2017年11月04日

『ひとり上手な結婚』(山本文緒:文・伊藤理佐:漫画・講談社文庫)

『ひとり上手な結婚』(山本文緒:文・伊藤理佐:漫画・講談社文庫)

山本文緒さんと伊藤理佐さんが、
結婚をまえになやむ わかい男女からの相談にこたえていく。
おふたりとも、わたしがすきな表現者だ。
たまたまこの企画でいっしょになったのではなく、
まえからなかがよかったみたい。
わたしがすきなひとどうしが、
おたがいにみとめあう関係だというのがうれしい。

「トイレの跳ねが耐えられない!」など、
よせられる相談はさまざまだ。
回答する側は、ふたりで相談してからこたえるのではなく、
質問によっては、ちがう方針のアドバイスとなるときもある。
おふたりとも、しっかりした生活者であり、
地獄をみてきたひとなので、ぬるいアドバイスなどおくらない。
まっとうに生きていくうえで必要な、
きびしい(ときにはつめたい)意見をきかせてくれる。

「猫を飼いたい」という 女性からの質問があった。
ネコをかいたいけど、結婚するかもしれない あいての男性は、
「世話ができない」
「動物と一緒に住むなんて信じられない」など、
まるでその気がない、というなやみだ。

伊藤さんは現実にネコとくらしているので、
当然ネコ側にたったアドバイスをおくるかとおもっていたら、
原理原則をおさえた きびしいかんがえをのべている。
ネコや犬はペットであり、家族ではない、
というのが伊藤さんの基本方針だ。
よくある「崖話」では
知らない人間とうちの猫だったら
そのひとが「うちの親 殺した」とかじゃないかぎり
人間の方 助けます

猫・・・しかも「まだいない猫」が
人間・・・しかも「今の彼氏」より
大事なはずが ありましぇん

そのあと、
「猫問題」じゃなくて「彼氏問題」では?
と喝破しているのがさすがだ。

ネコは動物であり、人間の命のほうがとうといにきまっている。
どちらか一方しかたすけられない場合、
人間をえらぶのが当然だ。
と、知識としては理解しているつもりでも、
じっさいに そんな場面にでくわしたら、
おそらくわたしは とっさにうごけない。
「ちょっとまってね」と、時間をかせいで
ネコがたすかる道を、なんとかして さがそうとするだろう。
伊藤さんを「しっかりした生活者」というのはこういう点だ。
やっていいことと わるいことが はっきりしている。

ネコとくらせないような男と いっしょになる必要はない、と
わたしならこたえるだろう。
ネコが万事であり、相性がわるいのだから、
いまのうちにわかれたほうがおたがいのためだ。
人間なんだから、なんとか自分で崖からはいあがりなさい。
「猫問題」ではなくて「彼氏問題」、
という伊藤さんのみたてが、きっとただしい。

posted by カルピス at 12:49 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

伊藤理佐さんの「わたしまできたら売れっ子」に共感する

ひいきにしている伊藤理佐さんの連載
「オトナになった女子たちへ」(朝日新聞)。
今回はハロウィーンがテーマだ。
オバケがお菓子をとどけてくれる、でも、
かぼちゃをたべる、でもない。
しってるようで、よくわからないハロウィーンって、なんだ。
伊藤さんによると、
「わたしまできたら売れっ子」
フッ。えらそうだが。わたしが耳にするくらいになったら、その芸人さんはもう売れっ子だ。ここまで来い。

この心理は、わたしにもおもいあたる。
ただし、「ここまで来い」とまで、つよ気にはなれない。
どちらかといえば、わたしがかってにすりよっている。
すでに人気がでているものについて、
わたしは「いいなー」とおもうようだ。
すこしまえの例では、ラグビーの日本代表だったり、
「あまちゃん」だったりする。
ようするに、ミーハーなのだろう。

伊藤さんの関係者では、
長野にすむご両親まで ハロウィーンがきたというのだから、
文句なしに社会現象といえるだろう。
わたしの母は、伊藤さんのご両親よりも高齢なせいか、
なにかあたらしいうごきにたいしては、ほとんど関心をしめさない。
携帯電話(ガラケー)を、つかう気はぜんぜんないし、
ファッションも完全にあきらめている。
たのしみは日曜日の大河ドラマと、朝の連続テレビ小説だ。

ただ、健康法については
もういつ死んでもいい、といいながら、
たべものや運動をいろいろためしている。
よみかけの本を、わたしが机にのせていたら、
低炭水化物食やMEC食の本には すかさず関心をしめした。
母になにかあれば、介護がたいへんなので、
わたしとしても、げんきでいてくれるほうがありがたい。
納豆とヨーグルトをかかさないし、
まえはごぼう茶を自分でつくっていた。
老人も魚より肉を、ときいてからは、
肉食の老女となっている。
なが生きと健康は、すべてのひとがのぞむぼんのうなので、
はやりとはべつにとらえたほうがいいみたいだ。

わたしの母までハロウィーンがきたら、
もはや流行のレベルではなく、革命というべきだろう。
世のなかが平和であるためにも、
母にはハロウィーンからとおい存在であってほしい。

posted by カルピス at 17:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

『インドへの道』気らくにたのしめる超大作

『インドへの道』
(デヴィッド=リーン:監督・1984年・アメリカ)

超大作らしいので、なんとなく敬遠してたけど、
夕ごはんのときにみる、適当な録画がなかった、という
かなり消極的な理由でえらんだ。
これくらい最低な態度でも、
いい作品は それなりにひきこむちからをもっている。
大作らしいいやらしさをちらつかせるのではなく、
みかたによってはB級作品におもえるぐらい、
ベタな作品となっている。
ありがちな展開のせいか、かえって気らくにたのしめた。
(以下、ネタバレあり)

映画の舞台は第一次世界大戦後のインド。
イギリスから上流階級の女性2人が
豪華客船にのってインドをおとずれる。
わかい女性のアデラは、
治安判事をしている婚約者(ロニー)をたずねるためで、
ムーア婦人はロニーの母親だ。
ふたりは、植民地でのはなやかなくらしをたのしむのではなく、
ほんとうのインドをしりたいとおもっている。

帝国主義的な世界観をもつおおくのヨーロッパ人とちがい、
ふたりはインド人にたいして偏見がない。
インドのひとから、インドについておそわろうとする
柔軟な精神をもっている。
しかし、インド社会全体としては、
イギリス人を頂点とする階級社会ができあがっており、
それをゆるがすようなうごきはみとめられない。
アデラは、インド人の医師アジズと洞窟をめぐるうちに、
不安定な精神状態におちいり、パニックをおこす。
あろうことか、アデラは混乱から、
アジズ医師におそわれたとうったえる。

まさか法廷ものになるとはおもわなかった。
アジズ医師が無実の罪をかぶったままでは
気のどくすぎる。
さいわいアデラは、事件当時の記憶がはっきりしないとみとめ、
告訴をとりさげたため、アジズ医師は解放される。

アジズは裁判のあと、ひとがかわってしまった。
自分に有利な証言をしたアデラにたいし、わだかまりがきえない。
不自然におもえたけど、無実な自分に罪をかぶせそうになり、
理不尽なおもいをさせたわかいむすめにたいし、
にくしみをおぼえるのは当然なのだろう。
イギリス人と、イギリスにたいする感情も、
かつてのあこがれではなく、ほかのインド人とおなじように、
批判的なみかたへとかわっていく。

植民地でのくらしぶりをみていると、
『愛と哀しみの果て』をおもいだす。
提督を頂点に、絶対的な階級制が支配する社会で、
現地のひとびとは、決定的にひくくみられる存在でしかない。
ムーア婦人が、「ほんとうのインドをしりたい」というのは、
非情にめずらしい例だろうし、ほかのイギリス人には
当然ながら まったくうけいれられない。
『愛と哀しみの果て』と『インドへの道』は、
おなじような時代を舞台としながらも、
映画のおわりかたにおいて、
ずいぶんちがうところへおとしこんでいる。

posted by カルピス at 23:06 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

災害時だけでなく、いつも「やさしい日本語」を

10月29日の朝日新聞に、
外国人を避難誘導するさいの、
わかりやすい日本語がとりあげられていた。
災害のときに、外国人にむけて
避難をよびかけることばを、
消防局がみなおしているという。
2020年に東京オリンピックがひらかれるので、
はやく具体的な方針をうちだす必要があるのだろう。
英語や中国語などの、特定のことばに訳してつたえるのではなく、
あくまでも日本語で、というのが基本となるかんがえ方だ。

これまでのよびかけ例と、
それを「やさしい日本語」にするとどうなるかが
いくつか紹介されている。
自然と、むつかしい熟語ではなく、
耳できいたときにわかりやすいことばがえらばれる。

「余震に注意して下さい」は、
「後からくる地震に気をつけて下さい」に、
「消火しているので迂回して下さい」は、
「火を消しているので違う道を行って下さい」となる。

そもそも外国人にむけて
「余震に注意して下さい」なんて、いうほうがどうかしている。
災害のときは、いのちにかかわることなので、
ことばについて、本質的なといかけがなされている。
でも、災害だけでなく、あらゆる場面で
「やさしい日本語」は おたがいの理解をふかめ、
コミュニケーションをたすけてくれるはずだ。
司法でつかわれる日本語が、あまりにも日常でつかうことばから
かけはなれていると、よく指摘される。
司法だって、いのちにかかわるわけで、
だれもがきいてわかることばのほうが、いいにきまっている。

その点、わたしのブログは、
できるだけわかりやすいことばをえらんでいるつもりなのに、
いまだに評価されず、残念な日々をすごしている。
日本語を、いきた文章としてまなべる場なので、
おおくの外国人によんでもらえたらうれしい。
わたしのブログをよみなれていたら、
災害のときのよびかけが、じゅうぶん理解できるだろう。
いのちをすくう日本語力養成ブログとして、
外国人のかたにつよくおすすめしたい。

posted by カルピス at 22:28 | Comment(0) | 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

デイリーポータルZの「職業アナウンスカラオケ」がすばらしい

デイリーポータルZに、「快感!職業アナウンスカラオケ」
(林雄司)がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/171029201053_1.htm
いつもデイリーポータルZの紹介でもうしわけないけど、
この記事は おおくのひとの夢をかなえてくれる
すばらしい発見であり、ぜひじっさいにあそんでほしい。
なにをするのかというと、
車内放送や機長のあいさつなどを、
効果音つきのカラオケでアナウンスするのだ。
なりたかった自分に仮装する、が
コスプレの基本的なコンセプトだとおもうけど、
「職業アナウンスカラオケ」は、なりたかった自分に
リアルにちかづけるのだから、たのしいにきまっている。
今回の記事でカバーされている職業は、

・飛行機にのったときにおなじみの機長からのアナウンス
 「当機はただいま◯◯の上空3万フィートを・・・」
・切符の自動販売機のアナウンス
 「お釣りや切符の取り忘れにご注意ください」
・気象通報
 「石垣島では南東の風 風力4・・・」
・相撲のものいい
 「ただいまの協議について説明いたします・・・」

わたしは、路線バスにのったときなど、
運転手さんのアナウンスをうるさくおもっていたけど、
カラオケとしてあそべるならはなしはべつだ。
ゴッコあそびこそ、あそびの出発点であり、
なりたい職業へのねがいをくすぐられる。

林さんが「職業アナウンスカラオケ」を
おもいついたきっかけは、
東急の車内放送をアナウンスできるカラオケからだ。
じっさいに、鉄道カラオケというジャンルがあり、
4社26区間の路線で運転手や車掌となり、
車内放送をアナウンスしてたのしめるという。

わたしはいま、ボジョレーヌーボーを配達するときに、
どんな仮装をしたらいいかこまっているけど、
もしこの「職業アナウンスカラオケ」がもちはこびできたら、
お客さんに最高のサービスをとどけられるのではないか。
鉄ちゃんには鉄道カラオケを、
飛行機ずきには機長からのアナウンスを、
野球ずきのひとには場内アナウンスを、
マイクと映像のちからをかりてよみあげてもらったら、
ぜったいによろこんでもらえる。
老人ホームやデイサービスでも人気をあつめそうだ。
いま話題のバーチャルリアリティとくみあわせたら、
やりたかった仕事をリアルに体験できる。
にたようなゲームがすでに開発されているのだろう。

posted by カルピス at 22:50 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

『ラーメン放浪記』にまなぶ創意工夫の極意

『ラーメン放浪記』(富沢順)

たまたま手にしたマンガに、創意工夫の極意がかたられていた。
各話よみきりのストーリーは、毎回おなじながれだ。
主人公の青年が、いきだおれ寸前でたすけられ、
「ラーメンがたべたい・・・」とうわごとをつぶやく。
彼にかかわったひとたちは みんな親切で、
ちかくのラーメン屋さん
(なにかと問題をかかえている)へつれていき、
すきっぱらをとにかく解決しようとラーメンをたべさせる。
この青年は、じつはメンをうつことにかけて
ものすごい実力者で、2000とおりのラーメンをつくれるという。
彼がつくるものすごくおいしいラーメンにより、
お店は人気をとりもどしていく。
青年が、ラーメンにかたむける愛はすさまじく、
ラーメンによってひとをしあわせにできるとしんじている。
そしてさいごにかならず
いつだって答えは はるか彼方にある

と、ラーメン道の奥ぶかさがかたられるのだ。

はじめこれを「後方(こうほう)」とかいてあるのかとおもった。
すでにこころみてきた工夫のなかに、
こたえはちゃんとあるのだ、という意味だとおもった。
なんというふかいことばだろう。
こたえが、はるか前方にあるのはあたりまえだけど、
はるか後方にあった、というのは
現実の意外性をさりげなくあらわしている。

いろいろためしてみたものの、
けっきょくはじめのこころみがいちばんいいところをついていた、
というのをわたしはなんどか経験している。
なにかを計画したときも、
さらにそれをよくしようといろいろおもいつくけど、
たいていは、もとの計画のまますすめたほうが、まちがいない。
なにかが必要になり、あたらしくかわなくては、
とおもっていたものを、
じつはすでにもっていた、なんてのもわりとよくある。
あくまでも、わたしは、のはなしであり、
いろいろ工夫するなかで、レベルをたかめていった経験のあるひとは、
それなりにふかい人生を味わっておられるのだろう。
残念ながらわたしはそうでないことがおおかったので、
その学習をいかし、だんだんと工夫しない人間になったみたいだ。

「はるか 彼方にある」よりも、
「はるか 後方にあった」のほうがおもしろいとおもうけど。

posted by カルピス at 06:51 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

ヨシダプロ氏の発見「犬の頭に『?』をつけるとかわいくなる」はほんとうだった

デイリーポータルZに、わたしのすきなももちゃんシリーズがのった。
「犬の頭に『?』をつけるとかわいくなる」(ヨシダプロ氏)
http://portal.nifty.com/kiji/171025201009_1.htm
今回は、なにかに似ている、ではなくて、
犬の頭に「?」をつけたらかわいい、という発見だ。
ヨシダプロ氏が、ももちゃんと将棋をさす記事をかいたときのこと。
画像加工でクエスチョンマークを顔のちかくにおいたら
かわいくなる効果があるのに気づいた。
それを、画像加工ではなく、紙と針金をつかって
常に具体化するアイテム「?(デフォルトクエスチョン)」

をつくったら、というのが今回の記事の趣旨だ。
たしかに「?」をつけると、かわいくなる効果がみとめられる。
ひいきにしてる「ももちゃんシリーズ」なので、
蛇足としりつつも、この記事をとりあげてみた。

そもそも、動物はいつもなにかしら
かんがえこんでいるようにみえる。
ももちゃんだけでなく、わたしの家のピピ(ねこ)だって、
つねにささやかな疑問をかかえているみたいだし、
ときにはすべてをしりつくしてるんじゃないか、とまでおもう。
犬やネコだけでなく、カラスだって、
いつもなんだか悪だくみをしてるみたいだ。
人間にはわからない回路で、脳をはたらかせているのでは。

そうはいっても、あまりちいさな動物、
たとえばスズメやネズミには「?」が似あわないような気がする。
さらにちいさい生物、ミジンコのよこに「?」をつけてもだめだ。
神社でむれているハトは、一心不乱にエサをついばむだけで、
なにか疑問をかかえているようにはみえない。
カラスはOKで、ハトだとダメなのは、なんの差があるのだろう。
ひとつの仮説として、あるていどのおおきさがないと、
知性をみとめにくいのでは、というのがわたしの気づきだ。

反対に、あまりおおきな動物でもクエスチョンマークはにあわない。
ゾウの頭の上に「?」があってもへんなだけだし、
馬でもまだおおきすぎる。
こうしてみると、ヨシダプロ氏が
犬のももちゃんを題材にえらんだのは、
身ぢかにいる動物という理由だけでなく、
必然的な選択だったのかもしれない。

やっぱり、蛇足にしかならないかった。
ちなみに、ヘビにもクエスチョンマークはふさわしくない。
ヘビは疑問なんてもたず、冷酷に行動するからこそヘビなのであり、
なやみをかかえたヘビはすでにヘビではない。
やはり、いちばん「?」が似あうのは、犬かネコみたいだ。

posted by カルピス at 20:33 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月28日

レーサーパンツをめぐる欲望とのつきあい方

ロードバイク用のズボンがほしくなった。
いわゆるレーサーパンツというやつだ。
おしりの部分にパットがはいっており、
下着をつけずに、直接レーサーパンツをはく。
自転車に特化しているだけ、そのぶん自転車からおりると、
町をあるくときに、いっぺんで用なしとなる。
これまでさむい時期のサイクリングは、
ふるいジャージのズボンでまにあわせてきたけど、
ボロボロになり、みすぼらしさがいやになってきた。
ネットでレーサーパンツをみると、
長ズボンタイプでも3000円からある。
これくらいなら、快適なサイクリングのために
もっていてもいいのでは。
レーサーパンツは、いかにもサイクリスト、というスタイルだし、
ノーパンにひっかかるという意見がおおいけど、
わたしはその部分についてとくに抵抗はない。
水着にきがえる水泳だってにたようなものだからだろうか。
やせ型のわたしは、きっとレーサーパンツがにあうだろう。
ひっかかるのは、サイクリングにしかつかえない点だ。
水着だって水泳にしかつかえないとおもえば、まあいいか。

手袋もまた、さむい時期のサイクリングにかかせない。
これまでつかってきたものは、もう何年もまえからほつれてきて、
そのつど夜なべしてつくろってきた(ウソです)。
いいかげん、あたらしい手袋をかっても浪費にはあたらないだろう。

パンクしたときにそなえ、空気いれも必要だ。
お金をもっていても、自転車屋さんが
すぐにみつからないかもしれないし、
自分でパンクをなおすにしても、
チューブをそっくりかえるにしても、
空気いれがなければタイヤはふくらまない。
ネットで注文するまえに、もしかしたらと、
20年以上まえにかったランドナーの空気いれをためしてみる。
ゴムの部分が劣化して、スカスカな手ごたえかとおもってたら、
おどろいたことに、まだちゃんと空気がはいる。
残念ながら、あたらしくかわなくても用をたしそうだ。

けっきょく、かわない。
ネットでほしいものをさがしていると、
イモづる式によさそうなものがみつかり、
あればかっこいいし、便利におもえる。
でも、すこし日数をおけば、あんがいその熱はじきにさめて、
なくても平気なこころもちになる場合がおおい。
今年の秋・冬も、気分は19世紀の自転車のりのつもりで、
ダサい服装のまま、愛車のシクロクロスで町をはしる。

posted by カルピス at 09:43 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月27日

社会科でならったナツメヤシとオアシス

しりあいの家でコーヒーをいただいたら、
お茶うけとして ほしたいちぢくをだされた。
くちにすると、かなりあまい。
モロッコを旅行ちゅうによくたべた
ナツメヤシをおもいだした。

中学か高校の授業で、オアシスや、サハラ砂漠の遊牧民は
ナツメヤシの実をたべる、とならった。
おしえている先生にしても、
ナツメヤシの実がどんなものかしらないだろうに、
「北アフリカでは・・・」なんて
さもみたことがあるように授業ではなすのは、
たとえ仕事とはいえ うしろめたかったのではないか。
わたしは はじめてナツメヤシをたべたとき、
これが教科書にのっていたナツメヤシか、と
わりかし感慨ぶかかった。
モロッコでのナツメヤシは、主食としてではなく、
デザートのくだものとして、あるいは
手ごろなおやつとして、身ぢかな存在だった。

オアシスも、モロッコではじめてみた。
乾燥しきった景色のなかをバスがはしり、
やがて緑の点が砂漠のなかにあらわれる。
オアシスだ。
ことばとして「オアシス」をきいたことがあったけど、
じっさいにオアシスにやってくると、
植物のゆたかさにおどろいた。
水がなければ草木はまったくはえない。
水さえあれば、こんなにもほかの地域とちがう景色になる。
集落とよぶのがふさわしい、ちいさなオアシスだっただけに、
水の存在がどれだけ決定的にはたらいて、
このゆたかな緑の拠点をうみだしているのかがよくわかった。
乾燥地帯での移動は、こうしたオアシスがたよりだ。
海のなかにうかぶ、ちいさな島のようにみえる。
まわりはぜんぶ茶色なのに、オアシスだけが緑にあふれている。

ナツメヤシにしても、オアシスにしても、
社会科の授業では、ことばをおぼえただけで、
じっさいはどんなものなのか、まるでイメージできなかった。
現地にいって、じっさいに体験するしかないのに、
テストの回答にはもっともらしく「ナツメヤシ」なんてかくのだから、
社会科の授業って、なんだかへんな勉強だ。

posted by カルピス at 20:52 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

MEC食を1ヶ月ためしてみて

那覇市「こくらクリニック」の渡辺信幸さんが提唱するMEC食
(いちにちに、肉200グラム・卵3個・チーズ120グラムを
よくかんでたべる食事法)
をためしてから1ヶ月になる。
低炭水化物食よりも、目標とする数字がはっきりしているので
なにをたべるのかが わかりやすい。
炭水化物をなるべくたべない、よりも、
たんぱく質をたくさんたべる、のほうが
かんがえ方として健全な気がする。

渡辺さんがMEC食をおもいついた出発点として、
欧米型だった沖縄の食生活が、本土型になるにつれ、
肥満と糖尿病がふえたことをあげている。
離島のおおい沖縄で、病気になると通院がたいへんなので、
大切なのは治療よりも予防と渡辺さんはかんがえた。
沖縄には肉食文化が根づいており、
抵抗なくうけいれられる食事としてMEC食にたどりついた。

やせ型のわたしは、低炭水化物食をこころみると、
たくわえている脂肪がすくないので、カロリー不足になりやすい。
MEC食は、まず必要な栄養素をとりいれてから、
余裕があればほかのたべものを、
という順序なので、わたしにむいている。
漠然とした低炭水化物食では、体重がおちてしまったけど、
MEC食にしてから体重が1キロふえ、
体力に余裕ができた気がする。

わたしはMEC食のかんがえ方がすごくふにおちたけど、
たとえば食のほそい老人にとっても、
MEC食は具体的なめやすとなるのではないか.。
なんとなく 肉や卵をたくさんたべましょう、では、
野菜や炭水化物でおなかがいっぱいになり、
結果として栄養不足になりやすい。
MEC食は、肉や卵をじゅうぶんにたべるので、
野菜を中心にした食事よりもコンパクトになる。
腹八分でも、必要なカロリーをとりいれられる。

卵3個とチーズ120グラムをたべるのは、なんとかなるけど、
肉の200グラムはあんがいハードルがたかい。
MEC食をつづけようとすると、食材にお金がかかるので、
やすい肉料理を工夫したいところだ。
鳥の胸肉がやすいけど、ふつうにやくだけではパサついていて、
そんなにつづけてたべられるものではない。
いまは、クックパッドが
いくつもの料理をおしえてくれるのでたすかる。
ひらきなおって、パサついた胸肉こそが肉食のだいごみ、
と自分にいいきかせるのも手だ。

こんなに肉をたべて、地球環境は大丈夫なのか。
よくいわれるように、穀物を1キロそだてるのよりも、
肉として牛をそだてるのは、はるかに水やエネルギーを必要とする。
倫理面からみた命の問題もある。
MEC食なんていいながら、
おおくの命を自分のためにうばって平気なのか。
食の安全も気になるだろう。
この肉や卵、それにチーズは、
農薬と化学肥料にまみれてそだったのではないか。
MEC食をこころみるのなら、これらの問題から目をそむけられない。
肉の値段ばかりをみて かいものをしていて いいわけがない。
MEC食は、いかに生きるかも といかけてくる。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする