2017年06月27日

津村記久子さんによるしあわせの定義

津村記久子さんが朝日新聞に連載しているコラムで
「幸せは固定された時間ではなくサイクルの中にあるのだ」
と喝破している。
この結論にたどりついたのは、
「あえてダラダラすること」があなたの毎日に健康と創造力をもたらす。

という、インターネットの記事をよんだのがきっかけとなっている。
いかにもわたしごのみのフレーズであり、
やっぱりそうかと、ふかく納得した。
津村さんは、「ダラダラ」でたちどまらないで、
さらに「ぼんやり」へとおもいをはせる。
5月のある夕方、仕事が終わってぼんやり過ごしていて、心底幸せだなと感じたことがあった。(中略)ただ坐っているだけで、なんとなく満足していた。自分はぼんやりする権利を守るために日々働いてるんだな、とその時におもったのだった。「仕事終わった!」っていう時が一番幸せ、とあるライターさんが言っていた。ということは幸せになるためには仕事をする過程がいるわけで、要するに、幸せは固定された時間ではなくサイクルの中にあるのだ。

だからこそ毎日の生活のなかに
おおくのひとがしあわせをかんじるのであり、
スペシャルなイベントよりも
平凡な日常こそがしあわせの本質といえる。
旅行にでかけ みしらぬ土地をあるいたり、
さわやかな風にふかれるここちよさは、
しあわせというよりも よろこびであり、
いっしょにしないで わけてかんがえたほうがよさそうだ。
しあわせは、くりかえし再生が可能という
津村さんの発見をわたしも支持したい。
そして津村さんは、
ぼんやりとしあわせとの関係も指摘している。

・ぼんやりしていると しあわせをかんじられる
・ぼんやりできるのは仕事をおえたとき
・しあわせになるには仕事をすること

「ぼんやり」にピッタリなのが、老人となったネコだ。
いっしょにくらしているネコのピピは、
いちにちのほとんどをねてすごしているけど、
夜になるとわたしがねているベッドまできて、
わたしのからだによじのぼり、ハナをこすりつけてくる。
わたしたちは じっと目をみつめあい、みじかいことばをかわす。
毎晩おなじ儀式が もうながいことつづいており、
その時間こそがわたしにとってのしあわせとなっている。
ピピとのくらしは「ぼんやり」だけで、仕事とは縁どおいけど、
しあわせの定義と矛盾しないと、強行突破をはかりたい。
仕事をおえなくても、わたしはピピのおかげでぼんやりできるから。

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2017年06月26日

『偉大なるしゅららぼん』やめるにやめられず、あつかいにこまった本

『偉大なるしゅららぼん』(万城目学・集英社文庫)

582ページもある、けしてみじかくはない小説だ。
お風呂で半身浴しながら、すこしずつよみすすめた。
なげだすほどつまらなくはないが、
おもしろくてとまらない興奮はない。
やめるにやめられず、あつかいにこまっているうちによみおえる、
あまり経験のない読書となった。
さいごまでよませるのだから、文句なんていいたくないけれど、
もうすこしなんとかならなかったのか。
600ページちかくも必要だったとはおもえないし、
600ページをついやすのなら、もっと読者を
ものがたりの世界であそばせてほしかった。

万城目学さんのもち味である、ありえないちからのはなしで、
そのありえなさにリアリティがとぼしい。
不思議だけど なんだかありえそうと、おもわせてくれたら
スラスラよめただろうけど、
いくらなんでも これは大げさだろうと、
ひっかかりながらの読書は、ページがはかどらない。
ありえなさにリアリティをもたせるのが
小説家の生命線ではないだろうか。

むかし日本の各地にある湖には、
その湖とむすびついた特殊なちからが存在し、
ちからをうけつぐ一族(湖の民)が湖のまわりでくらしていた。
いまでは琵琶湖にしか そのちからがのこされていない。
一族は後継者をえらび、ある年齢にたっすると、
能力をたかめるための訓練をほどこしている。
こまかい設定はもっとたくさんあるけど、
こまかさがリアリティにつながらず、
めんどくさいだけの説明におわっている。
おわりまでよみとおせたのが不思議なくらいで、
それこそが湖の民のちからだったのかもしれない。

島根には宍道湖という
日本で7番目におおきな湖がある。
かつては宍道湖からちからをえていた民がいたと
本書でもちらっと名前があがっている。
もしかしたらわたしのまわりにも、
湖の民の末裔がいるのでは、と
すこしでもおもえれば たのしい読書だけど、
残念ながら宍道湖のそばにくらすわたしでも、
湖につたわるちからが唐突すぎて ついていけない。
おわりまでよませてくれたとはいえ、
せっかくの素材を料理しきれなかった印象がつよい。

『鴨川ホルモー』のありえないゲームをなつかしくおもいだす。
『偉大なるしゅららぼん』の半分ほどのながさしかない小説で、
じゅうぶん読者をしらない世界にひきずりこんでくれた。
あんな不思議な世界をかききった万城目氏なのに、
『偉大なるしゅららぼん』では 残念ながらうまくいかなかった。

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2017年06月25日

『イージー・ライダー』1969年にアメリカ社会がかかえていた闇

『イージー・ライダー』
(デニス=ホッパー:監督・1969年・アメリカ)

ピーター=フォンダがとにかくかっこいい。
すらっと背がたかく、ときどきニコッとちいさくわらい、
フロントフォークがものすごくながいバイクがよくにあう。
あんなバイクにのって、仲間とふたり、ふらっと旅にでたら
どんなにたのしいだろう。
のどかな田舎道や、あらあらしい荒野を、
予定にしばられずに気ままにはしる。
夜はもちろん野宿だ。
わかいころみたら、いちころで影響をうけたのではないか。

旅のとちゅうでおとずれたヒッピーたちのコミューンが
とうじのアメリカのうごきをつたえている。
町をはなれ、自然のなかで自由にくらしていく。
くるものをこばまず、食事もふるまってくれた。
スカスカのやきいもみたいなのをたべていたけど、
あれはなんだったのだろう。
パンの失敗作か、あのコミューンの名物料理なのか。

ジャック=ニコルソンもよかった。
あのころからニコルソンはすでにニコルソンだったのだ。
弁護士として、ちゃんとはたらいていたら
体制側のメンバーとしてうけいれられたのに、
よそもののふたりぐみにくわわったために、
州の境で住民たちからリンチをうける。
自由の国だとおもっていたアメリカなのに、
じっさいは髪がながいだけでもゆるされなかった。

わかいころみたら、影響をうけただろう、とかいたけど、
じつはわかいころ わたしはこの作品をみている。
本多勝一さんが、アメリカ南部の差別について、
黒人でなくても よそものは異端者としてあつかわれると
なにかの本にかいていた。
白人であるピーター=フォンダとデニス=ホッパーが
なぜあんなふうにころされなければならなかったかは、
ふつうにあの作品をみていただけではわかりにくい。
とうじのアメリカ南部の社会は、たとえ白人であっても
異端者はころされても当然というあつかいをうける。
『イージー・ライダー』は、
差別と偏見を極端にえがいたのではなく、
当時のアメリカがかかえていた、現実そのものだった。

野宿だって、モーテルにことわられるから
野宿をせざるをえなかったのだし、
町ではいったカフェでは 客たちからひややかな視線をあび、
お店のひとは注文さえきこうとしない。
自由の国だとおもっていたアメリカが、
こんなに差別と偏見にみちた社会だったとは。
映画のなかでニコルソンが、
自由をおそれるから 自由にいきるものをおそれる、
と分析している。
自分たちとちがうものをうけいれない。
あたりまえのようにリンチにかけ 銃をはなつ。
ピーター=フォンダがかっこいい、
ジャック=ニコルソンがいい味だしていた、
なんて うかれてみられたのは さいしょだけだ。
ものがたりがすすむにつれ、現実のひどさに呆然となる。

posted by カルピス at 18:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

ワークマンでかった4900円のレインスーツ

ワークマンでレインスーツをかった。4900円。
いまはモンベルのゴアテックス製をつかっているけど、
雨がかんたんにカッパをとおりこして 服をしめらせてしまう。
むれるのではなく、雨がしみこむので、
ちょっと本格的な雨ふりになると
安心してつかえない。

ポンチョもわるくはないけど、こんかいのかいものでは、
雨をしっかりふせいでくれるレインスーツを手にいれたかった。
「よく水をはじく」「むれにくい」といった程度では
おさまらない雨がときどきふる。
防水性や撥水性をうたっている商品はおおくても、
たいていはじっさいに本格的な雨になると、つかいものにならない。
そんなときにでも、安心して身につけられる
性能本位なレインスーツがほしかった。

貧乏人の味方モンベルは、やすくて手をだしやすいけど、
それだけがおなじ製品を身につけたひとによくであう。
まったくおなじではなくても、
モンベルのマークをそこらじゅうでみかける。
ユニクロほどポピュラーでないとはいえ、
アフトドア商品といえばモンベルかノースフェイスで、
お金があるかないかが そのままあらわれているようでさみしい。
これまでとはかいものの方向性をかえ、
作業着をあつかうお店をためそうとおもった。

はじめてはいったワークマンのお店は、
ホームセンターの作業服売場とちがい、
いかにも作業服、という無骨なかんじではなく、
町できていても違和感がなさそうだ。
値段もやすく、ズボンや帽子など、いろんなものがほしくなった。
これからお世話になるお店かもしれない。

こんかいかった4900円のレインスーツは、
むれにはよわそうだけど、雨はしっかりはじきかえしてくれそうだ。
ダブダブでもきゅうくつでもなく、うごきやすそうだし、
ポケットの形やフードのアジャスターなど、
こまかなところまで雨をふせいぐ工夫がほどこされている。
でも、こればかりは つかってみないとなんともいえない。
雨の日に、はやくこのスーツをきて ためしてみたい。
糸井重里さんが「今日のダーリン」に
なんとなくいやだというような梅雨を、
 「これはたのしい季節になったぞ」と
 思えるようになったら、ずいぶんうれしいことになる。(中略)

 雨を好きになってみる、ということは、
 どうすればいいかではなくて、実は、
 「雨を好きになろうとしてみる」だけで、
 よいのではないだろうか。

とかいていた。
いまのわたしは、まさに「たのしい季節になったぞ」のひとだ。
すこしまえにかった長ぐつといっしょに、はやくためしてみたい。
ためしたうえで、いくつかの不具合に気づくかもしれない。
そのときは、ストレートに「雨を好きになろうとしてみる」か。
本格的な梅雨の雨ふりがまちどおしい。

posted by カルピス at 09:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

アーティチョークいりのタジンをつくる

しりあいのハーブショップでアーティチョークをいただいた。
なんねんかまえに、そのお店がだしているメルマガに、
アーティチョークの苗を発売中、とおしらせがのり、
日本でのアーティチョークを 話題にしたことがある。
たべるのだろうか、花をたのしむのだろうか。
おおきなアーティチョークが3つ手にはいったので、
さっそく夕ごはんにタジンをつくった。
アーティチョーク.jpg
モロッコでタジンをたべると、
このアーティチョークがよくはいっていた。
アーティチョークは おおきくてみばえがするけど、
じっさいにたべられるのは、茎のごくいちぶでしかない。
モロッコにいるときは、自分でタジンをつくったわけではないので、
どうやってアーティチョークの下ごしらえをするのかわからない。
花びらみたいなガクをぜんぶとりさり、テキトーに包丁をいれる。
茎だけをとりだすと、あんなにおおきかったアーティチョークから、
ほんのわずかな量しかのこらない。

タジン鍋にいれて弱火でにこむと、ほかの野菜にまぎれてしまい、
アーティチョークが ほとんどみあたらなくなってしまった。
いちばんおおきなかたまりを、なにもしらない母が、
しらないだけ大胆にサジにのせ、自分のお皿にとると、
あとにはごくちいさなかけらしかのこっていない。
たべても、いまのがいったいなんだったのかわからにほど
すごくささやかなアーティチョークいりタジンとなった。
タジン.jpg
モロッコ料理といえばタジンだけど、
これはごちそうというより煮こみ料理の総称であり、
なにをいれてもタジンとよばれる。
あの帽子みたいなタジン鍋で
スパイスといっしょに煮こめば それがタジンだ。
羊肉がおおいけど、イワシもよくはいっている。
日本でも、数年まえにタジン鍋がはやった。
きっと日本風にアレンジした
あっさり系の蒸し料理となっていることだろう。
モロッコ式タジンのコツは、ちょっとおおすぎるかな、とおもう量の
さらにたくさんのオリーブオイルを鍋にしくこと。
水はいれない。
もうひとつは、あくまでも弱火をたもつ。
弱火で時間をかけたほうが、肉と野菜がやわらかくなり、
ほっておくだけなのに なんとなくできあがる。
ギトギトとしつこくしあがったタジンを
かためのパンですくってたべる。
モロッコへいきたくなってきた。

posted by カルピス at 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

ブログ更新は、つなわたりな日々でも あんがい大丈夫

このまえたまたまブログを午後はやくにアップしたら、
そのあとの時間をとてもリラックスしてすごせた。
夜をまるまるあそびにつかってもよくなった 中学生の気分だ。
ブログをアップするのが、そんなにもプレッシャーだったとは。
でも、仕事からかえり、夕ごはんをすませたあと、
ブログにむかう時間がすきなのもたしかだ。
すきだけど、たいへんでもある、なんて
なんだか かっこよさそう。

ブログをなんとか毎日かいているけど、
ストックなんてぜんぜんたくわえておらず、
つなわたりの日々というか、
余裕のない更新が日常となっている。
よくつづいているともいえるし、
かってにはじめて かってにくるしんでるだけでもある。
とくにテーマをきめたブログではなく、
本やらサッカーやら、なんでもありの 日記みたいなものなので、
いろいろなところからネタをひろえる。
さらに、どうでもいいことをテキトーに、が基本方針で、
したがってよんでくれるひとは 残念なほどすくなく、
あまり気をつかわずにかけるのもおおきい。
わたしのブログをひとことであらわすなら、
「のらりくらり」がいちばんピッタリくる。

糸井重里さんが「今日のダーリン」で、
「書くのが嫌い」だし、「不得意でもある」、とかいていた。
あれほどよませる文章をさらっとかきながら、
嫌いだし苦手とは、しんじがたいけど、
本人がかんじていることなので、そうですかというしかない。
糸井さんにそんなことをいわれると、
のらりくらりつづけているわたしのブログなんて、
ひとりよがりでスカスカの作文におもえてくる。
まあ、ひととくらべるのがそもそもまちがっている。
28連勝中の藤井四段の わかさとつよさを
わたしがうらやんでもしょうがない。

大橋悦夫さんが「シゴタノ!」に
Evernoteを特定のキーワードで検索すると高い確率でブログに書きたいと思えるトピックがヒットする。

http://cyblog.jp/modules/weblogs/28234
と、ネタさがしにつかえそうな、ひとつの方法を紹介されている。
たとえば、「旅行」をわたしのエバーノートで検索すると、
「旅行」と関係ないノートまで ぞろぞろとひっかかり、
おぼえのない文面をよみかえすだけでもおもしろい。
いよいよネタにこまったときは、エバーノートをあてにしよう。

このごろ睡眠がひとつのキーワードとなっている。
睡眠不足がどれだけリスクをまねくかについて
いろんなことがわかってきている。
ガンや認知症にもかかわっているそうで、
睡眠時間をけずってまでブログを更新するのは、
それなりのリスクを覚悟したほうがいい。
どうでもいいことをテキトーに、なんて
かっこつけている場合じゃないかもしれない。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(ヨシダ ナギ)おなじ格好をして仲よくなるのが夢

『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(ヨシダ ナギ・扶桑社)

子どものころから アフリカの少数民族にあこがれてきた著者が、
なんどかの訪問での、めずらしい体験をつづった記録。
おなじ格好をすれば仲よくなれると、
ナギ氏は裸になって少数民族とおなじ衣装を身につける。
アフリカの奥地へでかけるのだから、どんな女性かとおもったら、
はじめは ものすごく旅なれないひとだった。英語もはなせない。
はじめての旅行先としてエチオピアへでかけたとき、
「Hello」と「I'm fine!」と、「Hungry」「Sleepy」が言えるくらいのスキルしかなかった。

のだから、よくひとりで でかけたものだ。
日本ではひっこみじあんで、
友だちもあまりいなかったとある。
だから日本に執着せずに、アフリカへむかえたのかもしれない。
ほとんど英語がはなせなかった著者が、
なんどかアフリカにおとずれるうちに、
かなり複雑な内容でも理解し、つたえられるようになっている。
つたえようという気もち・ききとろうとする熱意が
なによりも大切なのだろう。

金をくれと、しつこくつきまとう子どもたちに
「私は超貧乏で・・・」と通訳につたえてもらうと、
ひとりの少年が
貧乏なら、僕ん家でごはん食べよう!
僕ん家も貧乏だけど、インジェラ(エチオピアの主食)ならあるから、
それでもよければお腹いっぱいになるまで
食べてって!遠慮はいらないから!

といったはなしがよかった。

じっさいに少年(タジボ)の家をたずねると、
4畳半ほどの倉庫みたいな部屋に、
お母さんとタジボ兄弟の4人がくらしていた。
私はお金持ちではないので大きなサポートはできないのですが、私のできる範囲内で、タジボの将来を少しだけ応援させてもらえたら嬉しいです。とりあえず、今、私がタジボにできることを教えてもらえませんか」と伝えると、お母さんはこう返してくれた。
「神様が、息子のもとにナギを送ってくださったのだと思います。私たちは貧しい生活に慣れております。だから大金も必要ありません。ただ、しいて言うならばウチの子は半ズボンしか持っていません。朝と夜は寒く、足もケガばっかり増えてしまうので、長ズボンだけいただけたら嬉しいです」と。

貧しいくらしなのに、長ズボンしかもとめないとは、
なんてうつくしい精神なのか。
自分がとんでもない欲ばりにおもえてくる。

タイトルが「裸でアフリカをゆく」となっているけど、
もちろんいつも裸ですごしているわけではない。
あいてとの距離をちぢめ、こころをひらいてもらうのに、
いちばん効果的な方法が、おなじ格好をする、だった。
ただ、いい写真をとろうと、計算づくでの裸ではない。
子どものころにはじめてマサイ族をみたときから、
彼らの民族衣装をかっこいいとおもい、
おなじ格好をして おなじ時間を共有するのが著者の夢だった。
カメルーンでコマ族のくらす集落をたずねたとき、
かたい雰囲気をなんとかしようと、著者ははじめて裸になる。
この日、幼少期から抱いていた私の”同じ姿になったら仲よくなれる”という根拠のない自信は、長い年月を経て”確信”へと変わり、遠く離れたカメルーンの長老の心に私の思いは届いた。(中略)
言語の壁を簡単にぶち壊してくれるのは”態度で示すこと”なのだと思った。無表情だったコマ族の奥様たちの笑顔を見たとき、”脱いで本当によかった”と思ったし、初めて身にまとった葉っぱスタイルにとても興奮した。

素直にかかれた文章もいいけど、写真がまたすばらしい。
アフリカの、そして少数民族のうつくしさが
彼女の写真には とてもよくあらわれている。
あいてのふところにとびこんでいくので、
こんなすばらしい写真がとれるのだろう。

寝酒によっぱらいながら、
「『野生のエルザ』でアフリカにあこがれたおれが、
 この本でまたアフリカによばれた。いくしかない!」
とわたしは興奮ぎみにメモをのこしていた。
そんな気にさせてくれるぐらい、この本は刺激にみちている。

posted by カルピス at 17:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

かとうちあきさんの「お店のようなもの」

デイリーポータルZに、かとうちあきさんがやってる
「お店のようなもの」がちらっと とりあげられた。
http://portal.nifty.com/kiji/170618199934_1.htm
かとうさんは「お店のようなもの」の名で、
ときどきツイートされており、
いったいこの「お店のようなもの」とはなんのことだろうと、
気にしながら ほったらかしていた。

この、ほったらかすのは、
わたしがよくやる とりあえずの対応策だ。
わからないことがあると、
一生懸命にこたえをさがすのもいいけど、
あまりかんがえつづけると、生きるのがつらくなったりする。
頭のかたすみにそっとおいておき、
ときおりおもいだして、そのつど すこしかんがえる。
そんな適度な距離感が、生きるうえでのコツとして身についた。
たとえば、人生いかにいきるべきか、を
真剣にかんがえるのは大切だけど、
すぐにこたえがみつからないからといって
自分をさげすんだり、ヤケクソになってはならない。
なんねんもかけてこたえをさがすべき問題が
世のなかにはたくさんあり、
いったんわすれたほうが けっきょくは ながくかんがえられる。

記事により、「お店のようなもの」の概要はつかめた。
でも、わかったような気になっているだけかもしれない。
こたえさがしをあせらずに、
すこしずつ「お店のようなもの」の正体をつかみたい。
記事をよむかぎり、「お店のようなもの」は、
その名のとおり、「お店のようなもの」としかいえない空間だ。
窓ガラスに
「お店ようなものは
 お店のようなものです。
 時々あいてなにか売ったり、
 やったりしています。
 いまは石!!
 石を売ってるよ!!」

とかかれた紙がガムテープでとめられている。
営業日は火曜と水曜日ともかいてある。
ながねんの疑問がとけて安心した。
たしかにここは「お店のようなもの」で、
ほかによびようがない。
記事は、「お店のようなもの」の常連客である
タケさんに焦点をあてているけど、
わたしにとっては、お店の概要がわかりありがたかった。
なんて自由な空間だろう。

ひとの影響をうけやすいわたしは、
「お店のようなもの」を自分でもやってみたいとおもった。
いろんなものをごちゃごちゃと店においておけば、
おもしろがるひとが のぞいてくれるだろう。
かき氷くらいならサービスしてもいい。
駄菓子があれば、小学生がきてくれるだろうか。
人生になやむわかものが ひといきつける場所もあったほうがいい。
一生懸命にはやらないけど、よかったらつかってください、
みたいな ゆるい方針で店をひらき、
店主であるわたしがときどき顔をだす。
目的がはっきりした場所はかなわん、というのが
このごろのわたしの問題意識だ。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

「そうじとかたづけ」はべつものらしい

ラジオをきいていたら、ある番組で、
「そうじとかたづけはべつもの」といっていた。
かたづけができていないと、
いつまでもそうじがはかどらない。たしかに。
わたしは、このふたつをいっしょにあつかっていた。
かたづけながらそうじをする。
でも、じっさいは そんなことできっこないので、
どちらも中途半端におわる。

わけてあつかったほうがいいことって、ほかにもありそうだ。
旅行は、計画と実行とべつものかもしれない。
食事は調理と じっさいにたべる行為にわける。
結婚は、婚前と婚後ではないか。

世のなかには、なにかとふたつにわけるのがすきなひとがいて、
たとえば「あなたは犬派?それともネコ派」
なんてよくいうし、
「人間は2つのタイプにわけられる。
自分できめられるひとと、きめられないひとだ」
なんてのもどこかでよんだ気がする。
皮肉って、
「ひとは2タイプにわけられる。
 2タイプにわけたいひとと、そうでないひとに」
なんていいたくなるくらい
よくみかけるとらえ方だ。

あんがい、2つにわけてあつかうのは、
ただのおもいこみで、
ほんとうは3つなのかもしれない。
「2つ」のあいだには、
巨大な第三地帯がひろがっているのではないか。
梅棹忠夫さんは、東洋と西洋のあいだに中洋があると指摘した。
おなじように、犬派とネコ派のあいだには、
どちらでもない おおぜいのひとがいるのでは。

家がいつまでもかたづかないのは、
第3の要素をみおとしているからだ。
それがなにかを発見できたら、
わたしの机は画期的にととのえられる。

posted by カルピス at 06:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月18日

黒のスーツとサングラスできめたおにいさんにはなしかけられる

障害のあるかたの余暇支援でバスにのったら、
黒のスーツできめたおにいさんがはなしかけてきた。
髪は茶色にそめてパンチパーマ、そして黒のサングラスをかけている。
ときどきおなじバスにのられるので、
これまでも、みじかいあいさつをかわすくらいはしていた。
きょうは、「おでかけですか?」のあと、世間話になる。

このズボンはアジャスターがついているので、
すこしぐらいふとっても対応できる、と
いきなりわたしのふところにスルッとはいってこられた。
ヤクザ屋さんではないとふんでいたとおり、
スーツできめてるだけのおにいさんだ。
こういうひとはえてして はなしだすと とまらなくなるけど、
この方は、おおむねしずかにすごしながら、
ときどきズバッと自分のかんがえをかたられる。
はなすうちに、だんだんと ひととなりがわかってきた。

とくにかくすようすもなく、はなしのついでというかんじで、
養護学校をでているといわれた。
同期の子たちは、みすぼらしいかっこでくらしています、
わたしがいちばんかせいでいるとおもいます、と
自信ありげにはなされた。
そういわれても、いやなかんじをうけない。
わたしのしらないファッションとあそびのはなしをきかせてもらえ、
たのしいおしゃべりとなった。

黒のスーツと、それ以外の色のスーツをそれぞれ8着ずつもっておられ、
黒のスーツはよそいきというよりカジュアルな位置づけらしい。
黒だとよごれがめだたないので、というのが理由だ。
(4万円のやすいスーツ、というからすごい)。
わたしがみかけるときはいつも黒のスーツで、
この方にとってはカジュアルかもしれないけど、
ここまできめたひとは、わたしの町ではまずみかけない。
ほんとうにきめるときは、黒ではなく
11〜12万円もするド派手なスーツで気合をいれる。
こうしたはなしは たいがいハッタリがおおいけど、
このひとの場合はきっとほんとうだ。
確固たる信念にもとずいて、大切にされているスタイルなのだろう。

はなしをするうちに、居酒屋ではたらいていて、
きょうは月に2日しかない やすみの日というのがわかった。
月に2どのイベントとして、
町でお酒をのむのがたのしみなのだそうだ。
いちどの外出で3万円分あそぶらしい。
1500円のタクシー代をのこして きっちりつかってしまう。
かっこいい。
お酒をのむといっても、すきのないスーツできめるぐらいだから、
この方の場合は居酒屋ではなく、
「スナック・ラウンジ・キャバクラですね」ということだ。
わたしにはできないあそび方なので、
どんなおはなしをされるのですかとたずねると、
服やシモのはなしですと、てれや自慢ではなく、
事実を事実としてすんなりおしえてくれる。

わたしとまったくちがうお金のつかい方だけど、
かっこいいスーツと金銭感覚にすっかり感心してしまった。
かるい知的障害をもつひとのおおくは、
全面的に親の支配下にあったり、
施設や介護事業所に身もこころもあずけておられるなか、
この方は、はたらいて得たお金を自分のたのしみにつかっている。
キャバクラや高級スーツ、たとえ風俗だとしても、
どうどうと自分のスタイルを確立し、
生活をたのしみ、生きかたに自信をもっておられる。

結婚されてますか、ときかれたので、
「はい」とこたえる。
「あなたは結婚したくないですか」と、こちらからもたずねると、
あまり結婚に魅力をかんじておられないようすだ。
いまの生活をこれだけたのしんでおられのだから、
あえて結婚したいとはおもわないだろう。
「そうですね、いいことばかりじゃないですもんね」。
わたしは自分にいいわけするように あいづちをうった。

posted by カルピス at 21:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする