2020年06月14日

『戦争は女の顔をしていない』(小梅けいと)独ソ戦でのソビエト従軍女性

『戦争は女の顔をしていない』(小梅けいと・KADOKAWA)

原作は、500人以上のソビエト従軍女性を取材したもので、
本書は小梅けいとさんによる、その漫画版だ。
漫画版のちかくに、原作もおいてあったけど、
第二次世界大戦におけるソビエト人女性兵のはなしを、
いきなり文章でよんでもわたしには想像しにくいかもしれない。
まず、漫画版のほうをよんでみよう。

第二次世界大戦におけるソビエトの被害者数は、
2000万人とも3000万人ともいわれている。
本書のおわりにあるコラム「大祖国戦争」を
監修の速水さんがかいており、
それによると軍人と民間人をあわせ、2700万人がなくなったという。
当時のソビエトの人口が1億9000万人なので、
人口の14%をうしなったことになる。
ドイツは800万人、日本は300万人なので、
ソビエトはけたちがいの犠牲をだしている。
独ソ戦は、歴史的にも類をみない戦争だったのだ。

女性の兵士が、軍隊においてどれだけ一般的かはしらなけど、
ソビエトでは、はやくから女性を戦場におくりこんでいる。
本書をよんでいると、映画『ロシアンスナイパー』をおもいだした。
狙撃兵として、300人以上のドイツ兵をうちころした女性が主人公だ。
ソビエト側からえがかれた戦争映画はみたことがないので、
おおくの犠牲者をだした対ドイツ戦につよい印象をうけた。
なによりも、ソビエトでは、
女性兵がそれほど特別な存在ではなさそうだった。
味方の男性兵士からも差別の目をむけられながら、
過酷な戦場で、主人公の彼女は 自分がするべき任務をはたす。

本書の第一話は、洗濯部隊のはなしだ。
女性だけからなるこの部隊は、
戦場にでかけ、ひたすら洗濯する。
まともな石鹸がないので、手があれて、爪がはがれたりする。
これまでみた映画に、洗濯部隊がでてきたものはない。
そういえば、ほかの国の兵士たちは、
よごれた軍服をどうやってあらっていたのだろう。

第三話では、ソビエト兵が「ロシア兵魂」を発揮して、
捕虜にあたたかい食事をわける場面がでてくるけど、
独ソ戦ではありえないような気がする。
映画にでてくるソビエト兵は、
あたたかみのないひとばかりだから、
そんなふうにおもいこまされているのだろうか。

ぜんたいとしては本書をおもしろくよんだけれど、
絵はそんなにうまくなく、なによりも、
ソビエト人をかくのになれていないかんじで、
少女漫画的な人物がえがかれている。
それでも、女性たちの愛国心と、
女性兵ならではのたいへんさがよくつたわってくる。
本書により、ソビエトの従軍女性をすこしはしることができた。
つづきは原作でよんでみたい。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月13日

ラジオマンジャックの生放送再開と、サンチャゴ巡礼

「ラジオマンジャック」(NHK-FM)は、先週から
「スタジオからの生放送」になっている。
まだレギュラー全員はあつまれず、
赤坂さん・時東さん・門司さん、3人による放送として再開された。
3人はそれぞれ距離をおき、マスクをつけ、
スタジオのドアもあけはなっているそうだ。
内容は、生放送と、名作選の両方をまじえている。
番組におくられてくるメールからは、
こういう無駄な番組があるすばらしさ、みたいなニュアンスで、
ひさしぶりの生放送をよろこぶ声がきこえてくる。
いつもの時間に、いつもの番組を、みんなもとめている。
それが日常の象徴だから。
あんまりもちあげられると赤坂さんはてれくさいようで、
「あっ!いたの」ぐらいのあつかいでちょうどいい、
なんていってる。気もちはよくわかる。
あまりひなたに位置づけられ、いいこになってしまったら
おもしろみがなくなる番組だろう。
きょうは「除菌モード全開」でとどけてくれるという。
誤字脱字番組なので、こまかいことはほっといて、ともいわれた。
「ラデツキー行進曲」にあわせた赤坂さんの歌がおかしかった。
生放送は、やっぱ、いいなー、とおもったら、以前の企画だった。
けっきょくどっちでもよかったりして。

新型コロナウイルス対策がととのってくると、
状況にあわせたマニュアルができて、コロナがあるのを前提とした、
コロナとつきあいながらの生活があたりまえになってくる。
感染が完全にはおさまらなくても、ラジオマンジャックのように、
スタッフの人数を制限し、スタジオでの収録がつづけられる。
せんじつの記事でかいたように、
わたしがいくプールも「新しい利用方法」をとりいれて、
利用できるようになった。
更衣室はリスクがたかいということで、
ジムを利用するひとは、更衣室、そしてシャワーがつかえない。
プールを利用するには、会議室が更衣室になり、
いちどに7人まで、という制限がかかっている。
施設にはいるにはマスクをつけなければならないし、
はいるとき・でるときは、消毒がもとめられている。
映画では、県民会館が、500席あるホールの定員を100人にして、
おためしの上映会をこころみだした。
ホールや映画館は、こんな形でつかうようになるのだろう。
わたしがにがてなマスクとソーシャルディスタンスは、
あと何年か つきあわないといけないのかも。

NHKーBSでサンチャゴ=デ=コンポステーラの巡礼をとりあげていた。
わたしも、いつかあるいてみたい、とおもっている巡礼コースだ。
番組によると、宗教への関心はひくくなっているのに、
ながい距離をあるく「旅」として、だんだん人気がでているという。
コロナの影響で、いまは巡礼旅はできないだろう。
65歳に実行しようとおもっていたので、
そのときまでには、自由に国境をいききし、
旅行ができるようになっているだろう。
わたしにとっては6年さき ぐらいがちょうどいい。

番組としてとりあげるから当然とはいえ、
巡礼をしているひとは、それぞれなやみをかかえている。
まじめに仕事をしすぎて、つかれはてたひとや、
ちいさいころからゆっくりものごとをすすめられず、
ついセカセカとうごいてしまうひと。
もっと楽に生きられたらいいのに、とおもった。
巡礼路をあるいていると、まわりにたすけられて、
やさしい気もちになれた、みたいなことをみんないう。
わたしは、もし1600キロをあるきとおしても、
きっとなにもかわらないとおもう。
ひとにやさしくなんて、なれそうにない。
それでもサンチャゴへの道をあるくときめている。

posted by カルピス at 20:23 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月12日

伊藤理佐さんの「あるのか?わたし」がおかしかった

伊藤理佐さんの「あるのか?わたし」がおかしかった
(朝日新聞に隔週で連載される「オトナになった女子たちへ)。
タイトルは、「わたしは、ジュリアナ東京へいったことあるか?」。
もうひとつ問題があって、それは
「わたしは、マクドナルドの
 フィレオフィッシュバーガーを食べたことあるか?」。
いったのか、たべたのか、自信がないそうだ。
そして、おわりのほうで、
富士山をみる目が、この問題にむかうときの ヒントをおしえてくれる。
 ところで。
富士山は圧倒的に富士山なのだそうだ。
「あの山は富士山?」
と、「?」がついたら、もうその山は、富士山じゃないんだそーだ。富士山はただ、ただ、
「あ、富士山・・・!」
となる、のだそうだ。

富士山でおもいだしたのは ダニのはなしだ。
ダニにかまれてかゆいような気がするけど、
これはほんとにダニなのだろうか、とまよったら、
ダニではない、というのをきいたことがある。
もしダニだったとしたら、まよわないぐらい
強烈にかゆいのだそうだ。
おなじように、50肩かな?とおもったら、それは50肩ではない。
もし50肩だったら、「かな?」ぐらいのいたみではすまないから。
名づけて、「まよったら、ちがう」の法則。
世界はシンプルにできていて、「はい・いいえ」のふたつしかない。
中間はない。どっちかなー、とかんがえたら、
それだけですでにこたえがでている。いいえ、なのだ。

といいつつ、優柔不断にまようのはあんがいすきだ。
たとえばお酒をかいにイオンへいったとき、
ジンをかうか、ウィスキーにするか、
1本にするか、2本のほうがいいか、
ビールはどの銘柄にするか、白ワインの値段は、など
たいしたことないことについて、いちいちまよう。
とくにおおきなかいものでないときでも、ちゃんとためらう。
不毛な時間であり、もったいないだけなのに、
ああでもない、こうでもないとかんがえる。
そんなふうにまようのが人生、という気がしている。
ごくささいなことにまよっていると、
自分の人生をいきている手ごたえがある。

posted by カルピス at 20:19 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月11日

映画『タイタニック』のおもいで

車のなかでラジオ番組の「音楽遊覧船」をきいていたら
映画『タイタニック』の主題歌がリクエストされた。
1997年に公開されたというから、もう23年もまえの作品だ。
『タイタニック』みたいな超大作は、
どうしてもななめにかまえてしまい、
公開したときには みずにすませることがおおい。

『タイタニック』がもうすぐ公開されるというころ、
わたしがつとめていた介護事業所に、
見学と体験をかねて中学生のひとクラスがきていた。
牛乳パックをつかった紙すきをいっしょにしていたら、
ひとりのおしゃべりでげんきのいい男の子が、
こんどくる『タイタニック』についてはなしだした。
主演のディカプリオの魅力、
監督のジェームズ=キャメロンが
これまでにつくってきた作品のおもしろさ。
新作の『タイタニック』が、どれだけすごい作品か。
あまりにも熱のはいったおしゃべりなので、
大作映画にはいかない主義のわたしも、
では、みてみようか、という気になった。

23年たったいま、内容については断片しかおぼえていない。
さむさによわいわたしは、
つめたい海にしずんでいくディカプリオをみて、
ああいう死に方はいやだとおもった。
船がしずむとわかっていながら、
最後まで演奏をつづけた音楽家も印象にのこる。
じょうずにつくられた作品で、映像の迫力と、
主演のふたりがむすばれずにわかれた場面など、
ふかく満足して映画館をでたようにおもう。

はなしをもとにもどすと、
車のなかに『タイタニック』の主題歌がながれ、
いっしょにのっていたひとが、「ポーランド」といった。
ポーランドから出航したはなし、と記憶していたらしい。
「いや、ポーランドではなくアイルランドでしょ」
とわたしはわかったようなことをいった。
家にかえってしらべると、イギリスのサウサンプトンを出発し、
ニューヨークをめざした航海ではないか。
よくしっているひとがきいてなくてよかった。

わたしに『タイタニック』をみるようすすめてくれた
男の子は、どんなおとなに成長しただろう。
いまは30代後半になっているはずだ。
自分が興味をもっているものについて、
初対面のおとなにも、熱心にかたる素直さを
いまもたもっていてくれたらうれしい。
『タイタニック』というと、ディカプリオよりも、
あの中学生のことがあたまにうかぶ。

posted by カルピス at 22:00 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月10日

夏のマスクはマジでたまらない

きのうは35℃、きょうは32℃と、
真夏なみのあつさがつづいた。
こうなると、マスクをつけるのがとてもくるしい。
ジョギングでは、ためしたことさえないけど、
散歩ですらすぐに息ぐるしくなってくる。
30℃をこえれば、マスクのなかがむれて汗をかく。
わたしにはとても我慢できない不快さだ。

きょうの天声人語(朝日新聞のコラム)が、
夏のマスクをうれいていた。
熱中症予防のため厚生労働省などは、野外で人との距離が2メートル以上あればマスクは外しましょうと呼びかけている。1人で野外を歩く時につけなくていいのは、考えてみれば当たり前だ。わざわざ注意喚起が必要なのは、世の中の着用圧力が強いからだろう。

車にひとりでのっているのに、
マスクをつけているひとがいる。
まわりはだれもいない山のなかにある畑で、
マスクをつけてはたらいている女性がいた。
もうなにをみてもおどろかないぞ。

新型コロナウイルスについて、
たしかなことはなにもいえないので、
わたしはアホらしいとおもっても、
きめるのはひとそれぞれだ。
空中にただよっているウイルスを
すいこまないためのマスクもありかもしれない。
ただ、その用心を、
まわりのひとにまでもとめられると たまらない。

ジョギングしていたら、
スタイル抜群な女性が準備運動をしていて、
そのたたずまいにみとれていたら、
がっちりマスクをしていた。
あなたまでそんな判断をするのかと残念におもう。

仕事でよくとおる道で、散歩ちゅうのおじさんをよくみかける。
背中に「安倍ヒトラー」とかかれたTシャツをきているので、
よほど腹のすわった人物なのだろう。
そんなにつよい批判精神のもちぬしなのに、
このひともまたマスクをつけていて、それがすごく残念だ。

島根のような田舎にすんでいると、
コロナはけっきょく人口密度なんだとおもう。
都道府県別の感染者数をみると、
人口のすくないところはたいてい ふたけただ。
都会にすみ、満員電車にのり、
ひとがたくさんのスーパーでかいものすれば、
そりゃ感染のリスクはたかいだろう。
せっかくひとのすくない島根にいるのだから、
ひとりでの散歩や、ひとりでの運転、
ましてやひとりでの畑仕事くらい
マスクなしですごせばいいのに。
つけなくていいのは、「考えてみれば当たり前」だ。

スーパーでマスクをしてない女性がいて、
さっそうとしてうつくしかった。
マスクがにあう女性もいるけど、
マスクをつけないひとのほうが
芯のつよさをかんじてすきだ。
そういうわたしは圧力にまけ、
スーパーなどのお店にはいるときは、
ポケットからマスクをとりだしてつける。
なんちゃってマスクとしかいいようがなく、
そんなつけ方をしてもウイルスをふせぐ効果はまずないだろう。
いうこととやることが一致しないだらしない人間だ。

posted by カルピス at 22:51 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月09日

Numberの「史上最強チームを語れ。」

Number がつくる特集本はまずかわないのに、
ながらくJリーグがおやすみしているさみしさから
「史上最強チームを語れ。」をかった。
現役Jリーガーと読者がそれぞれ投票し、
Jリーグの最強チームをえらぶという企画だ。
選手と読者とで、えらんだ順位はちがうけど、
おなじようなチームがベスト10にはいっている。

Nーボックスのシステムで有名な
2002年のジュビロ磐田のつよさを、
おおくの選手がくちにしている。
3連覇したときのアントラーズ、
3冠をとった2014年のガンバ、
きょねんのマリノスの評価もたかい。
つよくて点のとれるチームがみんなすきなのだ。

めずらしくNumber の本をかったのは、
オシムさんが指揮をとっていたころの
ジェフユナイテッド千葉がとりあげられていたからだ。
投票によるベスト10いりははたしていないけど、
オシムさんがとりいれたトータルフットボールは、
ジェフだけでなく、日本じゅうのサッカーに影響をあたえており、
今回の特集にも顔をだしたのだろう。
2007年に、オシムさんが脳梗塞でたおれ、
オシムさんのめざした日本らしいサッカーは未完成におわった。
今回の特集では、オシムさんとともにジェフですごした佐藤勇人さんが
コメントをよせている。
ここ数年の海外サッカーを見たときに、オシムさんがそれ以上のことをやっていたのに気づいたからです。前に人数をかけてリスクを冒して攻める。ボールを奪われたらすぐに切り替えて奪い返し、全員が止まることなくボールに関わる。自分たちがしていたことの完成形を今の世界がやっているのがわかったとき、イビチャ・オシムという人はどこまで先を見ていたんだろうと思いました

かえすがえすも、オシムさんが日本代表をひきいての
W杯南アフリカ大会をみたかった。

わたしがサッカーに関心をもつようになったのは、
2002年の日韓W杯からで、ようするに
典型的なミーハーであり、にわかファンだ。
その後、代表選をみるだけの期間がしばらくつづいたあと、
だんだんとJリーグの試合への興味もわいてきた。
オシムさんが代表監督のときに活躍した、
中村憲剛や遠藤ヤットさんがひいきで、
したがって、チームとしてはフロンターレとガンバを応援している。
熱心なサポーターは、生活のおおくを応援するチームにささげており、
その喜怒哀楽のはげしさは、「web本の雑誌」にときどきのる、
杉江さんのブログでほんのすこしだけ 垣間みている。
サッカーで生活にメリハリがつく、などというレベルではなく、
命をかけて声援をおくっているといってもおおげさではない。
わたしは、とてもそこまでの情熱をもちあわせておらず、
ひいきのチームが快勝すれば気分がいい、
という程度のサッカーファンにとどまっている。

Jリーグは、第1節をおえただけで
新型コロナウイルスによる中断期間にはいった。
そして、7月4日からの再開が予定されている。
熱狂的なサポーターでないわたしにとっても
サッカーのない生活は、さみしいものだった。
せんじつから再開したドイツのブンデスリーガの試合をみると、
ながい中断にもかかわらず、選手たちはよくうごいていた。
もちろん本来のスタミナとスピードではないだろうが、
サッカーのできるしあわせを、
おおくの選手がかみしめているのではないか。
Jリーグの試合に、一喜一憂する日常がまちどおしい。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月08日

島根県の出生率が全国3位に

島根県の出生率が1.68で、全国3位だったと
6日の朝日新聞島根版にのっていた。
ただ、出生数は4年連続で過去最低というから、
全国3位とはいえ、そんなにおめでたい数字ではない。
ネットをみてみると、出生率の1位は沖縄の1.82で、
全国平均は1.36というからかなりひくい。
4年連続の低下で、2007年以来12年ぶりの低水準だという。

エバーノートにとっておいた記事を検索すると、
2017年は島根が出生率で1.75と2位だった。
生まれた数はすくないものの、出生率についていうと、
島根は上位の常連のようだ。
島根県は、2040年までに出生率を2.07にもっていくことを目標、
とものっている。
2.07は、人口を維持するために必要だといわれる出生率らしい。

「1.57ショック」ということばをおぼえているので、
これまたネットでみてみる。
1.57の、なにがそんなにショックだったのだろう。
1990年に発表された前年度の出生率が
「ひのえうま」だった1966年よりもひくかったことから
「1.57ショック」と、おおきな反響をよんだという。
ふつうの年なのに、「ひのえうま」の年よりもひくい、
というのはありえない事態だったのだ。
ちなみに、「ひのえうま」である1966年に生まれたのが、
のちに『負け犬の遠吠え』を世にだす酒井順子さんだ。

その後、多少の増減はあるものの、
出生率のグラフは右肩さがりにえがかれていく。
負け犬がふえれば出生率はもちろんさがる。
子どもをもってもいい、という状況に日本はないので、
ながい目でみれば、これから負け犬はさらにふえ、
したがって出生率はさがるだろう。
それでは、新型コロナウイルスは、出生率にどう影響するだろうか。
在宅勤務がふえたら出生率もあがりそうだけど、
かえってDVの被害がふえているというし、
マスクをつけ、距離をたもっていては、恋愛もままならない気がする。
出生率を2.07に、と目標をたてたひとたちも、
コロナで世界がこんなにかわるなんて、予想できない。
スキンシップをしにくい世界で、出生率がどううごくのか。
もともとスキンシップのなかった日本は、
さほどコロナの影響をうけず、出生率はゆるやかな右さがりのまま、
とわたしは予想している。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月07日

『日の名残り』(カズオ=イシグロ)うつくしい文章のうらに、かくされたわらい

『日の名残り』(カズオ=イシグロ・ハヤカワepi文庫)

イシグロ氏の本は、『わたしを離さないで』につづいて2冊目だ。
わたしにこんなむつかしそうな本がよめるだろうか、
おずおずと手にとると、めちゃくちゃおもしろかった。
由緒あるお屋敷、ダーリントン・ホールが舞台で、
執事のスティーブンスのかたりではなしがすすんでいく。
執事だけあって、とてもていねいなことばえらびがここちよく、
土屋政雄氏の訳にもたすけられ、
執事が名家にかかせなかった時代をぞんぶんにたのしんだ。
スティーブンスのきまじめな人柄は、
じつに執事むきではありながら、現代社会ではいささか大時代だ。
執事は、大英帝国がかがやいていた時代の遺産ともいえ、
いまとなっては、スティーブンスのかたるすべてが
冗談におもえるほど 現実とにずれがある。

スティーブンスのあたらしい主人であるファラディ氏が、
自分のるすのあいだ 自動車旅行にでるよう
スティーブンスにもちかけるところからはなしがはじまる。
スティーブンスは、はじめはためらいながらも、
旅行にでることで、お屋敷の人手不足を解消できるかもしれないと、
ファラディ氏からの提案をうける。
スティーブンスは、旅行でおとずれる場所として、
まえに女中頭だった ミス・ケントンのすむ町をかんがえていた。
彼女がやめたのはもう20年もむかしのことだけど、
仕事がよくできただけに、ふたりはよく衝突しながらも、
おたがいの能力をみとめあい、お屋敷のためにつくしていた。
彼女がふたたびお屋敷ではたらくようになれば、
さまざまな問題はいっぺんに解決するだろう。
スティーブンスは、執事としてすばらしい仕事ぶりをみせるのに、
頭にあるのは主人とお屋敷のことばかりで、
ミス・ケントンが、自分に好意をよせていたのさえ気づかなかった。
ミス・ケントンは、結婚してお屋敷をはなれてからも
スティーブンスに何通か手紙をよこしている。
最近の手紙には、彼女がいまおかれている状況が
けして良好ではないとにおわせていた
(とスティーブンスはうけとめた)。

スティーブンスは、車での旅行をすすめながら、
おなじく執事としてはたらいていた父親のこと、
さきの主人であるダーリントン卿のこと、
その時代のお屋敷が、どれだけたかいレベルにたもたれていたか、
自分がお屋敷のやりくりに、どれだけ貢献できたかをおもいかえす。
偉大な執事とは。
執事における品格とは。
スティーブンスはむかしをおもいかえし、
執事にはなにがもとめられるかをかんがえつづける。
ことばづかいがていねいなものだから、
まともにうけとめると地味でおもしろみのない小説だけど、
慇懃なふるまいのうらに おかしさがみえかくれしている。
そもそも、執事として、すぐれたうでをもちながら、
女ごころにまったくうといのがしんじられないほどだし、
主人のファラディがくりだす冗談に、
自分がどうきりかえしたら適切な対応といえるかを
どこまでも真剣にかんがえたりする。
まじめさが、わらえるレベルにたっしているのがスティーブンスだ。
とはいえ、スティーブンスだって、自分がうでをふるえた時代はさり、
いまはもう、おとろえていくばかりの仕事ぶりだとわかっている。

よみすすめるうちに、スティーブンスがふかくしたっていた
まえの主人であるダーリントン卿は、
第二次世界大戦前後のはたらきぶりが批判をうけ、
残念なさいごをむかえたことがわかってくる。
お屋敷の維持・管理につくしてきた自分の人生とはなんであったか。
私生活においても、ミス・ケントンの気もちにさえ気づけなかった。
スティーブンスは、人生のおわりごろになって
ふかいかなしみと後悔におそわれる。
でも、ものがたりのおわりは意外とさばさばしている。
スティーブンスは、きゅうにジョークの大切さに気づく。
もちろん、私はジョークの技術を開発するために、これまでにも相当な時間を費やしてきておりますが、心のどこかで、もうひとつ熱意が欠けていたのかもしれません。明日ダーリントン・ホールに帰り着きましたら、私は決意を新たにしてジョークの練習に取り組んでみることにいたしましょう。ファラディ様は、まだ一週間はもどられません。まだ多少の練習時間がございます。

どこまでも、まじめなひとなのだ、スティーブンスは。

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月06日

「まるで家族みたい」を、ほめ言葉としてとらえない

どこでよんだのかわすれたけど、
「家族」への疑問をなげかける視点をしり、ふかく共感した。
それをかいたひとは、家族ではないひとたちとすごしていて、
とてもいい関係にみえることから
「まるで家族みたい」とよくいわれるそうだ。
そして、それをきくと がっかりするのだという。
ふつうだったら「まるで家族みたい」は ほめ言葉だ。
でも、それは家族のむすびつきこそ
なにものにもかえがたい、という価値観が前提となっている。
家族でなくても「まるで家族みたい」にいい関係もあるし、
家族であってもうまくいってない家もある。
それなのに、いつまでたっても「家族みたい」が
ほめ言葉として、なんのうたがいもなく つかわれている。

ラジオをきいていたら、
「ほんものの家族みたいに食事をするシーンがある」、
と担当者がはなしていた。
家族を肯定的にとらえ、家族ではないけれど、
家族みたいにいい関係をたもっている、という意味だろう。
しかし、このいいかたでは、
「ほんものの家族」こそがただしい、みたいにきこえる。
「ほんものの家族」でなくてもいいじゃないか、
いい関係のあつまりだったら。

ひとりでくらしているひとがいるし、同性のカップルもいる。
家族の多様性がいわれてひさしいのに、
いつまでも血縁関係のある家族こそが、
ほんとうの「家族」だ、という価値観がかわらない。
血縁関係があろうがなかろうが、
ふかくむすばれた関係であれば それが家族だ。
「まるで家族みたい」を、ほめ言葉としてつかわないよう
このごろは注意するようになった。

新型コロナウイルスの影響から、家ですごす時間がふえ、
DVの被害がひろがっている。
DVをめぐっては、国連が4月下旬、世界で外出規制策が半年続いた場合、新たに3100万人の女性たちが暴力の被害を受けかねない、と警告している。(朝日新聞)

いっしょにくらすことで、暴力をうけるリスクがふえるなんて、
家族って、いったいなんなのだ。
「家族」のありようはさまざまで
「まるで家族みたい」はけしてほめ言葉ではない。

posted by カルピス at 15:22 | Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月05日

2ヶ月ぶりにプールでおよぐ

2ヶ月ぶりにプールでおよぐ。
4月9日に、島根県でも新型コロナウイルスの感染者がでたため、
その翌日から県立プールは休館となった。
緊急事態宣言が解除されてからも慎重な対応がつづき、
今週になってようやく施設が再開された。
県立プールには、トレーニングジムも併設されており、
いまはプール・ジムともに利用できるようになった。

ただし、「新しい利用方法」がつくられて、
かなりめんどくさい手つづきが必要になっていた。

・マスクをつけていないと施設にはいられない
・利用は2時間まで
・受付で体温・氏名・住所・連絡先をかきこむ
・トレーニングをするひとは、更衣室がつかえず、
 シャワーもあびられない
(更衣室は「密」になりやすいので閉鎖)
・プールにはいるひとは会議室できがえる
 いちどに7名までしか会議室にはいられない
・トレーニングルームをつかうひとには消毒セットがかしだされる
 練習ちゅう、可能なかぎり消毒セットをもちあるき、
 マシンをつかったあとに消毒するようもとめられている

かえるときにトレーニングルームをのぞいたら、
マスクをつけてトレッドミルにのっているひとがいた。
マシンをつかうひとも、半分くらいはマスクをつけている。
更衣室がつかえないので、家できがえてからこなければならず、
これから汗をたっぷりかく季節なのに
トレーニングのあとシャワーもつかえない。
トレーニングちゅうは消毒をこまめにして、
そのうえマスクまでがエチケットになるとたいへんだ。
これからしばらくは、この「新しい利用方法」にそっての
施設利用がもとめられるわけで、
これだけめんどくさいと、わたしはとてもついていけない。
それにしても、島根でさえ「密」をさけるのが
こんなにたいへんなのだから、
都会ではどうやって交通機関や施設を利用しているのだろう。
いまさらながらコロナのやっかいさにうんざりしてくる。

2ヶ月ぶりとなった水泳は、およぐ筋肉がおちただろうから、
どれだけつづけておよげるだろうかと、心配していた。
ゆっくりながら、あんがいたのしく1500メートルおよぐ。
およぐのは、はしるのとまったくちがう自由さがある。
これからまた 感染者がでる日も あるだろうけど、
「新しい利用法」でコロナとの共存をはかり、
プールをひらきつづけてほしい。
プールをでるときはつかれきっており、
わかいころの部活動をおもいだした。

posted by カルピス at 20:53 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする