2023年09月18日

アン=クリーブスのシェトランドシリーズがすばらしい

『哀惜』(ハヤカワ文庫)でアン=クリーブスの作品にであう。
すばらしい作品で、ミステリーの魅力をじゅうぶん堪能できた。
おなじ作者の本をよみたくなったので、
4作品からなるシェトランド四重奏(創元推理文庫)へすすむ。
四重奏シリーズのあと、さらに4作品がかかれている(新四重奏)。
すっかりはまってしまい、これまでに8冊のうち7冊よんだ。
ここまでくると、ぜひシェトランド諸島へいきたくなってくる。
シェトランド諸島はイギリス北部のスコットランドにぞくし、
オークニー諸島からさらに東北へ180キロはなれている。
うつくしい景観からなる自然環境にめぐまれ、観光地でもある。
人口は2万3000と、とざされたコミュニティであり、
シェトランドでは、だれもがしりあい、
という特殊な状況が舞台設定としてうまくいかされている。
うつくしい自然にひかれ、本土から移住してくるひともおおいそうだ。

どの作品も、シェトランドの自然がもうひとつのテーマでもある。
突然わきでてくる霧・緯度のたかさ
(ノルウェーのオスロとほぼおなじ)からくる白夜
・きゅうにかわる天気。

シリーズの主人公はジミー=ペレス警部で、
彼の忍耐づよく、こまやかな観察力が
本シリーズのおおきな魅力となっている。
ペレスは、あいてのことばえらび・アクセント・声の強弱などなどから
心理状況をよみとりおおくの情報をえる。
シェトランドシリーズは、どれも480ページ前後あり、
こみいったプロットがはりめぐらされ、すこしずつ謎をおいつめる。
ところが、さいごの50ページで、バタバタっと謎があかされる。
けっこう無理やりで、ほんとかなー、とあんがいわらえる。

島根にも、約180の島と4つの有人島からなる隠岐諸島がある。
本土から60キロはなれ、人口は1万9000。
日本版シェトランド諸島といえなくもない。
シェトランド諸島はさすがにとおいので、
てっとりばやく島旅をたのみむには隠岐諸島がおすすめだ。 

もっとシェトランドシリーズのつづきをよみたくなるけど、
あるインタビューでクリーヴスは、シリーズを終わらせる理由として、「二万三千人しか住んでいないシェトランドで、かなり大勢の人を殺してしまったんです」と笑いながらジョークを述べていた。このまま書きつづけると、「そして誰もいなくなった」島になりかねないのだと。(7作目『地の告発』のあとがきより。)

たしかに。

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2023年08月27日

女性のうで問題

スーパーでかいものをしてたとき、ふとレジに目をやると、
機会にうちこみをしている女性の腕がふるえていた。
二の腕に脂肪がついて、プルプルふるえるのならわかるけど、
その女性は前腕部なのに肉がゆるんで付随運動をしている。
うでの筋肉って、そんなにゆるんでしまうものなのか。
女性のうでは、いったいどういうことになっているのだろう。

夏になるとノースリーブの服をきる女性がふえ、
わたしの目をたのしませてくれるのだけど、
残念ながらすべてのうでがうつくしいわけではなく、
ただうでがむきだしになっているだけ、というほうがおおい。
わかいころは、ほっそりときれいな曲線をえがいていても、
年をとるにつれ、ただ脂肪がついているだけ、のうでになりがちだ。
ほそいだけではだめで、肩からひじにかけてうつくしい強弱があり、
そのいきおいのまま 手首まですっとのびるラインがわたしはすきだ。
わたしのとぼしい経験からいっても、
女性の二の腕(上腕三頭筋)はわかい女性でさえ
つまんでみるとどこまでが筋肉で、どこが脂肪なのかわかりにくい
やわらかい肉のひとがおおい。
完璧なうでをみかけるのは、夏でさえそうかんたんではない。
せっかくノースリーブをきているのだから、
もうすこしうでの状態に気をくばればいいのに。
腹筋をしておなかをぺったんこにするよりも、
うでの筋肉をきたえるのはずっとかんたんそうなのに。
女性のうで問題に気づいたわたしは、成瀬あかり風にいえば
「わたしはこの夏を女性のうでに捧げようと思」った。

わたしのジョギングコースには、散歩ちゅうのひとや、
観光客たちをよくみかける。
観光ちゅうなので、それなりにきめた服装であり、
うつくしい姿はくるしいジョギングでのささやかなよろこびだ。
この夏は、とくに女性のうでに着目してはしることにした。
ノースリーブの女性もちらほらみかけるけど、
よく観察すると、完璧なうでにであうのは、
数日にいちど、というひくい確率にすぎず、
うつくしいうでをたもつむつかしさがわかる。
うつくしさがいちばん目をひくのは、
ノースリーブの場合もちろんうでなわけだから、
もうすこし気をくばるわけにはいかないのか。
なんならわたしのうでの曲線が、まだましなぐらいだ。
そんな状況なので、まれにうつくしいうでを目にすると、
その収穫をしっかりと記憶にやきつけ、しあわせなひとコマとなる。
うでのラインの大切さが、もうすこしおおくの女性に共有されることを
わたしはひそかにのぞんでいる。余計なお世話だけど。

posted by カルピス at 18:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月30日

日本の夏はどこへいったのか

あつい日がつづき、そとをはしる気にならない。
自転車もあついとたのしくない。海でおよぐことにする。
島根のよさで、30分ドライブすれば海につく。
ついた海岸には、車が数台とまっているだけで、
海水浴をたのしむひとの姿はない。
30分でついて、海をほとんどひとりじめできるのが島根だ。

およぐ、といっても、水泳の練習としてではなく、
シュノーケリングでプカプカうかぶやつだ。
いつもは足ひれをつかうけど、足ひれもあんがいつかれるので、
きょうはプール用のゴーグルをシュノーケルにかえただけ。
海岸から岩場まで200メートルおよぎ、
魚たちを観察できれば、とおもっていたのに、
残念なことに ほとんど魚の姿をみかけない。
魚にもいまの気候はあつすぎるのだろうか。
海にうかんでいても、なにもみえなければつまらない。
30分ほどでスタート地点にもどった。
ポリタンクに水をいれてもってきているので、
洗面器に水をうつしシャワーとする。
駐車場できがえができるほどひとがいないのが島根だ。

先週プールでおよいだとき、外にある子ども用プールをみると、
おとなたちのおおくが、ながそで・ながズボンなのに気づいた。
日やけしたくないのはわかるけど、
プールは水着を披露するところ、という概念は、
いまではつうじなくなっているようだ。
余計なお世話とはいえ、ながそで・ながズボンの女性には
色気、いや、情緒をまったくかんじない。
日本の夏は、いったいどういうことになっているんだ。

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2023年06月30日

「了解しました」でなにがわるいのか

ラインでのやりとりのとき、
「了解しました」をつかうことがおおい。
日常ではふつういわないことばだけど、
相手のいったことにたいする返答として、
「了解しました」はとても便利だ。

とおもっていたら、ラジオをきいていると、
「了解しました」はおかしくないか。
ここは「承知しました」のほうがただしい、
というようなことをいっていた。

たしかに「承知しました」のほうが適切かもしれない。
でも、そういったひとがなんだか上から目線の
ネチネチしたいいかただったので、嫌悪感をおぼえた。
自分の知識をひけえらかし、よわいものいじめをするおやじ。
「承知しました」といえば、
ことばづかいに気をくばっているかのようなゴーマンな態度。
その発言をきいて、「了解しました」は
いまではおくれたいいまわしかもしれないけど、
おれはこれからもつかいつづけようとおもった。

トランシーバーなどで「オーバー!」といえば
自分の発言はここでおわり、つぎはあなたの番ですよ、
というひとつの約束ごとにすぎない。
ラインの「了解しました」もにたようなもので、
了解が承知であってもたいしたかわりはない。
「わかりました」のほうがやわらかくてすきだけど、
アンチ「承知しました」の意思表示として、
わたしはこれからも「了解しました」でいこう。

posted by カルピス at 20:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月26日

林雄司さんの個人ブログ「やぎポエム」がおすすめです

デイリーポータルZの編集長である林雄司に、
まえからつよくひかれていた。
デイリーポータルZに発表する作品のアイデアもすごいけど、
とにかく文章がおしゃれだ。
林さんは「やぎポエム」という名で、
個人ブログも公開しており、
このごろは日記として毎日更新されている。
林さんの文章に毎日ふれられてすごくたのしい。

posted by カルピス at 20:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月12日

ビアンキのクロスバイク(Cスポーツ1)をかう

自転車をかう。ビアンキのクロスバイク。Cスポーツ1というらしい。
25年間のってきたマウンテンバイクがさすがにふるくなり、
しょっちゅうパンクするようになっていた。
自分ではパンクをなおせないので、自転車店にもっていくと、
そろそろタイヤとチューブをかえないと、といわれた。
前輪・後輪ともタイヤとチューブをかえるよりも、
あたらしい自転車をかったほうがいいかも、という気になった。
スポーツ店のデポにいくと、マウンテンバイクよりも
クロスバイクのほうが わたしのからだにあっているような気がする。
それにいわゆる「ビアンキ色」がかっこよかった。
わたしの身長には、もうひとつうえのサイズがよかったけど、
そのサイズだと色は黒しかおいてない。
ビアンキ色にくらべると黒のバイクはださくみえた。
2022年のモデルが5万7000になっていたので、
すこしまよってからこのビアンキにきめた。
タイヤは38ミリと、かなりふとい。
ブレーキはディスクブレーキではなくVブレーキ。
ビアンキのディスクブレーキは、油圧式で、
よくとまるかもしれないけど、メンテナンスがめんどくさそうだ。
Vブレーキにする。町のりなら、Vブレーキでじゅうぶんだ。
IMG_2380.jpeg
家まであたらしい自転車にのってかえる。
サドルのたかさを調整し、サドルの位置もすこしうしろにずらす。
マウンテンバイクにつけていた荷台とライトもとりつける。
ビアンキらしい、かっこいい色とデザインがすっかり気にいった。

ふるいマウンテンバイクは、これまでのおき場所をビアンキにゆずり、
雨がふせげない玄関さきのブロックにもたれかかっている。
ライトと荷台をはずされ、うしろのタイヤはパンクしたままだ。
パンクしたからあたらしい自転車をかう気になったわけだけど、
雨にぬれ、パンクしたままのマウンテンバイクは
ずいぶんしょぼい姿にみえ、なんだかかわいそうだ。
25年ものったのだからとひらきなおらずに、
これまでのはたらきに最大限の感謝をささげておわかれしよう。

posted by カルピス at 20:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月03日

『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈)

『成瀬は天下を取りにいく』
(宮島未奈・新潮社)

成瀬という少女の魅力を、本の帯がよくつたえている。
「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
中2の夏休み、幼なじみの成瀬がまた変なことを言い出した。

この本は成瀬あかりをめぐる6本の連作短編で、
よむうちに、わたしは成瀬がだいすきになった。
こころをわしづかみとは、成瀬とのであいをいうのだろう。
成瀬は、まるで戦国時代の武将みたいな、
かたいはなしかたをする。
そして、夏を西武にささげようとしたり、
漫才で頂点をきわめようとしたりと、
おもいついたことをつぎつぎと実行にうつす。
なにごとにもどうじず、緊張もしない。
クラスでういていても気にせず、
ごく自然とやりたいことにまっすぐとりくむ。
かといって、あいてをおもいやれないわけではなく、
彼女なりの論理でひとの気もちを推察する。
現代において、成瀬はありえないほどいいやつなのだ。

帯には「かってなく 最高の主人公、現る!」とある。
ほんとうだ。よみおえたいま、また成瀬にあいたい。
200歳までの成瀬あかり史をぜんぶよみたい。

posted by カルピス at 17:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月16日

『本の雑誌 5月号』は目黒考二さん追悼号

1月になくなった目黒考二さんの追悼号。
みじかい準備期間にもかかわらず、充実した内容がありがたい。
いつもよりすこし値段がたかいけど、それだけにぶあつくて、
よみごたえじゅうぶんにしあがっている。
読者からのおたよりでかたられているとおり、
わたしもまた目黒さんの書評をたよりにしてきたし、
おおくのおもしろ本をおしえてもらった。
なによりも、この『本の雑誌』がなければ、
わたしの生活はどれだけまずしいものとなっていたかをおもうと、
目黒さんはまちがいなくわたしの恩人だ。
追悼号には、目黒さんがさいごにかかれた
「笹塚日記」(2007年1月)ものっている。
目黒さんが笹塚の「本の雑誌社」4階から、
自宅のある町田へひっこす時期にかかれたもので、
本の雑誌社からはなれるさみしさがつづられており、
今回の追悼号にぴったりの「おわかれ」になっている。

目黒さんが本にかたむけてきたエネルギーにふれ、
きゅうに本屋さんへいきたくなった。
2023年の本屋大賞に、凪良ゆうさんの
『汝、星のごとく』がえらばれたところだし、
村上春樹さんの新作がだされたところだけど、
ここはあえてはずし、津村記久子さんの
『水車小屋のネネ』をえらぶ。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月23日

小学5年生の「なぜ、かんじでかかないといけないのですか?」がすばらしい

朝日新聞の投稿欄「若い世代 学校から」に、
小学5年生の投稿が5つのっていた。
そのなかで「かんじでかく りゆうは?」がすばらしかった。
さいきん、しゅくだいのプリントで、かんじでかくところをひらがなでかいて、33こペケをもらいました。なぜ、かんじでかかないといけないのですか?

と問題をつきつけている。

33個のペケをもらった、というのだから、
うっかりもらったペケではなく、
確信犯として彼はひらがなをかいたにちがいない。
きっとこれまでにも先生や学校とのあいだで
漢字をめぐるいろいろなやりとりがあったのだろう。
わたしは漢字をできるだけすくなく、という主義だけど、
彼はもっとラジカルにひらがな主義をつらぬいている。

同音異義語の問題については、
「ぶんのつながりなどでわかるのではないでしょうか」
は、まったくそのとおりだ。
漢字かなまじりでないとただしい表記ではない、
ときめたのがまちがいであり、
ひらがなやローマ字で文章をかいても、
りっぱな日本語としてみとめればいいのに。

この欄は、おなじ学校からの投稿をのせている。
学校の授業などでテーマを決めて取り組まれたもの、生徒や児童の皆さんが自由に書かれたもの、どちらでも構いません。今後も学校単位の投稿をお待ちしています。

5つの投稿は、ぜんぶおなじ学校の5年生によるものだ。
だから、学校としては、彼のかんがえを、
あたまから否定しているのではないのだろう。
それだったら、学校を代表する投稿として
彼の原稿がえらばれなかったろうから。
学習指導要領というものがあり、
学年ごとにおぼえなければならない漢字がきめられているそうだから、
テストのとき生徒が漢字をつかわないと 学校はこまるのだろう。
そんななかで、この投稿をかいた少年は、
「なぜ、かんじでかかないといけないのですか?」
とまっこうからたたかいをいどんでいる。
そのガッツにわたしはしびれた。

posted by カルピス at 20:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月25日

身がるな旅行

デイリーポータルZに地主さんが
「手ぶらで行ける国 ベスト3」を発表していた。
https://dailyportalz.jp/kiji/tebura-de-ikeru-kuni-best3
仕事でつかうカメラをべつにすれば、
地主さんが手ぶらでいっても問題なかった国ぐにだ。

わたしにとって、身がるな荷づくりは永遠の課題といえる。
旅行のときは、だいたいいつも8キロくらいの荷物を
機内にもってはいれるおおきさの 3wayバックにつめていく。
8キロがわたしにとっての限界で、
これが10キロになると気もちだけでなく、
からだがしんどくて、たのしくなくなる。
手ぶらだったら、どんなにここちよく町をあるけるだろう。

さすがに「手ぶら」とまではいかなくても、
ちいさなデイパックにすべての荷物がはいらないものか。
1月の旅行では、空港で一夜をあかすために、
ただそれだけのために夏用の寝袋をもっていった。
400グラムほどとはいえ、かさばる。
あたたかい国にいくのに、寝袋なんてどうかしている。
ケチで心配性だと、どうしても荷物がふえがちだ。
宿で洗濯するのだから、きがえは2枚でいいのに、
じっさいは、Tシャツを4枚もっていった。
できそうでできないのが身がるな旅行かもしれない。

posted by カルピス at 16:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする