2017年04月16日

いまさらながら『シザーハンズ』

『シザーハンズ』(ティム=バートン:監督・1990年・アメリカ)

ずっとまえから気になっていた作品だ。
1990年に公開されているので、
27年ほったらかしているあいだに「古典」となってしまった。
こむずかしい解釈をもとめられるとおもいこみ
なんとなく 敬遠してきた。
おどろおどろしいのはオープニングまでで、
あとは霧がはれるように あかるい映像となる。
これはまあ、ティム=バートン監督の常套手段ともいえるのだけど、
その演出にすっかりだまされていた。

これはコメディだ。
深刻にみるひとがいてもいいけど、
一貫したドタバタというみかたをわたしはとりたい。
レタスを手のハサミでみじんぎりにしたり、
バカボンのパパみたいに植木をかりこんだり。
警察が「手をうえにあげろ」とエドワードをおいつめる。
エドワードがいわれたとおりに手をうえにあげると、
とうぜんながらややこしいハサミの手がうきぼりになる。
「ナイフをたててるぞ!」がおかしかった。
この警官は、のちにエドワードがかかえる
ややこしい状況に理解をしめし、
ふかい部分でエドワードのとまどいを理解する。
以下、ネタバレあり。

ある博士が「人間」をつくったとき、
手の部分だけがをつくりのこして死んでしまい、
あとには手がハサミのまま エドワードひとりがとりのこされた。
手がハサミの人間って、どんな姿なのだろう。
『シザーハンズ』がそのこたえだ。
ティム=バートン監督は、
いかにも もっともらしいハサミ人間として
エドワードに黒のジャケットをきせ、
表情があるような ないような、
うごきもどことなくぎくしゃくしていて、
でも あるいているとちゅうで
庭木にちょっかいをだしたりする好奇心はある。
ハサミはひとつではなく、なにやら複雑にこんがらがっている。
エドワードは、自分のややこしい手を、
けしてなげいたりはしなかった。
自分のからだをうけいれながら、あたらしい世界にもなじもうとする。
ハサミひとつのシンプルな手にしなかったのが、
エドワードのありえなさをきわだたたせ、
この作品を成功にみちびいた。

手がややこしい形なだけで、作品の内容そのものは、
ものすごくシンプルにつくられている。
お城みたいな家でひとりぐらしをしている青年
(しかも手がハサミなのに)を、
化粧品セールスの女性が かんたんに家につれてかえるはずがないし、
つれてかえった青年を、女性のご近所さんが
あんなに関心をよせるはずがない。
すべてがおとぎ話なのだ。
そこにどれだけのリアリティをもたせられるか。
ティム=バートン監督がつくる世界に、
わたしはここちよく身をゆだねた。

キム(ウィノナライダー)のボーイフレンドであるジムは、
あんなにバカな男でなければならなかったのか。
キムだって、ただかわいいだけの女の子にすぎず、
ウィノナライダーではすこしかわいそうだった。
エドワードがキムに恋するわけないような気がするけど、
恋にぜったいはないので 恋しちゃったわけだ。

posted by カルピス at 17:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

『本の雑誌 5月号』国語の教科書を作ろう

今月号の特集は、国語の教科書。
「国語の教科書を作ろう!」の座談会がおもしろかった。
国語の教科書のせいで、本がきらいになる生徒がおおいらしく、
それなら自分たちでつくったら、という企画だ。
「前後ぶった切ってここだけ読んだって、面白いわけ」ないので、

・短編で読みきれるものを載せる
・基本的には全編読ませる

という提案がでている。
途中までがおもしろければ、
そのさきは自分でさがしてよめばいいので、
かならずしも全編まるごと とはおもわないけど、
ショートショートや短編だったら、たしかにできる。

わたしの記憶にのこっているのは、
中学の教科書にのっていた
『野生のエルザ』と『一切れのパン』だ。
エルザは、シリーズをとうじ夢中でよんでおり、
自分のすきな本が、教科書にのっているという、
それだけでうれしかった。
『一切れのパン』は、ナチスにとらえられたユダヤ人が、
収容所につれていかれるまえに にげだし、
家までもどるはなしだ。
ある老人から、布きれにつつんだひときれのパンをわたされ、
どうしても我慢できなくなるまで、
このパンに手をつけてはいけない、とおしえられる。
ポケットにいれた そのパンをささえに 男は冷静さをたもちつづけ、
無事に家にもどる。
布にくるんだパンをとりだしてみると、
それはパンではなく、板きれだった。

パソコンで検索すると、わたしの記憶はだいたいあっている。
たくさんの感想がよせられているので、わたしとおなじように、
つよく印象にのこっているひとがおおいのだろう。
ただ、高校の教科書にのっていたとおもっていたけど、
じっさいは中学のときによんだみたいだ。
高校の教科書に、なんの記憶もないのはなぜだろう。
本ずきだったわたしにはものたりなかったのか、
あるいは純文学的すぎたのか。

教科書で生徒が本をすきになるだろうか。
村上龍さんの『69』は、
単純に 本のおもしろさをわかってもらえるとおもう。
斎藤美奈子さんの『妊娠小説』をとりいれたら、
小説だけでなく評論にふれるきっかけになるし、
妊娠をめぐる男たちのテキトーさは、社会科の教材としてもつかえる。
村上春樹さんの初期のエッセイは、
ノーベル賞候補のえらい小説家、みたいな、
あやまったイメージをとりさってくれるはずだ。
教科書は、きびしい検査にとおらなければならないので、
教科書らしくない教科書は、なかなかつくれないのかもしれない。
それにしても、まったくおぼえていないというのは ひどい。
じっさいに高校で国語をおしえている先生のはなしをききたい。

posted by カルピス at 10:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月14日

『ブルース・ブラザーズ』ふたたび

BSプレミアムで放映された『ブルース・ブラザーズ』を録画する。
すこしまえのブログにかいたとおり、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/445197530.html?1492171735
わたしはこの作品がだいすきなのだけど、
短縮版のようで、レンタルDVDと訳がすこしちがう。
カットされている部分もあり、いまひとつはいりこめない。
ひとりでごはんをたべるときに、すこしずつみていた。

夜おそく、ピピがごはんをせがんで わたしのベッドにきた。
台所へいって、ピピのカンヅメをあける。
ピピがたべるのをまつあいだ、中途半端な時間ができたので、
『ブルース・ブラザーズ』を再生する。
ちょうどホテルでのコンサートがはじまるところで、
ここまでくれば 訳がどうこうはなく、
ごきげんにのっけてくれる。
ピピにみちびかれるかたちで、
2どめの『ブルース・ブラザーズ』をたのしめた。

この作品は、全編にブルースのかおりがただよっている。
ブルースとはなにかが、この作品をみればわかる。
主役の2人だけでなく、2人にくどかれて
バンドにくわわる仲間も、警察も、ネオナチも、
だれもがブルースの精神で生きている。

コンサートをぬけだし、警察の包囲網をやぶって
シカゴの税務署へむかう場面では、
エルウッドがポンコツのダッジにのりこむと、
以下のことばをつぶやく。
シカゴまで170キロ。
ガソリンは満タン。
タバコは半箱。
闇夜にサングラス。

ブルースだ。

パトカーが何十台もへしゃげていく
めちゃくちゃなカーチェイス。
ブルース=ブラザーズたちの、
ふとくてみじかい(おそらく)人生に一票をいれたくなった。
ブルースに生きようとすると、人生80年はながすぎる。

映画のラストにごきげんになったわたしは、
ズブロッカで祝杯をあげる。
ピピがおこしにこなかったら、はやめにやすんでいた夜なのに、
余計な酒のおかげで あしたはきっとふつかよいだ。
それもまたブルースなのでしかたない。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

余計なものを過剰にくわえる 松本圭司氏の料理法にしびれる

デイリーポータルZに松本圭司氏の
「シャトルシェフで肉を煮れば人類は救われる」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/170411199303_1.htm
シャトルシェフは、保温調理器の一種らしい。
煮こむ時間はみじかくても、そのあとながい時間 保温することで、
材料がトロトロにやわらかく、おいしくなるそうだ。
わたしがすきな(やすいので)豚バラ軟骨と鶏肉の手羽を材料に、
煮こみ料理がつくられている。

松本氏は、「揚げ物に油をかけると、すっげーウマい」の記事で、
ポテトチップスにオリーブオイルをかけたり、
テンプラに豚バラ肉からとった油をかけたりと、
常識にさからう過剰な摂取で わたしが注目している食の冒険家だ。
http://portal.nifty.com/kiji/170314199029_1.htm
テキトーさと大胆さ(おなじことか)により、
食材のいきおいを最大限にひきだす手法は、
他の料理人の追随をゆるさない。
たとえば豚バラ軟骨の料理では、
煮込むとアクが出ますがもったいないので取りません。アクだって豚の一部です。

とたのもしい。
われわれは、料理人であるまえに
地球人としての良識をわきまえるべきで、
あたりまえに 材料をまるごと とりいれる姿勢に 好感がもてる。
鶏肉の手羽をつかったカレーでは、
・表面を焼きます。うま味を閉じめるとかそういう効果は特にありませんが茶色はおいしそうなので茶色くします。そういう儀式です。
・カレールウは使っても使わなくてもいいのですが、カレー粉を買うより安いので経済的理由でルウを使います。
・「カレールウの味は完成しているので隠し味は要らない」なんてつまんない事を言う人がいます。が、どんどん余計なものを入れていきます。むしろ隠さず余計なものだけでカレーを作る。するとハレになります。
・『ごちそう』とはつまり普段とは違う味の事ですから、ふだんと違う味付けにすればそれすなわちごちそうです。レシピなんかに従っていたらごちそうなんて出来ません。魔改造していきましょう。

と、筋のとおったコンセプトにしびれる。
トマト・おろしショウ・、おろしニンニクをくわえ、
カレールウをいれたのちも、
「余計なもの」をつぎつぎに つけたしていく。
添付のカレー粉・S&Bのカレー粉・ヨーグルト、
梅ジュースをつけたあとの梅。
一般的にはシンプルが善とされ、
「余計なもの」をくわえるのはダサいと 評判がわるいけど、
松本氏は一般常識にとらわれず、
「余計なもの」を過剰にくわえる手法で
料理のあたらしい大陸を発見した。

わたしは、なにかをくわえるより、
いまあるものから すこしずつひいていく過程に
価値をみいだしている。
肥料をやったり、土をたがやしたりと、
よさそうな方法はなんでもとりいれ、世話をやきたがる米つくりより、
自然農法のように、肥料はいらないのではないか、
草もとらなくてもいいのではないか、
というかんがえ方のほうがただしいとおもっていた。
しかし松本氏は、わたしと逆な方向に、ひとつの真理をみつけている。
くりかえして強調したい。
「隠し味は要らない」なんてつまんない事を言う人がいます。が、どんどん余計なものを入れていきます。

しごく名言である。
これこそが松本流処世術の真髄であり、
おそらく料理はそのうちの ごく一部にすぎない。
まちがったほうがおもしろい、
うまくいかなくても心配ない、など、
わたしの琴線にふれる大雑把な美意識に、
松本氏の「余計なものを過剰にくわえる」をあらたに くわえたい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

タンスを部屋からおっぱらう方法は?

ジブリの宮ア駿さんは、わかいころからシトロエン2CVにのっている。
『カリオストロの城』で クラリスが伯爵からにげるときにつかった
フランス製の自動車だ。
子どもを保育園におくりむかえするのに 自動車が必要となり、
でも自動車らしい自動車に関心のなかった宮アさんは、
映画にでてきたシトロエンが よたよたとはしる姿に、
これだったら自動車じゃない、と
自動車らしくないところが気にいって えらんだという。

外国の車といっても、シトロエン2CVは
「ブリキのおもちゃ」「みにくいアヒルの子」などの
ありがたくない通称からわかるとおり、
最低限の機能だけをそなえた 庶民向けの大衆車だ。
宮アさんが手にいれたのは 中古のシトロエンで、
ろくに坂道をのぼらないような
ちからのないポンコツ自動車だった。
すぐにあちこちがいかれ、
いったんこわれると部品が手にはいらないので
なかなか修理がすすまない。
宮アさんは、頭のなかがシトロエン2CVでいっぱいになり、
家族さえいなければ、もっとあいつをかまってやれるのにと、
だんだん本末転倒な意識にかたむいていった。
家族のためにかったはずの自動車なのに、
家族さえいなければ、と悪魔がささやくようになるのだから、
人間の願望は おそろしい一面をひめている。

というはなしをもちだしたのは、
気がよわいわたしの ながいまえふりだ。
わたしの部屋にある配偶者のタンスが邪魔でしょうがなく、
でも あからさまなことはいいにくいので、
わざわざ宮アさんまでひっぱりだした。
わたしは 4畳半のせまい部屋を 書斎としてつかっており、
ただでさえきゅうくつなのに、
ここには配偶者のおおきなタンスも おいてある。
もともとタンスがあった部屋を
わたしが書斎につかいはじめたのだから、
正面きっての文句はいいにくいけど、
書斎とタンスは たいへんに相性がわるい。
機能がちがうこのふたつを おなじ部屋におこうとするのが
そもそも無理なのだ。
もしこのタンスがなければ、本棚を2つならべて
すっきりと機能的な部屋につくりかえられる。
わたしのこの数年は、このタンスさえなければ・・・を
延々とあたまのなかでいじくりまわした年月といってよい。
配置がえをかんがえても、かならずタンスの存在に計画がいきづまる。

そもそも、タンスって、ほんとに必要なものだろうか。
ただ服がしまってあるだけなのに、
なぜタンスは無駄にスペースを主張しつづけるのか。
すべてのタンスが悪におもえてくる。
人間関係において、◯◯さえいなければ、という発想は、
たいてい自分のいたらなさをあらわしている。
タンスにしたって、それがなくなったとしても、
どれだけわたしの生産性がたかまるかは きわめてあやしい。
もちろん、そんなことはわかったうえで ダダをこねているのだ。
あー、タンスがにくたらしい。

タンスを排除するには、いくつかの方法がかんがえられる。
宮アさんのように、◯◯さえいなければ、なんて
だいそれた案までがあたまにうかぶ。
たかだかタンスごときに、
なにもそこまで極端にはしらなくてもよさそうなのに、
あるべき部屋の姿をおもいえがいて モンモンとする。
合理的かつ合法的に、
タンスがわたしの部屋からなくなるシナリオを募集したい。
完全犯罪のように、ぬけぬけと、当然のなりゆきとして、
このタンスをべつの部屋におっぱらう方法はないものか。
わたしには夢がある。
いつの日か、タンスがわたしの部屋からなくなり、
本棚が機能的にならべられた書斎らしい空間を。

posted by カルピス at 23:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

『とにかく散歩いたしましょう』小川洋子さんによる壮大なよみちがえ

『とにかく散歩いたしましょう』(小川洋子・文春文庫)

小川洋子さんのエッセイ集で、愛犬のラブとのくらしや、
本についての話題がおおい。
「本の模様替え」では、いぜんよんだ本をよみかえすと、
まるでちがった印象をもっていたのにおどろくとかいてある。
『走れメロス』は「気の毒なお話」として記憶していたのに、
ところが三十年振りに読み返してみれば、なんと『走れメロス』はハッピーエンドではないか。メロスは死んでなどいなかった。ちゃんと約束の時間に間に合って、親友と二人抱き合ってうれし泣きをしている。それを見た暴君までが改心し、群衆からは「王様万歳」の歓声が上がる。気の毒な気配などどこにも見当たらない。

『異邦人』も、ムルソーがころしたのは、
アラブ人ではなく、恋人のマリイだったと
小川さんは かってによみかえている。
たぶん高校生の私には、殺す必要のない人間を手に掛け、動機を太陽になすりつけるような展開がどうしても腑に落ちず(中略)、分かりやすいストーリーを、自分なりにこしらえたのだろう。

というのが小川さんの分析である。

3冊目に紹介してあるのが『おなかのすくさんぽ』で、
著者はかいていないけれど、これは片山健さんの絵本だ。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/443855365.html
最近よんだ本が こんなところでとりあげられて わたしはうれしくなる。
小川さんの記憶によると、『おなかのすくさんぽ』は、
下記のように ものすごい本らしい。
小さな男の子がクマとライオンに出会って、仲良く一緒に散歩をします。そのうちお腹の空いてきた男の子が、とうとう我慢しきれずに、クマとライオンを食べちゃうんです。すごい絵本です。一度読んだら忘れられません。

よみかえしてみると、
ところが1ページめから早くも雲行きが怪しくなった。クマの姿はあるが、ライオンはいない。代わりにイノシシ、山猫、ネズミ、モグラ、コウモリ、蛙、蛇、と案外大勢登場する。(中略)私はそっと最後のページをめくった。
「おなかが なくから かーえろ」
動物たちは森に、男の子はお家に、彼らはさよならも言わずにお別れしていた。
それでおしまいだった。

べつの章では、
夏目漱石の『こころ』が話題に上がった時、一世代下の若い友人が、「ああ、あの散歩ばかりしている小説ね」と見事に一言で言い切った。

というのがおかしかった。
たしかに漱石の小説は、散歩ばかりしている印象がある。
ここから小川さんは
「もし散歩文学というジャンルがあるなら」
と、ほかの小説にでてくる散歩の場面におもいをはせる。
「散歩小説」の発見である。
貧乏小説や結核小説があるように、
散歩がものがたりの中核をなす小説もある。
それらの本を、これからは「散歩小説」として
あたらしいジャンルにいれてあげよう。
『ノルウェイの森』で主人公と直子さんが体を寄せ合って散歩する、ただそれだけのデートを繰り返す場面も忘れがたい。

斎藤美奈子さんは、妊娠小説として
『ノルウェイの森』をとりあげていた。
『ノルウェイの森』はまた、散歩小説でもあったのだ。
本をよむよろこびのひとつは、このように
だれかと話題を共有し、ふかく共感したり、
おもいがけないよみかたを おしえられるときではないか。
小川さんによる壮大なよみちがえのおかげで、
かえってその本の特徴がうきぼりにされる。
わたしまで まつがったあらすじのまま おぼえてしまいそうだ。

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2017年04月10日

吉田くんがでてくるドコデモFMのCM

おそらく山陰地方だけでながれているとおもうけど、
鷹の爪団の総統が、吉田くんに
転勤をいいわたすCMがある。
「マジっすか!転勤なんかしたら、
いつもきいているFMがきけなくなるじゃないですか」
とあわてる吉田くんに、
スマートフォンアプリのドコデモFMをつかえば、
全国どこでもすきなFMがきける、と総統がおしえ、
吉田くんは安心して転勤をうけいれるというCMだ。

いままでなにげなくこのCMをきいていたけど、
よくかんがえてみれば
東京に秘密基地のある鷹の爪団が、
吉田くんにどこへの転勤をめいじるのだろう。
吉田くんのあわてぶりから 島根ではなさそうだ。
そもそも鷹の爪団に転勤が必要なアジトが
東京以外にあるとはしらなかったし、
転勤して いったいどんな活動を吉田くんがするのかも興味がわく。
鷹の爪団は、意外としっかりした組織だったのかも。
とはいえ、真剣に世界征服をめざすなら、
団員に転勤をめいじて 勢力をひろげるのはあたりまえだ。
もうすこしかんがえてみると、
なにも山陰地方だけにこのCMを限定しなくてもいい。
FMがながれているところならどこでも、
ドコデモFMを必要とするひとがいる。
FMラジオによって勢力をひろげるのは よいアイデアだ。

鷹の爪団がでてくるドコデモFMのCMには
もうひとつべつの版があり、
そこでは総統が吉田くんに
ドコデモFMというアプリがあるかどうかのクイズをだしている。
吉田くんはドコデモFMで島根のFMをきいていたので、
いまさらそんな質問はあたりまえすぎた。
ドコデモFMをダウンロードしてまで、
ほかの地域のFMをきこうとはおもわないけど、
吉田くんのように、ふるさとの番組をなつかしむひとには
ありがたいアプリだろう。
島根でFMといえばFM山陰しかなく、
残念ながらわたしはこのFM局がそんなにすきではないので、
もし転勤をいいわたされたとしても
ドコデモFMを必要とはしないはずだ。
「らじる らじる」でNHK-FMがきけたら それでじゅうぶん用はたりる。
TOKYO FMの『シン鷹の爪団の世界征服ラヂヲ』は、
ドコデモFMにたよらなくても 日本じゅうできけそうだ。
鷹の爪団と吉田くんは、いつのまにかわたしの手をはなれ、
全国区人気へとそだっていたのだ。

posted by カルピス at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 鷹の爪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

『ビア・ボーイ』(吉村喜彦)サントリーの缶ビールがのみたくなる

『ビア・ボーイ』(吉村喜彦・新潮社)

NHK-FMでしたしんできた吉村喜彦さんの
「音楽遊覧飛行〜食と音楽で巡る地球の旅〜」
がおわり、さみしくなった。
番組のかわりに、吉村さんの著作をよんでみる。
『ビア・ボーイ』は、かきおろしの小説で、
酒造会社の宣伝部につとめていたエリート社員が、
地方都市の営業にとばされる場面からはじまる。
吉村さんは以前サントリーにつとめておられ、
この小説は、サントリーのビールをめぐる「実話」のようだ。
ただ、会社の名前はサントリーがスターライト、
キリンがライオンなどへ かえてある。

主人公の上杉は 正義感がつよく、
まがったことのできない男としてえがかれている。
「食と音楽で巡る地球の旅」の吉村さんは、
だじゃれをとばしたがる、かなりかるめのおじさんだ。
上杉とはまるでちがうキャラクターにおもえるけど、
わかいころの吉村さんは 上杉のように
酒と仕事を愛する まっすぐなひとだったのだろう。

サントリーのビール部門は、
これまで瓶ビールをおもな商品として位置づけ、
販売にちからをそそいできたけれど、
キリンなど老舗の壁はあつく、ビールのシェアはなかなかふえない。
社内には派閥がうまれ、社長派は社長がそだてた瓶ビールを、
副社長派は、ビールには将来性がないからと、
いずれもこれまでどおり瓶ビールを支持し、
缶ビールへのきりかえに消極的だ。
上杉は、とばされた広島でちからをつけ、
缶ビールを主力製品とするよう会社にはたらきかける。

いまでこそビールといえば缶ビールだけど、
缶がひろまるまでは 紆余曲折があったのだ。
宣伝がじょうずなサントリーは、
缶ビールにおしゃれな雰囲気をもたせるのに成功した。
そのサントリーにしても、内部であんなゴタゴタがあったとは。
仕事小説としては、あまり気もちをかきたてられなかったけど、
ビールからみたサントリーの内情として 興味ぶかくよめた。
よみおえると、プレミアムモルツをすかさずかった。

ノーテンキな音楽ではじまる
「食と音楽で巡る地球の旅」がなつかしい。
吉村さんの番組を、はやくもまたききたくなった。

posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

おしっこ問題をどうしのぐか

トランプ大統領に抗議する集会がワシントンでおこなわれ、
各地から50万人の女性があつまったと
すこしまえのニュースで紹介されていた。
抗議内容も興味ぶかかったけど、
50万人の女性がせまい場所にあつまったとき、
トイレはどうするのだろうと気になった。
べつに女性でなくても 基本的な問題にかわりはないけど、
女性のほうが なやみはより切実ではないか。
どうやって50万人分もの尿意をしのいだろう。
それぞれが、それぞれの方法で
なんとかまにあわせたのだろうか。
たくさんのひとが一か所にあつまったときくと、
わたしは食糧やトイレをどうしたのかが気にかかる。
大都会は、そもそもたくさんのひとがあつまる場所なので、
交通機関や食事など、集団のうごきに対応できるしくみが
ととのえられているのだろうか。

デイリーポータルZに、「おしっこを我慢する方法」がのっていた。
http://portal.nifty.com/kiji/140109162927_1.htm
古今東西、おしっこを我慢しようと
さまざまな方法がこころみられてきた。

・少量リリース法
・スクワットなど、うごいて気をまぎらせる
・うごかないで我慢する
・おしっこステップ(通称)をふむ
・メンタル面で膀胱をささえる(汗で出すイメージなど)

わたしも歳のせいか、とくに冬になると
きゅうにおしっこがしたくなり まじでくるしむことがある。
デイリーポータルZにあげられた方法は
たいてい わたしもためしていた。
ただ、「少量リリース法」だけはしらなかった。
しらなかった、というよりも、
あまりお世話になりたくない方法だ。
我慢しきれないと思ったら、意図的にほんのほんの少しだけ、漏らします。
じんわり広がるぬくもりは、その温かみに反して「これ以上漏らしたら絶対にダメだ」と、強烈な説得力で語りかけてきます。

ちょっとだけ「リリース」できるか、という問題がおおきいし、
多少とはいえ パンツがぬれる いやなかんじは 味わいたくない。
わたしの経験では、おしっこが我慢できそうにないときに、
うでたてふせを30回ほどすると、
トレーニング脳に意識がきりかわって
おしっこ問題をわすれられる。
スクワットではだめで、うでたてふせにとどめをさす。
なにげなくうでたてふせをする場所は、
どこにでもあるわけではなく、
状況を限定するけど、きわめて効果的な方法である。

野宿野郎の編集長である かとうちあきさんが
女性用立ちショングッズを紹介している。
http://www.a-kimama.com/outdoor/2016/11/60035/
かとうさんの体験では、
ズボンを下ろしてお尻を出した状態で立っているわけで、座ってするときよりもさらに背後が落ち着きません。この点での、安心感は皆無!

なので、グッズがあれば すべて解決、とはならないみたい。
50万人の大集合を組織した委員会が、
おしっこ問題をどのように解決したのかしりたい。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月07日

事務所であたらしいiMacをかう

事業所の事務用パソコンとしてiMacをかった。
ヤマダ電機で10万3800円。
これまでつかっていたiMacが不安定になってきたので、
いかれてしまうまえに あたらしいパソコンと交換するよう
理事長から指示がくだった。

事務所には、5台のパソコンがおかれている。
利用調整をするパソコンが1台、
おもに おたよりをつくるパソコンが1台、
請求事務につかうパソコンが1台。
この3台がiMacで、のこりの2台がウィンドウズだ。
介護事業所で これだけマックがつかわれているところは
あまりないのではないか。
ただ、マックの性能が適切にいかされているかというと そうでもなく、
ひどいいいかたをするなら
「無意味にマック」が わたしの職場の特徴だ。

ファイル共有やプリンター共有すらされてなく、
せっかくファイルメーカーでつくったファイルも、
ネットに公開してないので、
いくらマックが3台あっても つかうのは
用途によって1台ずつにとどまっている。
1台ごとに役割分担しているから、3台も必要なのだ。
さらにいえば、DropboxやEvernoteすらつかわれていないし、
Gmailもとりいれられていない。
それでもマックがいいのだから、
かなりひくいレベルのマック原理主義といえる。
マック原理主義なので、もとめるのはマックだけど、
ネットではなくヤマダ電機へでかけ、現金でかうところが
いかにも意識ひくい系のマックファンだ。

ひくいレベルにとどまっているひとつの原因は、
なんとなくわたしがマック担当になっているからで、
マック歴はながいものの、ただながいだけのわたしには、
事業所のシステムを円滑にまわすだけの能力はない。
あたらしくかったiMacでメールの送受信ができないため、
コピー機などのリースでお世話になっているリコーにきてもらった。
リコーが導入したセキュリティシステムに
メールのなにがしかが邪魔をされているのかとおもったのだ。
原因はセキュリティシステムではなかったそうで、
でもリコーの技術者がためしても
なんでつながらないかわからず、ずいぶんなやまれたすえ、
なんとなく受信できるようになった。

ちまたには
『たった1日で即戦力になるMacの教科書』
http://cyblog.jp/modules/weblogs/27168
という本があるそうで、
わたしの職場でも この本をテキストに勉強会をひらいたら
もうすこしマシなマックつかいがでてくるだろうか。
でも、わたしをはじめとして、
職員たちのパソコンスキルはかなりひくく、
すばらしいテキストの内容が 、すんなりひろがるとはおもえない。
とはいえ、パソコンスキルがひくいのは、
わたしの職場だけの特殊事情ではなく、
きっとどこの事業所だって にたようなものだろう。
おおくのパソコンユーザーは、ものすごく原始的な方法によってのみ
パソコンをあつかっている。
だからこそ このような本がつくられたわけで、
テキストをとりいれて 勉強会をひらけば
パソコンがつかえて当然の著者と、
なんのことやら さっぱりわからないユーザーとの、
興味ぶかい対決がみられるかもしれない。

マックは直感的につかえるとよくいうけれど、
事務処理機としていかすには、
あるていどの知識がなければ もったいないマック利用となる。
事務所におけるマックの謎はふかく、
いまだにプリンターの設定すらおわっていない。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする