2017年07月07日

老化

保育園の庭であそぶ子どもたちをみていると、
しゃがみこんでるか はしっているかで、
ゆっくりあるいたりはしない。
かけまわらずにおれない、生物的な衝動にみちているみたいだ。

わたしはジョギングのまえに、
ほとんどウォーミングアップなしではしりだす。
もう、はじめはほんとうにヘロヘロなはしりで、
脳のだす指令が からだのはしっこにいきとどかず、
からまわりするように手足をうごかす。
いったいこのヘロヘロ感はなんなのだと、
ながねんの疑問だったけど、
このまえようやくおもいついた。
これは、単純に老化現象なのではないか。
いまのところ、日常生活に支障はなく、
ふつうにあるけ、仕事もできるけど、
トレーニングなどのはげしい運動になると、
きゅうにギアをきりかえられるほど
からだはいつでも準備ができている状態ではない。

16歳になるネコのピピは、
いちにちのうち 22時間をねてすごしている。
たべる以外の時間は、ぜんぶまるくなっている。
ネコはもともとくつろぐ時間がながいとはいえ、
22時間はさすがにすごい。
これもまたあきらかに老化なのであり、
彼らのような晩年のすごし方こそ、生物的には自然な姿なのだろう。
ネコの16歳は、人間でいうと75歳になるので、
はしりまわらないのは あたりまえだ。

人間は、いまでこそ90ちかくまで生きるけど、
種の保存を目的に生きる生物としてとらえると、
50歳でそのやくめをおえている。
55になるわたしは、老化しながら 死にむかって
ゆるやかに坂道をくだっている。
いきなりのジョギングに、からだはとまどっているのだ。

なんておもっていたら、けさの朝日新聞に
一柳彗さんが さらっとすごいことをかいておられる。
 2012年に103歳で亡くなった前衛作曲家のエリオット・カーターも、90歳をこえてからがすごかった。晩年に挑戦する心が増してくるというのが本物ですよ。年をとってからの方が、社会からの束縛が少なくなるぶん、好奇心に純粋に従えるようになる。だから、古いものへの反発も逆に少なくなる。新しいか古いかは、実は面白いかどうかには関係ないんです。
 身体の方はそりゃあ、昔ほど元気ではないですが、若い頃にできなかった大変のことが軽々とできたりすることがあります。作曲でもピアノでも。こだわりも消えました。(「人生の贈り物」より)

動物と人間の老化はちがうのだろうか。

posted by カルピス at 09:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

1キロ1280円もする南高梅で 梅ぼしをしこむ

3キロの梅をかってきて、梅ぼし用につける。
毎年やってることなのに、毎年のように
お店の棚に梅がなくなるころ あわてて梅をかっている。
スーパーに梅がではじめるころは、梅酒用のわかい梅がおおく、
黄色くうれた梅をまっているあいだに
梅の時期をのがしそうになるのが いつものパターンだ。
まだきょねんつけた梅がすこしのこっており、
3キロつけるか、2キロですますのか、
はっきりきめないまま まよっていたのもよくなかった。

ことしかったのは、1キロ1280円もする南高梅だ。
いつもなら、700円でもたかいとおもうのに、
1280円はいくらなんでもひどい。
ほかの梅をまっていたけど、
いつのまにか やすい梅をみかけなくなった。
梅がなくなってはこまるので、
たかくても1280円で手をうつしかない。
ネットにのった情報では、梅が不作のうえに、
梅どろぼうによる被害がずいぶんでたらしい。
アマゾンをみると、わけあり商品が1キロ 1000円くらいからあり、
手間をかんがえると 1キロ1280円の梅をかってきて
家で梅ぼしをつけていては、わりがあわない。
梅ぼしづくりは、なんとなく
勤勉な日常生活を象徴する行為におもえるので、
ひとつの儀式として ことしもつづけたかった。

エバーノートで「梅干し」を検索すると、
12個のノートがみつかった。
なかには糸井重里さんの「今日のダーリン」もひっかかっている。
梅ぼしのつくり方ではなく、意外にも
ブロクが「毎日なんとか続くコツ」についての記事だ。
ひとつは、「じぶん」が書くしかないとわかったこと。
もうひとつは、「いいこと」なんか書くなよと、
じぶんに教えてやれたこと。
たいしたことない人間だから、
たいしたことないことを書く。

梅は1280円とたかかったけど、
「たいしたことない人間だから」
たいしたことないことをかいたっていいと、
おもいだせてよかった。

検索されたほかのノートにも目をとおすと、
どうも梅ぼしは、平凡な日常生活を
比喩的に表現するときによく顔をだすようだ。
わたしが日常生活の象徴として、梅ぼしづくりをつづけるのは
あながち的はずれのとりくみではなく、
むしろ、梅ぼしがつくる世界観を
ただしく理解しているのかもしれない。
むかしの村上春樹さんだったら ここでアシカを登場させるところだ。
3キロの梅ぼしをつくることで、まともな社会人として
ことしもなんとか いきのびれた気がする。

posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

『アホは神の望み』(村上和雄)

大橋悦夫氏がシゴタノ!で
『アホは神の望み』(村上和雄・サンマーク出版)にふれておられた。
http://cyblog.jp/modules/weblogs/28141
いかにもわたしごのみのタイトルなので、
図書館でかりてよむ。
計算だかい秀才よりも、「神はバカ正直なひとにほほ笑む」と、
いろんな実例をあげて愚直に生きることの大切さがかかれている。
ひっかかったのは、
純粋な理論研究も大事だが、その理論が現実の生活に役立ってこそ意味がある

というところで、
梅棹忠夫さんの『私の生きがい論』にある
できるだけやくにたたないで生きたい、というのと
正反対のとらえ方だ。
一般的には、もちろん 「役立ってこそ意味がある」のほうが
うけいれられるだろうけど、
どうも「やくだつ」をいいはじめると
おもしろさと不思議さがうすまってしまう気がする。
たとえばバカボンのパパは、社会やひとのやくにたちたいとは、
おそらくかんがえていない。
ただすきだから、やいたいから まわりの目を気にせずに、
のびのびとふるまっている。
バカボンのパパみたいなひとこそ 神さまから愛されるはずなのに、
「やくにたたない」からダメときりすててはもったいない。

「ひらがな」についてもふれてある。
平易なものの中にこそほんとうに深いものは存在しているのではないでしょうか。深いことはやさしく伝えられるべきで、やさしくかみ砕いていえない真理は本物ではないーは私にはそう思えます。

わたしの文章は、ひらがなのわりあいがかなりたかく、
なれないひとには、かえってよみにくいようだ。
よんでみて わかりにくいというよりも、
ひらがなのおおさがあまりにも異質なため、
生理的な嫌悪感をまねくのではないか。
よみやすく、わかりやすい文章をこころがけているのに、
反対の感想をきくのは残念だ。
よみにくくならないよう、みじかいセンテンスをこころがけ、
ときには「わかちがき」もとりいれて、
漢字がはたしている視覚的なくぎりとしている。
ただ、ますますひらがながおおくなる傾向も
たしかにかんじている。
まえは、訓よみは原則としてひらがなで、という
おだやかな方針だったけど、
いまではさらに戦闘的となり、
音よみでも できるだけひらがなをつかう。
そのほうが わたしにとって 視覚的にうつくしいからで、
このままいくと、数年後には、
ほとんど漢字をつかわないブログになりそうだ。
10年つづけてブログかこうと 目標にしているけれど、
もしかしたら 10年目にかくブログは、
ひらがなだけの文章でゴールインするかもしれない。
きっとそれがわたしの文章の完成形だ。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

Jリーグ雑感

ことしは3季ぶりにJリーグが1シーズン制となった。
もし独走するチームがでれば、優勝あらそいへの関心が
そがれるところだったけど、
いまのところはげしい混戦がつづいている。
勝点35から26のあいだに8チームがいて、
試合ごとに首位がめまぐるしくかわっている。

目につくうごきとしては、
・波にのれない有力チーム(とくに広島の不振・現在17位)
・ACLの決勝トーナメントに川崎と浦和がのこっている
・J2から昇格してきたチームが明暗をわけている
 (セレッソが1位、コンサドーレ札幌が15位、
 清水エスパルスが13位)

J1が混戦というなら、J2は激戦リーグだ。
1位と2位が勝点43で突出しているものの、
3位あらそいは 勝点36から30のあいだに
なんと12チームが団子状態でひしめいている。
ただ、3位になったからといって無条件に昇格できるわけではなく、
3位から6位までのチームによるトーナメントで
3チームめの昇格がきまる規則だ。
後半戦にはいれば、6位までをキープしようと、
ますますシビアなレースとなるだろう。

そんなたいへんな状況なのに、
J2については ほとんどメディアがとりあげない。
Jリーグタイムですら、J2については 試合結果をしらせるだけで、
上位をたもとうと、どんなあらそいになっているかのコメントはない。
そんななかで、朝日新聞に連載されている
津村記久子さんの『ディス・イズ・ザ・デイ』は
J2とJ3をいったりきたりするような
よわいチームを愛してしまったサポーターに焦点をあてている。
スター選手がいたり、圧倒的なつよいチームでなくても、
いろんな理由から ひとはサポーターになる。
いわば、サッカーが生活に根づいているひとたちで、
サッカー文化が日本にしっかり根をおろしたからこそ、
こうした下部リーグにも熱心なサポーターがついている。

Jリーグタイムのキャスターが中川絵美里さんにかわり、
豊富な知識と適切なコメントにより、
安心して番組をみられるようになった。
それまでは、ほとんどサッカーをしらない女性タレントが担当になり、
猛勉強でだんだんとサッカー事情につうじるようになるものの、
なぜこのひとがサッカーの番組にかつぎだされたのかと、
しっくりこないときがおおかった。
サッカーを報道するというよりも、
かわいいタレントとしてのふるまいを 期待されているようにみえた。
中川さんをキャスターにすえたことで、
Jリーグタイムは ようやくサッカーの専門番組として
体制をととのえた。

せんじつおこなわれたコンフェデ杯の試合をすこしみたら、
ボールさばきがあんまりうまいのでおどろいてしまった。
Jリーグとは、別次元のサッカーであり、
おどろくとともに、ちょっとがっかりした。
日本と世界とのあいだには、まだそうとうな差が歴然としてある。
代表チームを応援するだけでなく、
J2やJ3、あるいは、まだJリーグに加盟すらできていない
弱小チームへの無償の愛が、
日本のサッカーをすこしずつまえにすすめていく。
わたしはどこかのチームをつよく応援するほどの
熱心なファンではないけれど、
サッカーからおおくのエネルギーをうけとった。
サッカーがあってよかったと、
日本のサッカーをささえている すべてのサポーターに感謝している。

posted by カルピス at 22:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

「孤独は前提」をうたがってみる

すこしまえの「今日のダーリン」に
糸井重里さんが「孤独は前提」とかいている。
孤独は、すべての人にとっての前提なのであるから、
だれかは孤独じゃなくてだれかは孤独ということはない。

そうか。前提なのか。いいことばをしった。
選択ではなく、前提。
ひとりで死ぬのは さみしくてやだなーとおもっていたけど、
前提とわりきれば、しょうがないさだめと うけいれられる。
たとえば、死ぬときにまわりでだれもみとってくれないのは、
死ねきれないくらいさみしいと おそれていた。
でも、孤独は前提といわれると、
だれかに手をにぎってもらいながら
あの世へいきたいなんて、あまっちょろいたわごとにおもえてくる。

わかいころ、クラブのリーダーになったとき、
リーダーはなんて孤独なのかとおどろいた。
わたしにはとてもたえられないので、それ以降は
リーダーになりそうな気配をかんじると
あわててにげだすようになった。
これだって、孤独でないようにと、
むだなしくみをこころみるのではなく、
前提としてうけいれたら、
あたりまえのはなしとして我慢するしかない。
孤独は前提、というとらえかたは、
前提なのでにげださないように、という
神さまからのいましめにちがいない。

とはいえ、わたしはすこし「孤独は前提」を
素直にうけいれすぎるのかもしれない。
「孤独は前提」は、いかにも説得力があることばだけど、
ほかのことばをかわりにいれても
あんがいもっともらしくおさまる。
「残念は前提」といわれると、
そういえばそんな面があるような気がするし、
「しあわせは前提」だって、
あたりまえの覚悟としてきこえないでもない。
なにをいれても相性がいいのなら、
おもいきって「前提はない」というのはどうだろう。
前提なんかにこだわらず、自由にやるぞー、という宣言だ。

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

『マイ・インターン』デ=ニーロのあらたな魅力

『マイ・インターン』
(ナンシー=マイヤーズ:監督・2015年・アメリカ)

70歳のベン(デ=ニーロ)は、妻をなくしてから3年がたち、
おだやかな日々のくらしに感謝しながらも、
仕事に熱中していたころをなつかしくおもいかえす。
退職してから いろんなところへ旅行にいったし、
外国語の勉強にとりくんだりもした。
自由な時間はたっぷりあるけれど、
いいかげん、そんな悠々自適の生活にもあきてきた。
いまは なにかその日にするべき用事を 毎日さがしている。
あたらしく生きがいとなる なにかがほしいと、
ファッション通信サイトの会社がよびかけた
シニア=インターン制度に応募する。
女性のボス(アン=ハサウェイ)のもとにつかえる
みならいとして配属がきまり、
あたらしい職場でのあたらしい生活がはじまった。

うまくいきすぎている、という批判もあるようだけど、
ハサウェイとデ=ニーロの魅力がいっぱいで、
すてきな作品にしあがっている。
とくにデ=ニーロは、70歳の老人をえんじながら、
おだやかな笑顔であたらしい魅力をみせる。
こんな役ができるひとだとは、おもわなかった。
これまでに、いろんなタイプの役をこなしてきた
デ=ニーロならではの、ボーナス作品といっていい。
ハサウェイもすてきだ。
やり手の社長だけど、会社をおおきくしたのちも
仕事への熱意をたもちつづけ、まわりへの配慮もおこたらない。
『プラダを着た悪魔』で上司をつとめた
メリル=ストリープとはまったくちがうタイプで、
よわさもみせるし 自信のなさもときどきのぞかせる。
人間味にあふれた彼女だから、ベンのもちあじを評価できた。

この作品は、セリフとして生き方をかたってはいないけれど、
けっきょくひとは礼儀ただしさが大切であるし、
誠実に生きなければ、なにも蓄積されないとおしえてくれる。
デ=ニーロの作品から 誠実さをまなぶとは へんなかんじだ。
70歳になったとき、わたしはベンのように
ゆたかな表情でひとをはげませられるだろうか。
自分の人生を肯定できるからこそ、
ベンは自信をもって 自分の価値観をまわりにかたりかける。

ほかのスタッフから相談をうけたとき、
「エリのついた服をきていったほうがいい」とか
「ハンカチはひとにかすためにある」など、
ゆたかな経験にうらづけされた具体的なアドバイスをベンはおくる。
そんなひとことを、まわりはもとめている。
誠実に生きてきたベンだから、
自信をもってアドバイスをおくれるし、
まわりもそれをききいれようとする。
ネットにかんする知識はすくなくても、
男として大人の会話ができるし、
相手へのおもいやりもかかさない。
ベンのおだやかな笑顔をみているうちに、
わたしもまたあたたかな気もちで生きたくなった。
すなおにみれば、とてもいい気分にしてくれる作品であり、
そうおもえないというひとがいたら、
『プラダを着た悪魔』のほうがあっているかもしれない。

posted by カルピス at 21:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月01日

草のなかでそだっているのは たぶんイネ

田んぼのみまわりへ。
こんかいは、イネらしい株を「発見」した。
等間隔に泥団子をまいたにしては、ふぞろいだけど、
おそらくこれはイネだ。
たぶんイネ.jpg
ただ、まわりの草のいきおいにまけ、おおきくそだてないみたいだ。
むかしの米づくりは、草とりがいかにたいへんだったかと、
よく苦労話をきかされた(いまは農薬をあたりまえにつかう)。
たしかにこれだけ草にうもれると、
イネだけにそだってほしいとねがうのは 虫がよすぎるだろう。
福岡正信さんの自然農法では、
レンゲによって草をおさえるというけど、
レンゲだけでそう うまくいくものだろうか。
わたしの田んぼにも、きょねんの秋にレンゲをまき、
春さきにはレンゲが花をさかせた。
種もみのはいった泥団子をまいてから、
草刈機でレンゲをかったけど、
そのあとはえてきた雑草に田んぼはおおわれている。
田んぼには、水をはっているので、
水によわい草はかれる、というのが水田のよさといわれるけど、
いまの状態でイネが草にまけずそだってくれるのか、
はなはだこころもとない。
とはいえ、手で草をとっていたら、時間がかかりすぎる。
ひとの手をくわえなくてもそだつからこそ自然農法というのだ。
きょうのところはどうしようもないので、
そのまま水をはったまま しばらくようすをみたい。

ちかくにある畑へいくと、
1ヶ月まえにうえた夏やさいの苗がそだっていた。
雨がすくない1ヶ月だったので、よく生きのびてくれた。
ただ、かれないで生きのこっていた、
という状態で、おおきく成長したという意味ではない。
サツマイモは、苗のときからほとんどおおきさがかわらない。
そんななか、ズッキーニだけがげんきそうだ。
ズッキーニ.jpg
畑もだいぶ草がはえてきてたけど、
本格的な草とりをするげんきがなかったので、
ほんのすこしウネにはえている草をとっただけで、
畑のみまわりをおえる。
「自然農法」という名を理由に、
これだけ手ぬきの野菜づくりでは
うえられた苗たちの 苦戦を報告するだけになる。
だれにでもできる自然農法の野菜づくりには、
どんな野菜をえらべばいいのか まだよくわからない。

posted by カルピス at 15:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月30日

認知症のかたのちからを うまくひきだしている ハーブショップのこころみ

しりあいのハーブショップで雑談していたら、
さいきん認知症の方に ビニールハウスの手つだいをしてもらっている、
といわれた。
おじさんにあたる方だそうで、
苗がたくさんはいっている箱をちがう場所へうつしたり、
ハウスまわりやポットの草とりをおねがいしているという。
草とりでは、ポットにはえた草を
ただぬいてください、とおねがいすると、
どのポットが草ぬきをおえたものかわからなくなり、
なかなか仕事がすすまなかったそうだ。
そんなとき、おわったら、ちがう場所へポットをうつす、
というルールをきめると、いっぺんでまちがいがなくなっている。
また、箱をうごかす仕事のむときは、
ハウスのむこう側にロープをはって、
このロープよりむこうへはこんでくださいと、
視覚的にわかりやすくすれば、
どこまではこべがいいのかを、
わすれずにとりくめるようになったという。

その認知症の方は、家にいるとふさぎこみがちだったけど、
ハウスではひとの役にたてるし、お金ももらえるので、
よろこんで仕事にこられるようになっている。
けしてむりにハウスですごしてもらっているのではなく、
店長さんにすれば、自分がやる仕事を
その方がやってくれるので、すごくたすかっているそうだ。

仕事のおわりをはっきりさせたり、
どこまで箱をもっていけばいいのかを、
みてわかるようにする工夫は、
ふだんわたしがしている障害者支援にも共通する。
はなしをきいていると、店長さんは
わたしよりもずっとじょうずに
認知症のかたのちからをひきだしている。
まったくの民間事業所であるハーブショップが
介護とか支援とかを意識しないで、
いかにも自然なかたちをとりながら、
認知症のかたの居場所となっている。
町づくりのすばらしい実践が、
おもいがけなく 身ぢかな場所でおこなわれていた。

認知症の方とすごすとき、
どうしてもできなくなったことに目がいきやすいけど、
店長さんのように、できることをみつけていけば
能力をいかせる仕事はきっとたくさんあるし、
そこではたらいてもらえば、おたがいがたすかる。
認知症の当事者や家族の方、
中途障害で 仕事をつづけられなくなった方など、
こうした関係を、おおくのひとがもとめているのではないか。
介護として、なにかをやってあげることばかりを意識するのではなく、
そのひとが得意な活動をみつけ、
どうしたら自分だけでとりくめるかを工夫すれば、
老人や障害をもったひとでも、もっと自然なかたちではたらける。
年をとれば、障害をもてば、
自動的に介護施設へまわされるのではなく、
できるだけそれまで自分がおくってきた生活をつづけながら、
はたらいて、まだひとの役にたてるのだという実感は、
施設にいるよりも ずっとまえむきな気もちをうみだすだろう。

ハーブショップの店長さんは、
社会のために役だとうとか、ボランティアになれば、なんて
まったくおもっていない。
ハウスでの仕事を手つだってもらうと、
ほんとうにたすかるから きてもらっている。
無理のない自然なかかわり方で、おたがいがいい気分ですごせる。
すばらしいとりくみに、すっかり感心した。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

よんでないけど、すごくおもしろそうな『スーパーカブ』

『スーパーカブ』(トネ・コーケン 角川スニーカー文庫 )

朝日新聞の書評に『スーパーカブ』が紹介されていた。
前島賢氏による記事で、
女の子がホンダのオートバイ「スーパーカブ」にであい、
しだいに生きるちからを身につけるはなしだという。
両親をうしなった女子高校生が、
山奥でひとりぐらしをしている。
彼女がカブを1万円で手にいれたところからものがたりがはじまる。

・だんだんとカブになれ
・自分の生活にあわせてカスタマイズし
・メンテナンスの方法をまなび
・配達のアルバイトをはじめ
・おなじように カブにのる女性の友だちとであい
・彼女がカブで富士山にいどんだはなしに耳をかたむける

うまいところに目をつけたものだ。
カブを脇役に、女の子がだんだんと自立していくはなし。
アイデアをおもいついた時点で
おもしろさが半分ぐらい保証されたようなものだ。
男の子が主人公では、カブの個性がいかされないだろう。
非力で、だれにでもあつかえる、
スーパーカブだからこそ、女子高校生にぴったりだ。
すぐにでもよみたくなったけど、
よめばきっと実物のカブがほしくなる。
そうでなくても、町でみかけるカブについ目をやって
妄想をはじめるわたしなので、
よめばいっぺんに背中をおされて ポチッとしそうだ。

いろいろな種類のオートバイがあるなかで、
スーパーカブは 愛好家がおおく、
カブによる旅行や、カブのカスタマイズなど、
カブだけからなる独立したジャンルができあがっている。
世界的にみても、これだけ個性的で
おおくのひとから愛されるオートバイは、あまりないのでは。
わたしもまた、老後はカブとともにすごそうと
漠然とした夢をえがいており、
カブ旅行の記事をこのんでよんでいる。
とはいえ、ここはやはり女子高校生が主人公のほうがいい。
『セーラー服と機関銃』は、ヤクザの親分と女子高校生という、
ふつうならとおくはなれた ふたつをくっつけたから刺激的だった。
スーパーカブと女子高校生の関係は、
いわれてみればぴったりなのに、
これまでだれもおもいつかなかった。
アイデアの勝利だ。
よんでいないのに、あたまのなかで
おもいえがくだけでもたのしい。
はやくよみたいけど、よむとまちがいなく影響をうけそうでこわい。

posted by カルピス at 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

神奈川県からの「上京」でも 感動できるわかれとなる

デイリーポータルZにのった
「でかい紙に応援メッセージを書いて見送られると感動する」
がよかった。
http://portal.nifty.com/kiji/170626199993_1.htm
江ノ島茂道氏による記事で、内容は、タイトルそのままだ。
ふつうなら、ちょっとしたおでかけ、というよりも、
通勤・通学として東京へむかっているだけなのに、
「わかれ」として のぼり線をとらえ、友だちもまきこんで
応援メッセージをかかげながら みおくってもらう。
たとえ神奈川県からの「上京」でも、
おおきな紙に応援メッセージをかいてもらうと
なんだか感動してしまうらしい。

これまで江ノ島氏のかく記事は、
胃袋にたよった ちからずくの企画がおおかったけど、
今回は文章もさえている。
応援メッセージをかく ふとくておもいロール紙を、
「バットにできそうなぐらい長いが、
 振れないほど重いのでバットには向いてない」
といいあらわすあたり、
ロール紙の特質について、論理的に表現するちからを
江ノ島氏は身につけてきた。

さいしょの実験は、江ノ島氏がみおくられる側だ。
あるていど うちあわせをして、
何時何分発の電車の何両目にのっているかを
おくる側につたえる。
友人たちの応援メッセージを発見したとき、
受験をしたとき、自分の番号を見つけたときぐらいうれしい。
東京でも頑張ろうという気持ちになる。

と江ノ島氏はかんじたというから、そうとうな効果だ。

ドラマなどでよくみるホームのわかれは、たいていいなかの駅なので
乗客とみおくりとの距離がちかく、感動的な旅だちになりやすい。
しかし、都会の駅でおなじような「わかれ」を演出しようとすると、
線路のちかくにある公園などで横断幕をかかげることになり、
すこしぐらいおおきな字をかいたところで、
電車のなかからは識別するのは困難となる。
よくみえないにもかかわらず、「感動した」というのだから、
メッセージの内容よりも、自分が旅だつにあたり、
しりあいがかけつけてくれた事実そのものが
うれしいのだろう。

もうひとり、おくられた側の感想は、
窓から、たくさんの人が一生懸命手を振っているのが見えました。指笛みたいな音も聞こえました。僕なんかのために集まってくれたのかと思うと本当に嬉しかったです。こちらからも手を振り返したのですが、見えたのは一瞬で、ちゃんとこたえられたかは分かりませんでした。東京でもがんばろうと思いました。

というから、上京による旅だちは、江ノ島氏にかぎらず、
だれでもこころがひきしまる体験になりやすいようだ。

いっぽう、おくる側にたったひとに感想をたずねると、
「電車内からも手を振っているのが見えて、全然知らない人なのに(行っちゃうのか〜)という気持ちになって少し寂しくなった」

というから、
ひとは けっこう、その場の雰囲気に 調子よく そまりがちだ。
よくかんがえてみると、これらの感動は、
企画当初にあった
「でかい紙に応援メッセージを書いて見送られると」
とは、ほとんど関係がない。
けっきょく、もともとの企画は本来の意味をうしない、
ただ「おおくのひとにみおくられると うれしい」
という事実だけが わかれの本質としてうかびあがる。
江ノ島氏のこんごの活躍に期待したい。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする