2018年06月30日

デイリーポータルZにまなぶふりかえりの大切さ

デイリーポータルZに今週のった記事を、
編集部の林さんと藤原さんが対談形式でふりかえっている。
http://portal.nifty.com/kiji/180630203282_1.htm
どんな記事がのり、どんな反響があったかをまとめておくのは
わすれがちだけど、大切なこころみだ。
わたしがななめよみしたのでは、まずみえてこない記事の核心を、
ふたりがわかりやすく説明してくれている。

デイリーポータルZには「あと出し天気予報」という連載があり、
一週間の天気を予測して、
あとから 予報があたったかどうかをふりかえっている。
担当の増田さんが、関東は6月に梅雨あけするかも、と予測し、
これがみごとにあたった。
藤原:梅雨明けましたね
林:6月中の梅雨明けは史上初らしいですよ。 それを当ててる。
藤原:史上初でちゃんとあてるのすごいですね。
林:これはもっと誇ってもいいと思う。 あと出し天気、すごいぞ。
藤原:梅雨明けを発表するのは気象庁なので、気象庁がどう判断するかにかかってくるということでした。気象庁の人も史上初の発表は興奮したでしょうね。
林:増田さん、天気じゃなくて気象庁の動きを予想しているんですよね。
藤原:もはや心の動きを読んでますよね。

「天気じゃなくて気象庁の動きを予想している」がおもしろい。

もうひとつは、上司に休暇ねがいをださずに
インドへ旅行した藤原さんの記事について。
http://portal.nifty.com/kiji/180626203236_1.htm
林:いいこと教えます。無断欠勤は1〜2日だと怒られるけど、1週間続くと会社の人は優しくなります。 上司が家に来たりします。
藤原:それはそれで怖い話ですね
林:前の前の会社で部長が内房の部下の家まで行ってました。「どうして来ないのかな?みんな待ってるよ」って。 たいへんだよね。管理職。

藤原:でも旅行は楽しかったです。流行りますよ、旅行。
林:流行るよ。19世紀の人は旅行なんてしてなかっただろうから、いま空前の旅行ブームかもね。100年単位で見ると。
藤原:見たことないものとかおいしいものとかばっかりですよ。
林:デイリーポータルZのテーマは「旅行しているように暮らす」です。ずーっとはしゃいでる

「旅行が楽しかった」とまっすぐにいわれるのも
なんだか新鮮だ。
「見たことないものとかおいしいものとかばっかりですよ」にも、
あらためていわれると こころにせまる。
そうかもしれない。旅行って、
もっとはやっても不思議ないほどたのしいものなのでは。
われわれは、もっと旅行にいくべきだ。
そして、「旅行しているように暮ら」そう。

無理やりのまとめみたいだけど、
こうしてみると、すべての行為は記事になる。
旅行でいうと、もはや観光名所よりも、だれも価値をおかない
地味な坂道だったり崖だったりが、リアルな観光資源になりえる。
それもこれも、こうしてあとからきちんとふりかえるから、
なんだか意味があるようにおもえるのだ。
たいしたことないようなことをして、
それをいちいちふりかえるのが、
もっともらしい記事にするコツかもしれない。

posted by カルピス at 21:06 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月29日

リスクをおかしてせめず、うらの試合に結果をゆだねた西野監督

WカップグループH
日本対ポーランド 0−1

日本は6人の選手をいれかえ、システムも4−4−2へ。
これまでピッチにたっていなかった選手をつかうのは、
ひかえ組のモチベーションのためには納得できる。
もうひとつ、会場のヴォルゴグラードは、
気温35℃というピッチコンディションで、
90分はしりきるのは無理と計算しての、
6人いれかえだったたのではないか。
ただ、4−4−2は機能しなかった。
これまでの2試合のようには、コンパクトな陣形がたもてず、
ラインがさがりぎみで、
ボールをうばっても、そこからせめこむには距離がありすぎた。

日本にいい時間帯もあったけど、
ポーランド優位で試合がすすんでいき、
日本はカウンターをなんどもくらう。
後半の13分にフリーキックから先制をゆるす。
同点にもちこまなければ、
日本はグループリーグでの敗退がきまってしまう。
しかし、この日の日本は攻撃に迫力がなく、
得点の可能性がかんじられない。
柴崎がたてにボールをいれることもなく、
いかにもせめあぐねているようすだ。
おなじ時間に、コロンビアとセネガルの試合もおこなわれており、
ずっと0−0だったのが、後半にはいって試合がうごき、
コロンビアが1点をいれる。
こうなると、状況がかわってきて、
日本は0−1でまけていても、このままいけば
「フェアプレーポイント」でセネガルをうわまわり、
グループ2位になると、実況のアナウンサーが説明する。

西野監督にも、この情報はつたわったようで、
1点差まけのままでじゅうぶんという判断から、
日本はむりにせめこまず、ボールをまわすだけになった。
ポーランドとしては、1点を先制しているわけだから、
むりに2点めをねらう必要がなく、こちらもまえにでようとはしない。
試合は結局、日本がうしろでボールを10分間まわしつづけ、
そのまま終了となる。

もし、セネガルが1点をかえせば、
日本はどうしても同点においつく必要があった。
西野監督は、リスクをおかしてせめるかわりに、
コロンビアがこのままセネガルをおさえるほうのリスクにかけた。
セネガルががんばって、あるいは、コロンビアが気をゆるめ、
セネガルに得点がうまれたら、
0−1でおわった日本は グループリーグ敗退となり、
日本はくやみきれない試合になっていた。

大会規定からいえば、西野監督の判断はまちがいではない。
とはいえ、いかにもすっきりしない、あと味のわるい試合だった。
日本があのまませめたとしても、
ゴールを期待できない内容だったけれど、
得点をきそうサッカーにおいて、
自分たちによる得点をあきらめ、
同時刻におこなわれていたべつの試合に
重大な結果をゆだねたのは、
リスクのおかし方としてうつくしくない。
セネガル戦とはべつのチームになってしまい、
フラストレーションのたまる試合だった。
結果として、日本は決勝トーナメントへすすむ。
予想外の結末にちからがぬけてしまった。

posted by カルピス at 17:47 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

にわかファンとしてポーランド戦にのぞむ

糸井重里さんが「ほぼ日」に毎日かいているブログ、
「今日のダーリン」に、サッカーWカップをとりあげていた。
糸井さんは、あまりサッカーにくわしくないそうで、
でも、にわかファンとして すくなからぬ試合をみてたのしんでいる。

わたしだって、永遠のにわかファンのくせに、
わかったようなことを ついエラソーにかいてしまう。
ほんとうは、戦術の理解などきわめてあさい。
みた目でいきおいをかんじるチームがあれば、
ただしい攻撃サッカーのような気がして応援するぐらいか。
糸井さんのように、にわかファンであることを自覚して、
頭をからっぽにして サッカーの魅力にひたるのが、
わたしのレベルでは ただしい態度だ。

わたしも、2002年の日韓Wカップのときは、
ほとんどなんの情報もなく、ただ日本の試合だけをみて、
かった、まけたとさわいでいた。
2006年のドイツ大会になると、
すこしは知識もついてきて、日本の活躍に期待していたのに、
あえなくグループリーグで敗退してしまう。
そしてオシムさんが代表監督につくと、
サッカー本をよみあさり、代表戦だけでなく、
Jリーグのテレビ放送もみるようになった。
ただ、あいかわらずサッカーについての知識はとぼしく、
バルセロナのポゼッションサッカーがもてはやされると、
いかにもミーハーなファンとして、
日本にもそんなサッカーを志してほしくなる。

おおくの野球ファンも、ひいきにしているチームについて、
かなりエラソーに監督の采配や、
選手のプレーにひとこといいたがる。
サッカーは、野球よりはるかに運動量がおおく、
せめとまもりがはっきりしているせいか、
熱狂の度あいが ただならぬ領域にはいりやすい。
まえの記事にもかいたけど、宇宙人がサッカーの試合をみたら、
なんであんなに必死になって、ボールをゴールにいれたがり、
相手側は、ものすごい形相でそれをふせごうとするのか、
理解にくるしむだろう。
論理では説明できない。
ただ血がさわぐのだ。

今夜のポーランド戦をまえに、そわそわと11時をまつひとは
いったいどれだけの数におよぶだろう。
ひとつの世界的なおまつりとして、
わたしもまたややこしいことをいわずにたのしみたい。
前監督のハリルホジッチ氏を解任したうごきに納得できず、
すっきりと日本代表を応援できないのが残念だけど、
問題は日本サッカー協会のやり方であり、
選手たちの活躍をねがう気もちにいつわりはない。
ポーランドは、自分たちのプライドにかけ、
必死になって試合にのぞんでくるだろう。
日本の選手たちは、ひきわけではなく、勝利をめざして、
これまでの2試合でみせてくれたパスサッカーをやりとおしてほしい。

posted by カルピス at 20:36 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

津村記久子さんの「顔は腸ぐらい他人」がよくわかる

朝日新聞のコラム「となりの乗客」に、
津村記久子さんが「顔は腸ぐらい他人」をよせていた。
きゅうにお腹がいたくなり、
なんとかトイレにかけこんだ 津村さんの体験がかたられている。
自分のからだといえども、おなかの調子は
自分のおもいどおりにならない。
そして津村さんは、しりあいとはなしているうちに、
自分のからだでさえ、意のままにあやつれないパーツが
大部分なのに気づく。
おなかのことは我ながらよくわからない、という話になった。(中略)「うちのおなかがすみません」という感じだ。なんだかまるで同僚の失敗を詫びているようで他人みたいだ。(中略)自分である、と大手を振って言える体のパーツはどこかと話し合って、結局、手足ぐらいしかない、という情けない結論に辿り着いた。

こうしたはなしは、わかいひとにはピンとこないかもしれない。
わたしは50代にはいったころから、
いかに自分のからだがあてにならないかを
おもいしるようになった。
朝いってきますと家をでて、
夕方ぶじに家にかえってこれるのは、
じつにありがたいことだという謙虚な気もちがないと、
歳をとってからのからだとつきあえない。
とちゅうできゅうにめまいがおきるかもしれないし、
津村さんのようにおなかがキュルキュルいいだすのは
けしてめずらしい状況ではない。
自分の体調に、盤石の信頼をもてたのは、いまやむかしだ。
こうしてみると、「自分」とおもっているわたしのからだは、
はたしてどれだけ自分なのか、たしかにわからなくなってくる。

津村さんは老化のはなしをしたいわけではないだろうけど、
わたしが「顔は腸ぐらい他人」から連想したのは、
老化による脳とパーツとの分離だ。
たとえば、おしっこへいく回数は、
わかいころよりずいぶんふえている。
そのうち尿もりをおそれて尿パッドをあてがったり、
さらにはオシメをはいて
おでかけするように なるのだろうか。
トイレにかけこむぐらい、まだまだ序の口だったりして。

老化がこんなにめんどくさいなんてしらなかった。
情報はいくらでもあったのだろうけど、
自分にとって切実でなければ 目をむけずにすごしてしまう。
ふつうにおでかけするのさえ、まさか心配しながらになるとは。
自分の意のままにはうごいてくれないからだに、
イライラするのではなく、
まるで他人のような自分のパーツを、おもしろがってすごすしかない。
尿パッドにするおしっこは、あんがい快感かも。

posted by カルピス at 22:58 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

「なんとかならなくても別に構わない」という諦観にひかれる

倉下忠憲さんのブログに、以下のかんがえ方がかかれている。
「未来に対する気質」について少し考えていたんですが、私はたいてい「なんとかなるなる」と気楽な心持ちでいるのですが、むしろその背景に「なんとかならなくても別に構わない」みたいな、一種の諦観に近いものが潜んでいるのではないか、ということに思い至りました。
https://rashita.net/blog/?p=24901

「なんとかならなくても別に構わない」
がいいかんじだ。

わたしは基本的に、「きっとうまくいく」とかんがえ、
「うまくいかなかったら、そのときにまたかんがえる」派だ。
これは、村上春樹さんの
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で、
「僕」が、ふとった女の子にこうはなしているのをよみ 影響された。
このことばにであってから、
心配してもしょうがないことに 気をとられるのをやめた。
こまったら、そのときにまたかんがえればいいのだ。

倉下さんは、うまくいかなかったとき、
村上さん流の処世術の、さらにそのうえをゆく。
「そのときにかんがえる」のではなく、
「なんとかならなくても別に構わない」は最高の対応方だ。
きっと自分にふりかかってきたよくない状況にたいし、
まあ、こうなってしまったものはしょうがないと、
ジタバタせずにあきらめる 気もちのもち方を
身につけておられるのだろう。

健康診断などで、よくない数値だったり、
へんな影がうつっていたときに 再検査をすすめられ、
その結果をまつときのいやな心境は、
すくなからぬひとが、体験されているのではないか。
たいていは、なんともありませんでした、でおわるけど、
ときには「家族のかたにもきてもらい、いっしょにきいてほしい」
なんて、たのしくないなりゆきになるときもある。
倉下さんは、そんなときにも、
「なんとかならなくても別に構わない」とおもえるのだから、
最強のサトリをひらけたといえる。

科学が発達し、世のなかが便利になっても、
すべての欲求をかなえられるわけではない。
お金をいくらためこんでも、しあわせとはあまり関係ないし、
健康がいちばんといっても、おそかれはやかれ ひとは死んでしまう。
動物は、死をまえにしても、おそれをもたず、淡々と生きつづける。
人間もまた、生物の一員として、
「なんとかならなくても別に構わない」と
ちからをぬいて生きたほうが
いちどきりしかない人生を、自分のものにできるのではないか。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

日本が自信にみちたプレーでセネガルに2−2

WカップグループH
日本対セネガル 2−2

あのセネガルをあいてに、
一歩もひかずたたかった日本の選手たちはすばらしかった。
すくないチャンスを なんとかものにしたのはセネガルのほうで、
日本のほうが決定的なチャンスをつくれていた
(個人の印象です)。
あとからふりかえり、かてた試合だったということに
おどろいている。

日本はコロンビア戦とおなじメンバーでのぞむ。
セネガルをあいてに、ビビらずにボールをまわす。
前半11分に、川島のまずい守備から先制されても、
気おちしたようすをすこしもみせず、
あわてずにボールをつないでいく。
なんど目かのチャンスに、乾がきめたシュートはうつくしかった。
まさにセクシーな線をえがいて ゴールにすいこまれていく。
この1点で、日本は自信をとりもどし、
自分たちのスタイルで攻撃をつづけていく。

後半26分に、セネガルがゴリゴリおしこんで2点目をきめる。
しかし、セネガルにかちこされても、このまま まける気がしない。
日本の選手たちは、おちついて自分のやくわりを
しゅくしゅくとやりつづけている。
足がはやいセネガルの選手たちは、
ピッチ全面をひろくつかってゴールにせまってくる。
そんなセネガルをあいてに、日本はあわてないで対応しつづけた。
長谷部と柴崎が相手のパスコースをよみ、
あぶない場面を事前につみとっていく。
柴崎のたてパスは、セネガルからするとよみにくいようで、
柴崎のちいさなからだから、
ズバッとキラーパスがなんどもけりだされる。
そして後半33分に、乾からのパスを本田がきめて同点。
試合はそのまま2−2でひきわけたけど、
冒頭にかいたとおり、
ひきわけてほっとしているのはセネガルのほうだろう。
日本はかち点3をのがした残念な試合といえる。

この試合の3時間後におこなわれた
おなじグループHのコロンビア対ポーランドは、
3−0でコロンビアがかっている。
この結果、日本はつぎのポーランド戦で、
かつかひきわけるかで、決勝トーナメントへの進出がきまる。
Wカップ本番がはじまるまえは、
だれがこんな日本の活躍を予想しただろう。
ただ、結果よければすべてがチャラになるわけではなく、
ハリルホジッチ前監督をでたらめな理由から解任した
日本サッカー協会にたいする不信感はそのままのこっている。
選手たちの自信にあふれたプレーをたのもしくおもいながらも、
そのことと、解任にいたる協会のやり方は、わけてかんがえたい。
西野監督が、1勝1わけと、結果をだしたために、
協会の責任は、かえってうやむやにされそうなのが残念だ。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

セネガルとポーランドの試合をみて、セネガルのつよさにおどろく

日本とおなじグループHにぞくする
セネガルとポーランドの試合をみた。
骨身をおしまないセネガルの献身的な守備におどろく。
そして攻撃は組織だっており、迫力がある。
こんなに統率のとれたアフリカのチームをはじめてみる。
アフリカ勢というと、身体能力はたかくても、
気分にムラがあり、いいときは手がつけられないほどせめながら、
いったん気もちがとぎれると、ガタガタっといくイメージがある。
でもセネガルは、チームとして機能しようとしているのがみてとれる。
絶対的なエースにたよる、ワンマンのチームではない。
Wカップがはじまるまえは、
グループHでいちばんの国はコロンビアだとおもっていたけど、
セネガルのつよさはさらにきわだっている。

対するポーランドも、セネガルに手をやきながら、
自分たちのスタイルをしんじて、
やるべきことを愚直にやりつづけている。
プレッシャーをかけ、ボールをつなぎ、
たとえそれがセネガルにうばいかえされても、
おなじことをなんどでもくりかえす。
根気よくつづけた結果が実をむすび、
フリーキックをヘディングでおしこみ1点をかえす。

FIFAランキングでは、セネガルが27位で、ポーランドが8位。
でも、ポーランドは ほぼいいところがなく、
セネガルにおしこまれていた。
ポーランドにしても、日本よりもまとまりがあり、
総合的なちからはうえだとおもうけど、
セネガルよりもやりやすいのではないか。

アフリカの選手はよく足がのびるといわれる。
この試合でも、わかっていながらポーランドのパスが
なんどもセネガルの網にひっかかっていた。
これは、日本もそうとう苦労するだろう。
セネガルは、攻撃だけでなく、きっちりまもる。
日本がボールをうばわれたら、いっきにカウンターをくいそうだ。
日本がにが手とするタイプのチームではないか。
身体能力がきわだっているうえに、背もたかく、
組織的なせめとまもりができている。
そのうえコンディションがいいとなると、
つけいるスキはどこにもないようにみえる。

こんなセネガルを相手に、日本のサッカーがどこまで通用するだろう。
これまでの相性でいうと、日本はアフリカ勢に分があるけど、
ポーランド戦をみるかぎり、セネガルを相手にするときは、
過去のデーターにすがらないほうがよさそうだ。
コロンビアにかったからといって、
おなじようにうまくいく相手ではない。
日本サッカー協会にお灸をすえてほしいわたしだけど、
そんな事情をぬきにしても、
セネガルとはむつかしい試合になるだろう。

posted by カルピス at 18:44 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

ビデオ・アシスタント・レフェリー制度がとりいれられても、サッカーの社交の精神はかわらない

こんかいのWカップから、ビデオによるVAR
(ビデオ・アシスタント・レフェリー)制度が
審判の判定をたすけている。
そして、すでになんねんかまえから、
ゴールラインテクノロジーがとりいれられ、
ボールがゴールラインをこえたかどうかについて、
カメラの撮影で確認している。
2010年のWカップ南アフリカ大会において、
微妙な判定がきっかけとなり、導入されたそうだ。
Wカップアジア予選では、
あきらかにあやまった笛がふかれるプレーがあり、
こうしてテクノロジーのちからをかり、
正確な判定がおこなわれるようになれば、
審判の判定に不満をもつ場面がすくなくなりそうだ。

ウィキペディアによると、
•VAR制度の目的は全ての判定に100%の精確性を実現する事では無い。それは試合の流れとフットボールの感情を破壊することであり、最小限の介入で最大限の効果がVAR制度の哲学である。
•最終判定は常に主審が行う(VARが判定を行うことは無く、主審に助言を行うのが役割)。

「フットボールの感情を破壊すること」
とは、ようするにサッカーが大切にしてきた
社交の精神なのではないか。

サッカーが、サッカー場でおこなわれるようになるまえは、
町をあげての盛大なおまつりとして、
たとえば町と町のあいだにひろがるひろい空間全体を
会場としておこなわれていたという。
せっかくのおまつりが、すぐにおわってしまっては
おもしろみにかけるので、
ゴールのちかくでボールをまちぶせする作戦をきんじたのが
オフサイドの起源といわれている。
もともとがおまつりであり、
そこには、なにがなんでも勝敗をきめるのではなく、
0−0でもいいという社交の精神があった。

いまでも おおくの大会は、「ひきわけ」のルールがあり、
延長戦やPKによって決着をつけようとするのは、
決勝戦などにかぎられている。
90分たたかいぬいたあげく、
勝敗がきまらなくてもいいという価値観が サッカーにはある。
Wカップもグループリーグはひきわけがあり、
決勝トーナメントから前半・後半15分ずつの延長戦、
それできまらなければPKがおこなわれる。

VARや、ゴールラインテクノロジーは、
正確な判定のためにとりいれられた制度であり、
かちまけだけでなく、試合をすること事態に意義があるという、
サッカーが大切にしてきた社交の精神はかわらない。
勝利をめざしながらも、勝敗だけにこだわるのではなく、
大会に参加することに意義があるという、サッカーの精神を
VAR制度の導入にあわせて 確認しておきたい。

posted by カルピス at 19:15 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

音楽遊覧船の「ふるさとのうた 心の旅」は、木曜日がおすすめです

NHK-FMの「音楽遊覧船」をよくきいている。
番組は、週ごとに、4つの「旅」へいざなってくれる。

・ふるさとのうた 心の旅(ふるい愛唱歌など)
・ミュージックエクスプレス(列車や旅にかかわる世界の音楽)
・エキゾチッククルーズ(世界の伝統音楽から最新ポップス)
・映画音楽ワールドツアー(映画にまつわる音楽)

「ふるさとのうた 心の旅」では、
日本や世界の愛唱歌がよくとりあげられ、
わたしはにが手とする週なのだけど、
先日の木曜日には、リクエスト特集ということで、
じつにさまざまな曲がながれた。

・「おしえて」(「アルプスの少女ハイジ」の主題歌)
・「桜の雨、いつか」(松たか子)
・「パパと踊ろうよ」(アンドレ=クラヴォー)
・「でっかい青春」(布施明)
・「異邦人」(久保田早紀)
・「ハーイ!グラスホッパー」(高見のっぽ)

これらの曲名をきいただけでは、
いったいなんの番組なのか、
あてられるひとはそうおおくないだろう。
アニソンからシャンソン、ふるい歌謡曲に
いかにも「みんなのうた」らしい曲。
ごちゃまぜすぎて統一感がない、と
文句をいっているのではない。
こらだけカバーする範囲がひろく、
なんでもありのほうが、いつもの番組よりもおもしろかった。
番組担当の榊原広子さんは、
これだけふり幅のおおきなリクエストにたいし、
あくまでもまじめなコメントをはさみながら
にこやかにこたえるのだから ただものではない。

なにかお気にいりの曲をリクエストしたいときは、
「ふるさとのうた 心の旅」がおすすめだ。
番組のコンセプトにあいません、とことわられたりしない。
どんなジャンルでもうけいれてくれ、
雑多な曲にまぎれこみ、
みごとにフツーのリクエストにおもえるだろう。

わたしがリクエストするなら
AKB48の「涙サプライズ!」だ。
ハイジのつぎにこの曲がかかったら、
あまりにもとおくはなれた両者の距離に
わたしはなきだしてしまうかもしれない。
世界はこんなにも多様なのだと。
ハイジとAKB48が共存できる唯一の番組が、
「ふるさとのうた 心の旅」の木曜日である。

「ふるさとのうた 心の旅」は、
番組本来の路線による月・火・水よりも、
リクエストをとりあげる木曜日のほうがずっとおもしろい。
番組スタッフにすれば、由々しき事態かもしれないけど、
それはそれで、そうわるくない時間にしあがっている。
ラジオならではのゆるさを、視聴者がじょうずにいかして、
なんでもありの時間にと、番組をのっとったのが、
「ふるさとのうた 心の旅」の木曜日だ。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

家でくらすネコの自由とは

げんきにあそびまわるココ(子ネコ)は、
網戸にも興味をしめし、よじのぼってあそぶようになった。
このままでは、網戸がやぶれてしまうので、
ステンレスやアルミ製の網をホームセンターでかってくる。
家には網戸が10枚ほどあり、
夏をむかえるまえに、ぜんぶはりかえようとおもう。
ココが外にでるようになると、ほかのネコとのつきあいから、
どうしてもケガや病気をもらってしまう。
家のなかだけを生活圏として、そだてる方針だ。
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ネコを家のなかでかうのは かわいそうだろうか。
これまでいっしょにくらしたネコたちは、
ぜんぶ外へ自由にでいりしていた。
ネコたちは当然のように外へあそびにでかけ、
おなかがすくと家にかえってくる。
ご近所さんの庭でいたずらしないか心配だし、
さきほどもかいたように、どうしてもケガと病気が
もれなくセットになってついてくる。
まえにいたピピは、ほんとうに、
あきれるくらい病院にかよった。
よわいくせにケンカのすきなネコだったようで、
ふかいキズをおい、シッポがちぎれそうな危機があったし、
腰をいためうごけなくなったりした。
そのたびに、獣医さんから「外にださないで」としかられたものだ。
外にでるほうが、ネコにとってはストレスです、といわれる。

おなじ職場につとめるわかい職員の家で、
さいきん子ネコが1匹うまれ、そだてているという。
さぞかしかわいいだろうとはなしをきくと、
ぬけ毛がひどく、部屋がよごれるので、
お母さん(人間)が子ネコを外にだしてしまったそうだ。
いろんな事情があるにせよ、
部屋がよごれるからといって、外においだすのはいただけない。
自分のことを棚あげしていわせてもらうと、
ネコがすきだといいながらも、
ちゃんと世話ができるひとはそうおおくない。
でも、ネコっかわいがりしながらココとあそんでいると、
こうしたつきあい方が、はたしてココにとってしあわせなのか
かんがえてしまう。
わたしの都合で、ココを子どもあつかいしているだけなのでは。

すこしまえの朝日新聞に、「ペットの自由」が特集になり、
動物福祉の基本となる「5つの自由」が紹介されていた。

・飢えと渇きからの自由
・不快からの自由
・痛み・負傷・病気からの自由
・本来の正常な行動がとれる自由
・恐怖や抑制からの自由

のらネコだったココを わたしの家につれてかえったのは、
わるくない判断だったとおもう。
では、これからココを どういう環境のもとでお世話するか。
あるていどの自由をうばうのはしかたがないとして、
家のなかでかうのが ココにとってどうなのかは
わたしとしてもはじめてのこころみなので、よくわからない。
ずっと家のなかですごせば、その環境になれ、
ストレスをかんじないで生きていけるかもしれない。
どうしても外にでたいと、おおさわぎするかもしれない。
まずは、網戸をはりかえて、よじのぼってもだいじょうぶにする。
家のなかだけですごすのを、
あたりまえの生活だと、ココがうけいれてくれたらいいけど。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする