子さんが、
4回にわたるロングインタビューで村上さんにたずねる。
帯には、「ただのインタビューではあらない」のコピーがあり、
『騎士団長殺し』を中心に、小説家であり、
村上作品のファンである川上未映子さんでなければ
たずねられないような、創作にまつわるはなしがおおい。
引用しだしたらきりがないので、
ここでは かんじたことをすこしだけ。

インタビューの1回目は、文芸誌『MONKEY』に掲載されており、
それが そのまま本書の第1章となっている。
わたしは『MONKEY』により、すでに第1章をよんでいたわけだけど、
かかれている内容を ほとんどわすれていた。
『みみずくは〜』をよみながら、
大切そうなフレーズに えんぴつで線をひく。
あとから『MONKEY』をひっぱりだして、
まったくおなじ ふたつのインタビューをくらべてみると、
さすがといいうか、ほぼおなじようなところに線がひいてあった。
はじめてよむ本として あらたに感心するなんて、
いくら線をひいたって、これではなにもしないのといっしょだ。

ひらきなおってべつのいいかたをすると、このインタビューには、
なんどよんでも感心したくなるおもしろさがつまっている。
「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」
なんて、もういちどよんでも線をひきそうだ。
村上さんが小説をかくときの、具体的なうごきと気もちのもち方を、
これほどこまかくききだしたインタビューはない。
そして、村上さんの 小説にたいする勤勉さと自信が、
川上さんの質問によりうかびあがる。
これまでわたしは 川上未映子さんの作品をよんだことがないけど、
どんな小説をかくひとなのか、しりたくなった。

posted by カルピス at 22:37 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

2度目のチェンマイマラソンへ

米子空港からタイのチェンマイまでのチケットを予約する。
12月24日におこなわれる、
チェンマイマラソンに参加するためだ。
8月にあったのみ会で、マラソンへの挑戦が話題となり、
わたしはまえにはしったことのある
チェンマイマラソンをレース仲間にすすめた。
はなしがすんなりすすみ、
なんとなくわたしもいっしょに参加することになる。

6年まえの2011年に、初マラソンとして、
わたしはこのチェンマイマラソンではしっている。
タイムは4時間50分。
300人程度と、こじんまりとした大会だし、
コースもほとんど平坦なので初心者むきといえる。
スタートが午前4時と、体調をととのえにくいけど、
これはまあ、なんとかするしかない。
冬のチェンマイは、日本の秋みたいな気候なので、
熱帯地方のあつさを心配せずに参加できる。
レースのあとでうける タイマッサージが いまからたのしみだ。

レース仲間といっしょに参加するといっても、
わたしがおぜんだてするのはめんどくさいので、
現地集合という形にした。
それぞれ自分の事情があるわけで、
いつ出発し、いつ日本にかえるのかまで
ひととあわせていたら 旅行はつまらない。
現地集合・現地解散だと、気らくに計画でき、うごきやすい。

そうか、またあのコースをはしるのかと、
ひさびさのマラソンにむけて 気もちを整理していたら、
うちあげから1週間もたたないうちに、
レース仲間からメッセージがとどいた。
エントリーをすませ、チケットとホテルの予約もおわった、とある。
12月24日のレースなので、まだまだ時間に余裕があると、
わたしはのんびりかまえていたので、
すばやいうごきにおどろいてしまった。
相棒は、海外旅行がこれで2度目なので、
もっと慎重にはなしをすすめるとおもっていたのだ。
せかされるように、わたしもチケットをさがしはじめる。
そして きのう、米子から羽田、
そしてバンコクのスワンナプーム経由で、
チェンマイへ、というチケットを予約した。
朝7時半に米子を出発し、
夕方の6時半にチェンマイについている予定だ。
12万5850円と、それなりの値段だけど、
これほどスムーズなのりつぎはのぞめないだろう。
おそるおそる予約のボタンをおす。
いつもながら、最終的な決定となるボタンをおすのはビビってしまう。
だいそれたかいもののような気がするし、
もっと条件のいいチケットをさがしたくなる。
でも、じっさいは、はやくきめても問題はないし、
そのほうがあとのうごきを楽にする。
というわけで、おもいがけず、
12月22日から、1月2日までのタイ旅行がきまった。

チェンマイマラソンだけでなく、
そのあとにタイ東北部をまわるのをたのしみにしている。
自転車かバイクをかりて、東北部のメコン川ぞいをまわりたい。
これまでタイの北部へは たびたびいっているけど、
東北部はなんとなくあとまわしにしてきた。
まえの旅行でたずねた ラオスのメコン川ぞいが、
のんびりした雰囲気でここちよかったので、
タイ側でもにたようなすごし方ができないだろうか。

posted by カルピス at 21:46 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする