2017年05月06日

『アカペラ』(山本文緒)わたしがすきな家出のものがたり

15歳のたまこが72歳の「じっちゃん」と家出するはなし。
よんでいて、わたしは家出ものがすきなのに気づいた。
家出をすれば、たいていはロードムービーになる。
わたしはロードムービーもすきなのだ。
ほんとうは、家出ではなく「かけおち」なのだけど、
ジャンルわけとしては「家出もの」としてくくれる。

家出するからには、それなりの事情がある。
たまこの父親は家にまったく意識のないひとで、
母親もときどき家出してしまい、たよりにならない。
たまこは15歳だけど、両親がいなくてもしっかり生きているし、
「じっちゃん」とふたりだけのほうが
おちついてくらしていける。

じっちゃんとかけおちしたのは、
じっちゃんが老人ホームにいれられそうになったからだ。
だれだってそうだけど、きらいなひとといっしょにいたら
おちついてくらせない。
じっちゃんは、たまこのお母さんがいっしょでは、
気がやすまらず ボケの症状がでてしまう。
たまこのお母さんは、じっちゃんをボケ老人あつかいして、
なにか失敗するとひどくいじめる。
たまこは、自分とふたりなら、
じっちゃんがなんでもできるとしっているので、
中学を卒業したら、じっちゃんとふたりだけでくらそうと、
進路をバイトさきの古着屋にきめ、
学校の進路調査に「就職」とかいてだした。

わたしの義父に認知症の症状がでると、
本人の気もちとは関係ないところで
まわりが老人ホームへのはなしをどんどんすすめた。
身内でも、そんな残念なはなしがじっさいにあったので、
たまこがじっちゃんとふたりでくらそうとしたのがうれしかった。

そうはいっても、中学生の女の子が、
おじいさんとふたりでくらしていくのを
だれもがかんたんにはみとめないわけで、
たまこの担任も、高校だけはでておけと、
無難な生きかたをアドバイスしようとする。
この先生がまたいい味をだしてくる。
『アカペラ』にリアリティをもたらしているのは、
世間を代表する立場として先生がいるからで、
でも この先生は だんだんとたまこのちからになっていく。
ラストがきれいにおさまり、いい気もちでよみおえる。

この小説をおしえてくれたのは、
北上次郎さんと大森望さんによる『読むのが怖い!Z』だ。
絶賛してあったので よみたくなった。
このように、ふるい書評を参考に本をえらべば、
お金をかけずにおもしろい本を手にできる。
たとえば、『本の雑誌』のふるい号をひっぱりだすと、
すごくおもしろそうに「最新刊」が紹介してある。
最新号の書評だと、たとえおもしろくても図書館で
かりるわけにはいかないけど(まだはいってないか、
人気があってかりる順番がこない)、
ふるい本ならたいてい図書館で手にはいるだろう。
ブックオフでも100円コーナーにならぶ可能性がたかい。
ふるい書評にたよるのは、いいことばかりだ。

posted by カルピス at 19:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

ものわかりのよさとコミュニケーション

ひごろ仕事で障害をもったひととせっしており、
そのなかには、いっけん障害があるようにはみえないひとがいる。
自閉症のひとがそうだし、精神障害の方も、
ちょっとかかわっただけでは 障害がわからない。
耳がきこえにくくて わたしのいったことが
つたわらないのかもしれないし、
ゆっくりあるいているひとは、
なんらかの病気でゆっくりしかあるけないのかもしれない。
声がちいさなひとは、なにかの事情があるのかも。
むこうからあるいてくるひとが、わたしにぶつかってきたときは、
もののみえ方に、なにか理由があるのかもしれない。
すごくふとったひとは、怠惰な生活の結果なのではなく、
ひとには説明できない 問題をかかえているのかもしれない。
なにごとも 自分を基準にきめつけてはろくなことがない。

で、わたしはなにかとものわかりがよくなり、
あいてのうごきに自分とちがうところがあっても、
たいていは「なにか事情があるのだろう」と
そのままスルーすることがおおくなった。
よほど確信をもたなければ、「もっとはやく」とか、
「もっとおおきな声で」とはもとめず、そのままうけいれる。
さらにいえば、障害とは関係なくても、
ゆっくりしたうごきやちいさな声は
そのひとのやり方であり、生きるスタイルかもしれず、
それはそれでわたしが干渉すべきものではない。

そうやって ものわかりよく解釈していると、
まわりとのトラブルはなくなり、
わたしがいやなおもいをすることもない。
でも、そうやっていろいろさきまわりするのは
たいしていいことではないような気がしてきた。
なにかの事情があるかもしれないけど、
それを指摘するのはけして相手を侮辱するのではない。
はじめからはっきりことばでといかけて、
それについて相手からの説明をうければいい。
気をまわしすぎて、さきまわりするよりも、
相手だって、そのほうがつきあいやすいのでは。
ことばでやりとりすればいいだけのことで、
コミュニケーションとはそういうものだろう。
相手の事情をうけいれつつ、
こちらはこちらのかんがえを説明すればいい。
気をまわしすぎると、コミュニケーションにならない。

いいたいことをいって、あいてのはなしもよくきき、
それですっきりした関係がつくれるひとが おとななのだろう。
そんなあたりまえのことを、このごろああだこうだかんがえている。

posted by カルピス at 18:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

自然農法による 3どめの米つくり

田んぼに種もみをまく。
自然農法による直播栽培なので、
田うえをせずに、田んぼに直接 種もみをまくやり方だ。
ふつうなら、トラクターであらおこしをして、
そのあと水をはり しろかきするところを、なにもしない。
原っぱのような田んぼが きょうの舞台だ。

まず、田んぼの土と種もみをまぜあわせた団子をつくる。
一粒ひとつぶの団子をつくるのはめんどうなので、
はじめはほそながい団子、そう、ウンコみたいな形にのばした。
すこしそれがかわいてから、ちいさなかたまりにちぎっていく。
この方法がただしいかどうかはわからない。
でも、やっていると、これ以外にやりようがないので、
3年間、おなじやり方をくりかえしている。
うんこ状の種いり団子.jpg
いままではひとりでずっとやってきたけど、
今回は、興味をもってくれるしりあいをさそって
いっしょに仕事をすすめた。
麦は種いりの団子なんてつくらず 畑へちょくせつ種をまくのに、
なんで稲はそうしないのだと たずねられた。
そういえば、ほんとにそうだ。なぜだろう。
鳥や虫にたべられてしまうから、とこたえたけど、
なぜ麦ではできて、稲だとできないのか、
わたしもよくわかっていない。
種いり団子.jpg
できあがったサイコロ状の種いり団子を
ひとつぶずつ田んぼにおとしていく。
きょねんとおととしは、花さかじいさんみたいに、
パラパラと団子を田んぼにばらまいた。
らくだけど、これだと 芽がでてきたときに、
どれが稲で、どれが雑草なのか わかりにくいい。
そこで、ことしはロープをはって、
等間隔に団子をおとすことにした。
種いり団子の数と、田んぼのひろさから、
おおざっぱに計算して50センチ×100センチの間隔をわりだす。
計算とはよべないような「超計算」だけど、
不思議にぴったりまきおえたので、
どうやら計算があっていたみたいだ。
花さかじいさん方式だと15分でまきおわるけど、
ロープにそって ひとつぶずつおとしていくと、
ふたりで1時間半かかった。
田うえにくらべると はるかに簡単とはいえ、
腰をかがめながらの仕事は けっこうきつい。
でも、ものすごくこころもとない花さかじいさん方式よりも、
たしかな手ごたえがある。
豊作の予感だ。
稲がたわわにみのった田んぼを あたまにうかべる。
種まき.jpg

posted by カルピス at 12:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

ガルポプに、ついていけたいけど、ついていけないわたし

ヒャダインさんの「ガルポプ!」や
津野米咲さんの「ゆうがたパラダイス」をきいていると、
ゲストとのおしゃべりはすごくたのしいのに、
そこで紹介される曲のどこがいいのかわからない。
最近のお気にいりといわれる曲をスタジオでききながら、
「いいですね〜」といいあう場面でも、
わたしにはまるでピンとこない。
いまはやりの曲だけでなく、あの曲をなんどもきいてそだった、
みたいなむかしの曲名をもちだされても、
わたしはほとんどカヤのそとだ。
それだけオヤジ度がたかいということなんだろうけど、
残念だし、なんだかさみしい。
ヒャダインさんや津野米咲さんのような、
最前線をゆくひとの感性にふれ、
なんとかついていこうときめたのに、
きめたからといって ついていけるものではなかった。
音楽を理解するちからにとぼしいのは、
感性の問題だけに、だめなときは、
どこにもひっかかりがみつからない。

もちろん、このみにはちがいがあってあたりまえなのだけど、
たとえば本についてなら、すぐれているかどうかが、自分でわかる。
書評家の記事を参考にすることはあっても、
よんでみておもしろかったかどうかは 自分で判断できるし、
ある程度たしかな目をもっているとおもう。
本屋さんへいって、かう本にまよったり、
図書館でよみたい本をきめられないなんて
わたしにはかんがえられない。
でも、いまはやりの歌謡曲やアニソンは、
わたしがよさをしろうとしても、なんのことやらさっぱりわからない。

美術もにたようなものだ。
わたしはこれまで有名な美術館、
たとえばルーブルやオルセーをたずねたことがあるけど、
たくさん名作とよばれる作品がならんでいるのに、
ほとんどなんの感動もおぼえなかった。
こういうのは、どこがどういいのか、
こまかく説明されて納得するものではない。
理屈ではなく、感性の問題なので、
ピンとこなければそれでおわりだ。

ミュージシャンのはなしをきいていると、
順番として、わかいころに熱中した体験がまずあり、
そこをスタートとして、
あとは 自分のこのみがうつりかわる過程を観察していく。
わたしには、20歳をすぎてからききだした
RCサクセッションしか 核となる音楽体験がなく、
いまあたらしい曲をきいても、基準になるポイントがない。
わかいころにどっぷりつかった体験が、
どれだけ大切な財産なのかを いまさらながらおもいしらされている。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

清志郎の命日に 友だちから連絡がある

きょうは清志郎の命日だなーと、
なんとなくおもっていたら
友だちから電話がかかってきた。
ラジオがやたら清志郎をとりあげるので
きょうが清志郎の命日だと気づいたという。
そして、清志郎といえばあいつだと、わたしに電話をくれたのだ。
ひさしぶりにきくなつかしい声だったし、
なによりも清志郎の命日に連絡をくれるなんて すごくうれしい。

この友だちとは、10年ちかくまえに
福祉業界の研修でしりあった。
介護職のなれのはてになりつつあったわたしとちがい、
彼は支援のむつかしい行動障害の障害者を
どうささえていくかに情熱をかたむける立派な人物で、
地域の中心的存在として わかいひとたちからしたわれている。
でも、わたしとの関係では、
福祉をはなれた どうでもいい話題にかぎられ、
よんだ本や みた映画について はなしている。
そんななかで、共通するすきなミュージシャンが清志郎だった。
まわりに清志郎のことをはなせるひとがいないので、
命日であるきょう、わたしに電話をくれたという。
したしい友だちがほんのすこししかいないわたしにも、
こんな友だちがいてくれるしあわせ。
気の合う友達って たくさんいるのさ
今は気付かないだけ
街ですれちがっただけで わかるようになるよ

というRCサクセッションの「わかってもらえるさ」
をおもいだす。

清志郎が亡くなって、8年がたつ。
わたしがすきな清志郎は、
RCのころ、やせてツンツンとんがった髪をしている清志郎だ。
時代や世間に反発し、あぶなっかしい空気をふりまいていた。
でも、うたっている内容は、
だめな男のトホホなはなしだ。
清志郎についてのそんなむかしばなしを、
友だちとひさしぶりにはなしあった。

posted by カルピス at 23:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

『トゥルー・ロマンス』本筋以外でみどころがいっぱい

『トゥルー・ロマンス』
(トニー=スコット:監督・1993年・アメリカ)

わかい男がバーで女性をくどいている場面からはじまる。
カンフー映画はどう?とさそわれ、
「わたしがカンフー映画へ?」と
女性はあきれているのに、
「しかも3本だてだぜ」と
得意そうに もっとはずしていくのがおかしい。
いかにもタランティーノらしい作品だけど、
監督ではなく、脚本としての参加だ。

なかでもすきな場面は、
デニス=ホッパーとクリストファー=ウォーケンのやりとりだ。
うばわれた麻薬をとりもどそうと、めぼしをつけた家に
イタリア系マフィアの相談役としてウォーケンがおとずれる。
麻薬をもってにげたむすこについてきかれても
父親(デニス=ホッパー)は「しらない」とつっぱねるけど、
ウォーケンはネチネチとプレッシャーをかける。
こわそうな連中にかこまれ、ビビってあたりまえの場面で、
デニス=ホッパーは歴史の本からえた知識をはなしだした。
シシリア人はおおむかし ムーア人におかされまくった過去があり、
シシリア人にはニガーとおなじ血がながれていると挑発する。
ウォーケンは、「おもしろい男だ」と愛想のいい笑顔をふりまき、
デニス=ホッパーのほほを両手でやさしくつつみ、
チャーミングにキスをする。
デニス=ホッパーは、おまえは黒ナスだと、
さらにおいうちをかけ、にっこりほほえむ。
ゆたかなジェスチャーをまじえながら、
おいしそうになんどもタバコをふかくすいこむ。
ギリギリの神経戦がすごくスリリングだ。
主役のわかいふたりを、このベテランふたりが、
かんぜんにくってしまった印象をもつ。
この場面みたさの『トゥルー・ロマンス』でさえある。

ブラッド=ピットがほんの端役ででてくるのもおかしい。
いつもラリってソファーにねそべるジャンキー役で、
部屋をおとずれるマフィアやら警察やらに、
しってることをぜんぶ親切におしえてあげる。
だれからもお荷物あつかいされる 人畜無害のブラッド=ピットは、
『トゥルー・ロマンス』ならではのみどころだ。

サミュエル=L=ジャクソンの名前も字幕にでてくるので、
どの場面かと注意してみていたら、
さいしょのほうであっけなくころされる麻薬の売人役だった。
メインストーリーよりも、脇に関心をむけてしまいがちな、
すてきなB級作品にしあがっている。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

小確幸を世界運動に

2時間20分そとをはしる。
お天気のなか、おもっていたよりからだがよくうごき、
たのしいジョギングとなった。
家にもどるとすぐシャワーをあび、冷蔵庫から缶ビールをとりだす。
はしりながら ずっとビールがあたまにちらついていた。
至福のとき。
原則として、6時よりまえの飲酒をきんじているけど、
ときにはきまりをやぶるから人生はたのしくなる。

ささやかだけど たしかなしあわせといえば、
村上春樹さんの「小確幸」が有名だ。
村上さんは、日常をここちよくいきるるコツとして
小確幸のたいせつさをときどきかいている。
スペシャルなイベントではなく、
ちいさなしあわせであるところがミソだ。
たとえばわたしにも・・・、とかきだそうとしたけど、
ビールとかお風呂とか、からだが直接かんじる快楽ばかりだ。
あまりにもあたりまえすぎて 気がひける。

デイリーポータルZには、ひろく読者にアイデアをつのる企画がある。
最近では、エレベーターとエスカレーターを
どうやってつかいわけるかのコツをもとめていた。
区別がつかなくて、なやんでいるひとが
あんがいおおいらしい。
いまは「ゴールデンウィークの予定を教えてください」
http://portal.nifty.com/kiji/170428199467_1.htm
をやっている。
リアルな計画ではなく、「あくまで予定」でいい、
というのがおもしろい。
たとえば
「バイクで北海道1周(バイクを買うところから)」
予定や計画、それに目標というと、実現しなければ意味がない、
みたいなかたぐるしさが きゅうくつになりがちだけど、
「あくまで予定」でよければ なんでもいえる。
なにか気のきいたことをいおうとするから
ちからがはいったり、口にだすのをためらってしまう。
デイリーポータルZぐらい敷居をひくくしたら、
たくさんのアイデアがあつまりそうだ。
「予定にしばられる」という言葉があるが、たまには予定は未定であるという余裕を胸に抱いてもいいのではないか。
予定は自由だ。未来のできごとは誰にもわからない。ならばでかいことを言おうじゃないか。

小確幸も、ひろく全国民によびかければ、
さまざまなテクニックがあがってきそうだ。
そうやって、ここちよく日常をすごせれば、
日本はもっと平和になるのでは。
はなしを世界へひろげると、日本だけのアイデアにとどめず、
全世界から「小確幸」をつのれば、しあわせはもっと盤石となる。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

まだつかってないけど、Scrapboxにかんじる可能性

先週は、ブログにいつもの倍のアクセス数があった。
いぜんかいた記事へのアクセスが集中したためで、
3日するといつもの数におちついいている。
ながくブログをつづけていると、ときどきこんなうごきがある。
ほんの瞬間的な変化だとわかっているので、
アクセス数にのぼせたりはしない。
すぐにまた、あいかわらず地味なブログにあともどりだ。

まえにかいた記事には、かいたことさえおぼえていないものもある。
管理者であるわたしでさえそうなのだから、
ブログにおとずれてくれたひとにすると、
さいきんかかれた記事だけがすべてだろう。
カテゴリーわけが徹底してないので、
たとえば「日記」としてくくられた記事は
ふるくなるほど うもれたままになる。

このごろScrapboxについての記事をよく目にする。
まだつかってないのでよくわからないけど、
ブログの記事をうもれさせないための工夫が
なにかできるような気がする。
そうおもったのは、倉下忠憲さんの記事をよんでからだ。
もし、R-styleをScrapboxで書いていたら、4700もの記事がリンクやタグによってつながり、読者をコンテンツの迷宮へと誘ってくれるに違 いない。一度入り込んだらなかなか抜け出ることがかなわない、千夜千冊のようなウェブサイトになっていたはずである。少なくとも、それくらいのボリューム だけはこのブログにはあるのだ。そして、それぞれの記事は独立しているというよりもむしろ文脈を共有している。リンクが発生する余地は多分にある。
http://rashita.net/blog/?p=19974

エバーノートは便利だけど、ただのおき場所になりがちで、
ノート同士をむすびつける機能はあまり期待できない。
Scrapboxがリンクをはりめぐらしてくれたら、
自分でかいたブログに もっと陽の目をあてられるし、
ほかのひとのScrapboxをよんだときも、
こまかな関連づけがなされて おもしろそうだ。
倉下さんがR-styleにかいた記事は、4700にものぼるので、
いまからScrapboxにいかすのはたいへんかもしれないけど、
わたしの場合はまだ2000ほどなのだから、
なんとかなるような気がする。
とにかく、まだつかってもいないのだから、なにもわからない。
漠然とだけど、はじめてエバーノートをしったときのような可能性を、
Scrapboxにかんじている。

posted by カルピス at 16:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

たいていのものは あらわなくてもだいじょうぶ

「web本の雑誌」に連載されている
荻原雷魚さんの「日常学事始」が4ヶ月以上更新されていない。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai/list.html
すきなサイトなので、かわりにわたしが、とおもったけど、
たいした「日常学」をうちたててるわけではない。
第12回の「洗うか洗わないか」に便乗して、
わたしの日常をかいておきたい。

まず、やさいをあらうかあらわないか。
まえは、もやしにさっと水をかけてからつかっていたけど、やめた。
いまは そのまま料理にくわえる。
キャベツもしっかりまいているのを
1枚1枚はがしてあらうのはめんどうなので、
たいていそのまま包丁をいれる。
わたしが子どものころにみたCMでは、
やさいを洗剤であらっていた。
なかにはお米も洗剤であらうひとがいるのだそうだ。
潔癖症というより、そういうもんだと
はじめにおもいこんでしまったのではないだろうか。

国によっては、洗剤でお皿をあらったあと、
ゆすがないで そのままかわかすところもあるらしい。
水を節約するためらしいけど、わたしにはかなり抵抗がある。
レタスはあらう。
農薬がたくさんつかってあるような気がするから。
レタスはたいていサラダにつかうので、
あらうと水をきるのがたいへんだけど、それでもあらう。
キャベツはあらわず、レタスはあらうのだから、
けっきょくめんどうかどうかが わたしは問題なのだろう。

ごぼうはタワシでこするだけだ。
まえは包丁の背の部分でしごいていたけど、
タワシでじゅうぶんと、なにかでよんだ。
タワシだけでもじゅうぶんに皮がとれるので、
アクのつよさにこまったりしない。

やさいだけでなく、自分のからだも
せっけんをつけてあらわないほうがいいそうだ。
ゴシゴシたおるであらうと、
いかにもよごれがとれたような気がするけど、
とらないほうがいいものまで おとしてしまうらしい。
わたしもためしにせっけんをやめてみたけど、
からだのヌルヌルが気になって、1週間しかつづかなかった。
シャンプーは、週に1、2回しかつかわない。
毎日シャンプーをつけてあらわないと、
頭がかゆくてたまらない、とわたしがいったら、
毎日シャンプーするからかゆくなるんだ、としりあいにいわれた。
それ以來、シャンプーの回数をへらし、
お湯だけで髪をあらうようにしたら、
たしかに頭のかゆさがとまった。

洗濯は、下着とシャツだけ毎日かえる。
ズボンとアウターにあたるフリースは、よごれるまであらわない。
冬には1ヶ月以上おなじズボンとフリースのことがある。
職場のわかい女性が、ジーンズは夏でも1ヶ月以上つづけてはく、
というのをきいて、すっかり感心したのがきっかけだ。
彼女をみならって、あらわないでいたら、
冬だったら何ヶ月でも おなじズボンで大丈夫になった。
ただ、夏はにおいが気になるので、毎日あらっている。
夏でも1ヶ月おなじジーンズをはく女性は、
どんなかおりに到達してるのか興味がわく。
彼女の対極には、いちどぬいだ服は(ズボンもだろう)
かならず洗濯する、というひともいた。
つまり、夜ぬいだら、つぎの日は かならずべつの服をきる。
そんなことをしたら、洗濯がたいへんだ。
おどろきよりも ごうまんさをかんじたものだけど、
かんがえてみれば 彼女のほうが主流なのだろう。
おなじアウターをきつづけるわたしのほうが
遠慮して生きたほうがいい。

ざっとまとめてみると、やさいにしても からだにしても、
あらうかあらわないかは、クセみたいなもので、
なれたら あらわなくても なんてことはない。
ただ、自分のからだからでるにおいは、気づかないことがある。
汗くささをふりまいて、まわりをこまらせていないか
気をくばったうえで、あらわない生活をたのしんだほうがいい。

posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

ハックルベリー・フィンにでてきた「12リットルのウィスキー」をみてみたい

『ハックルベリー・フィンの冒険』には、
出発のまえに食糧を用意する場面がときどきあり、
たとえばボートにつみこむ食糧を、
ベーコンやコーヒーなど、ひとつひとつおしえてくれる。
こういうのは小説のたいせつなテクニックで、
たとえば「ごちそうをたべました」よりも、
具体的になにをたべたのかが かきだしてあるほうが、
よむほうは安心する。

「ハックルベリー」のなかに、
「12リットルいりのウィスキー」がでてきた。
日本にも、4リットルいりの焼酎やウィスキーがうれているけど、
12リットルはさすがにないのでは。
12リットルもはいったビンや樽がでまわっていたのだから、
ウィスキーは、男たちがただよっぱらうためにのむ、
雑な酒だったのだろうと推測する。
そんな大量のウィスキーが家にあれば、
酒をたしなむ程度ではおさまらず、
のみすぎて仕事にならないにきまっている。
12リットルのウィスキーが、
あたりまえに流通していた当時のアメリカは、
いったいどんな社会だったのだろう。

朝日新聞の島根版に、お弁当にいれるおかずの数が、
島根は全国でいちばんおおい、とのっていた。
全国平均が4.5品のところ、島根は5.8品らしい。
ニチレイフーズのアンケートの結果であり、
じっさいにうれた商品からわりだした数字ではなく、
5.8品といわれてもピンとこない。

・江戸時代の藩主は食通として知られており、
 県民にそのDNAが引き継がれている
・冬の寒さが厳しく、いつでも食べられるように、
 冷蔵庫につくだ煮や漬物などを常備する家庭がおおい。
・島根は米も魚介類も野菜も本当においしい。
・大家族が多く、食卓に並ぶおかずや作りおきが多いことが
 影響しているのかも

など、いくつかの憶測がかかれているけど、
どれもたいした根拠にはおもえない。
「島根は米も魚介類も野菜も本当においしい」なんて、
ただのおもいこみであり、
だれもが自分たちの県は「米も魚介類も野菜も本当においしい」
とおもっているのでは。

わたしは毎朝 自分のお弁当を自分でつくっている。
のこりものをいれるだけだったり、
タマゴやきでスペースをうめたりがおおく、
品かずをかぞえたことはない。
冷凍食品をつかったり、色どりをかんがえたりはせず、
おなじようなおかずが毎日くりかえされる。
島根県民のお弁当としては、ふさわしくない内容だ。
キャラ弁などからは、対極に位置するお弁当といえる。
といっても、コンビニ弁当を
お弁当箱にただうつしただけでは さすがにさみしい。
雑ななかにも、なにかひかるところのあるお弁当をめざしている。
お酒だって、いくらやすくても
4リットルいりのペットボトルウィスキーをかおうとはおもわない。
なんだかんだいっても、わたしには
島根県民のDNAがながれているのだろうか。

posted by カルピス at 21:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする