2022年09月17日

『世界一簡単なフランス語の本』すぐに「ル・モンド」の社説がよめる

『世界一簡単なフランス語の本』
(中条省平・幻冬社新書)

わたしはわかいころ、かなりの時間とエネルギーを、
フランス語の学習にあてた時期がある。
たくさんの本やカセットをかい、コツコツと勉強をつづけた。
にもかかわらず、フランス語はわたしの手をするりとぬけ、
けっきょくはものにならなかった。

中条さんは、フランス語をものにすることが、
どれだけむつかしいかをよく理解したうえで、
「読めれば、できる」というあたらしいこころみをうちだしている。
本書をおわりまでよめば、フランス語の新聞、
「ル・モンド」の社説でもよめる、
というのが本書のセールスポイントだ。
あくまでも声にだして「よめる」であり、
よめるからといって、意味までもわかるわけではないけど。
そもそも英語のつづりがめちゃくちゃなのであり、
さらにいえば、日本語だって漢字をつかわないでかけば、
ごく初期の学習者でも、よむだけならかんたんにできる。

中条さんは、まずフランス語のアルファベットを
カタカナで「よめる」ようにする。
そのあとで、「コマンタレブー」とか「ジュテーム」とか、
だれでもきいたことのあるフランス語から
文のなりたちを説明する。
むつかしい発音記号なんて、いっさいなし。
日本語にない発音も、堂々とカタカナであらわしてくれる。
ややこしい動詞の活用も、語尾のつづりがどうあれ、
発音はどれもたいていっしょだと 大胆に整理してある。

そして、じっさいのフランス語は「ブー」とか「メルシー」
とかのばさない、ということもしっかりおさえている。
はずかしながら、わたしがしらなかったこともおおく、
この本に目をとおしたことで、
まちがいなくわたしのフランス語は上達した。

「世界一簡単」といっても、フランス語をまったくしらないひとには、
すこしこの本はしきいがたかいかもしれない。
大学の、第二外国語にフランス語をえらび、挫折したひとなどが、
この本のターゲットとなる。
わたしは、みごとにドンピシャの対象者で、
フランス語の勉強は、じつに30年ぶりだった。
そんな初心者もどきのわたしでも、さいごまで目をとおすうちに、
ちゃっかりフランス語のエッセンスを身につけたような気がする。
フランス語学習の再入門書として、本書をつよくおすすめしたい。

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2022年09月15日

ラジオ専用機をポチッとな

日ごろラジオをよくきいている。ほとんどがNHK-FMの番組で、
ききのがしたときには「聴き逃し配信」によくお世話になる。
このまえは、月にいちどの「村上レディオ」をきくために、
30年まえにかった、ふるいラジカセをひっぱりだした。
「村上レディオ」は らじるらじるではきけないし、
ラジコはスマホのバッテリーがのこりわずかで、
ああだこうだするよりも、アナログでいこう、とラジカセにした。
アンテナをのばすと、雑音もなくきれいにはいる。
村上春樹さんによる、「いかがなものか、カバー」をたのしくきいた。

仕事をやめ、家にいる時間がながくなったら、
まるますラジオとのつきあいがながくなるだろうから、
ラジカセとかCDプレーヤーではなく、
ラジオ専用の、いわゆる「ラジオ」があるのも
わるくないかも、とおもいだした。
アマゾンをみると、それこそよりどりみどりだ
(それにしても、なんで よりどりみどり、なんていうのだろう)。
ちいさくて、もちはこびに便利そうなのや、
あるていどおおきくて、でも音がよさそうなの。
災害にそなえてソーラーパネルがついていたり、
スマホの充電ができるものもある。
それぞれほしくなるポイントをもっており、
いじらしいし、いとおしくなる。
5000円もだせば、質のよいラジオが手にはいるようだ。
画面をみているうちに だんだんと、ほんとにほしくなってきた。
中国製のラジオを3000円ほどでかう。

災害時には、懐中電灯としてもつかえるし、
太陽光での充電にも対応している。
期待してなかったBluetooth機能もついている。
乾電池(単一)もつかえるので、これまた災害のときはこころづよい。
音もそこそこなので、Bluetoothのスピーカーをかうよりも、
このラジオをもっていたほうがおとくな気がする。
いかにも昭和っぽいデザインで、ツマミをひねってチューニングする。
ただ、イヤホンがつかえないので、
体育館などの、シビアな避難先での滞在をかんがえると、
じっさいにはつかいにくいのかもしれない。
とにかく、CDやカセットの付属機能ではなく、
ラジオ専用の道具を手にいれたことがうれしい。

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2022年09月14日

のどもとをすぎると、なんであんなに感染を心配していたのか不思議におもえてきた

仕事のあと、6キロコースをはしる。
日課だった「みんなで筋肉体操」のうでたてふせも、
コロナに感染するまえと、おなじくらいの回数ができるまで回復した。
のどもとすぎればなんとかで、
コロナにくるしんでるときは重病人の気分だったのに、
いったんなおってしまえば、
それほどおそれる病気ではないようにおもえてきた。
インフルエンザには、タミフルなどの特効薬があり、
かかったとしても、それほどくるしまなずにすむ。
コロナには、まだ専用の薬がないけど、
解熱剤で熱がさがるので、実感としては、
インフルエンザよりかるい症状だったといえる。
コロナに感染するのを、なんであんなにおそれていたのか、
いまとなっては不思議におもえてきた。

いったんコロナに感染すれば、あるいは濃厚接触がうたがわれれば、
なんにちも自宅にこもならければならないし、
感染がひろがらないよう、たくさんの労力とお金をつぎこんで、
消毒とソーシャルディスタンスに気をくばり、
お店にはついたてをはりめぐらかし、
競技場では声援を禁止して、マスクをつけたうえで、
拍手だけの応援をおくる。
いつまでこんなことをつづけるのか。
いぜんはともかくとして、おミクロン株になってからのコロナは、
そんなにビビりまくらなくても、共存できる病気なのではないか。

posted by カルピス at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月13日

61年生まれの61歳

きょうたまたま気づいたのだけど、
わたしは1961年生まれで、61歳だ。
生まれた年の西暦と、いまの年齢がおなじ。
これは、なにを意味するのだろう。
なにか特殊な法則があるのだろうか。
あるいは、だれでもいちどは生まれた年の西暦と、
おなじ歳をむかえるのだろうか。

わたしの母は1931年生まれなので、
31歳のときは1962年だから、
かなりはやい段階で、生まれた西暦の歳をむかえたことになる。
わたしのむすこは1997年生まれなので、
97歳まで生きないといけない。かなりハードルがたかく、
だれもがかんたんに西暦の誕生年をむかえられるとはいえなくなる。

2002年生まれのひとは、2歳で誕生西暦をむかえてしまうので、
あまりありがたみがない。
いったい、生まれた年の西暦と、
おなじ数の歳をむかえるということは、
どんな秘密がかくされているのだろう。

posted by カルピス at 20:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月11日

新型コロナウイルスに感染してしまった

新型コロナウイルスに感染してしまった。
2020年の1月に、中国での感染が
すこしずつ話題にのぼるようになり、
それ以来、なんどかの波にさらされながらも、
なんとかこれまでにげつづけてきたのに、
2年9ヶ月で、とうとうつかまってしまった。

先週の金曜日の夜(9月2日)、すこしノドに違和感がある。
カゼによくある症状だったので、気にせずにいたら、
おきてみるとあきらかになにかようすがおかしい。
熱は37.1度とひくいものの、すぐにコロナへの感染をうたがった。
かかりつけ医である近所の病院へゆくと、
病院内にははいれないので、地域検査センターで
まずPCR検査をうけるようにいわれる。
家にもどり、病院からの連絡をまつ。
病院のなかで延々とまたされるのではなく、
電話でのやりとりなので からだは楽だ。
しばらくまっていると、病院からの連絡があり、
地域センターでの受付番号と時間をしらされる。
地域センターは、家から車で5分ほどのところにあり、
ドライブスルー方式でPCR検査をうける。
2時間後に病院から結果をしらせる連絡があった。
予想どおり、陽性だった。

それでも熱は37.5度とまだひくく、
夜はJリーグ「フロンターレ対ベルマーレ」を、
前・後半ともぜんぶみるほど元気があった。
終了間際にベルマーレが勝ち越し点をきめ、
がっかりしてテレビのスイッチをきる。
おもえば、まだのんきなコロナ初日だった。

コロナの陽性について、まわりにいくらでも対象者がいるのに、
ではどんな症状になるのかについて、わたしはなにもしらなかった。
インフルエンザみたいにくるしむのだろうか。
かるい症状のまま、やるすごせるとありがたいけど。

けっかてきには、熱は2日目に38.6度まであがったものの、
3日目には37度台までさがり、そのままにどと
38度以上にあがることはなかった。
では、ぜんぜんらくだったかというと そうではない。
客観的には軽症なのだろうけど、
個人的な気もちをいえば、しっかりと生死のさかいをさまよった。
熱がこのまま39度や40度にあがったらどうなるのだろう。
保健所に連絡したところで、お医者さんにみてもらえそうにはない。
とおくで救急車のサイレンがきこえると、
あれはおれみたいな感染者が病院をたらいまわしになっているのでは、
なんておもった。

3日目に熱はさがったものの、ノドがはれて食事がとりにくい。
リンゴジュースでも、そのままではこゆすぎてとうけつけないので、
1/3にうすめたものがわたしにはちょうどよかった。
リンゴジュースでノドをいたわっておいてから、
おかゆやトーフをなんとかたべる。
4日目の午後になると、きゅうにからだがらくになり、
病気の峠をこえたのを実感した。
とはいえ、たった3日ねこんだだけなのに、
すっかりやせてしまい、鏡をみると、別人のようだった。

自宅での療養期間は、はじめ10日間といわれていたけど、
9月6日くらいに政府の発表があり、7日間とみじかくなった。
わたしには、ちょうどありがたい時期の変更で、
10日間だと来週の月曜日もやすみだったところを、
7日間になったことで、9月9日に7日目をむかえる。
県のフォローアップセンターから連絡があり、
「きょうが自宅療養の最終日です」とつたえられた。

自宅待機期間がみじかくなったのは、ひとにうつす可能性が、
7日間でじゅうぶんさがるから、というよりも、
経済をまわすための対応だ。
8日たってもまだひとにうつす可能性はまだなくなったわけではない。
仕事にはでられるけど、用心しながら、という状況はかわらない。
わたしは7日になったことですっかり安心してしまい、
家族といっしょに食事をとるようになったけど、
ほんとうは、10日までは、用心をつづけたほうがいいようだ。
さいわい、同居する家族2人への感染はなく、
なんとかはじめてのコロナをのりきることができた。

posted by カルピス at 17:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月06日

コーヒー豆を焙煎する

職場に小型の焙煎機がはいり、
自家焙煎のコーヒー豆をあつかうようになった。
まえは、おおきな機械しかなくて、
ちいさな喫茶店や、個人には手がでなかったけど、
いまでは20万円ほどでりっぱな焙煎機がかえる。
その影響なのだろう、このごろは町でよく
自家焙煎の喫茶店をみかけるようになった。
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職場で参考にしているのが
『ホーム・コーヒー・ロースティング
(お家ではじめる自家焙煎珈琲)』
(嶋中労・旦部幸博/集英社インターナショナル)という本で、
日本における焙煎の歴史がくわしくかかれている。
この本によると、焙煎は、
なにも立派な機械がなければできないわけではなく、
フライパンや金網のザルでもおいしい豆にしあげられるようだ。
少量をあつかう場合には、機械のかわり、というよりも、
むしろフライパンやザルのほうが焙煎の王道かも、
ととらえることもできそうだ。
1キロ2000円ほどの豆(エチオピア産)をネットでえらび、
じっさいに家で焙煎してみる。
送料や振込手数料などで、200グラム800円ほどの単価になる。
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あつでの鍋をつかい、火かげんはつよ火と中火のまんなかくらい。
しゃもじでかきまぜながらいっていると、
20分ほどで豆がはじける音がしてくる。これを1ハゼというらしく、
そのあといりつづけるうちに、2どめのはぜる音がしだす。
これが2ハゼで、いつまでもはじける音がつづくので、
ついそのままいっていたら、豆がまっ黒になってしまった。
あきらかにいりすぎで、のめないほどではないけど、
かなりの「ふかいり」になってしまった。
でもまあ、そうした失敗をしても、
自分で豆をいるのはたしかにたのしい。
これでコツがわかったので、つぎからはまともな焙煎ができるだろう。
これまでは抽出こそコーヒーの肝だとおもっていたけど、
『ホーム・コーヒー・ロースティング 』によると、
コーヒーのおいしさは、ほとんど焙煎できまるそうだ。

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2022年07月22日

『PLAN75』老後って、あんなにくらいだけなの?

『PLAN75』(早川千絵:監督・2022年・日本)

75歳以上のひとは、自分で死をえらべる、
というちかい将来の日本が舞台になっている。
歳をとり、くらしがたいへんになった老人のなかには、
一時金の10万円をうけとり、死ぬまえにほんのすこしたのしめたら、
この世とおわかれするのもわるくないか、というひともでてくる。

医療費や介護費のやりくりになやむ行政にとって、
財政的には一理あるかんがえ方なんだろうけど、
倫理的な点からも、問題にみちた制度にみえる。
それにしても、高齢期をむかえるのは、
こんなに悲惨なことなのだろうか。
つらい日々をすごしているひともいるだろうけど、
老後をたのしんでいるひとだってすくなからずいるはずだ。
作品では、おいのみじめな面ばかりがえがかれるので、
みおえたあと、くらい気もちになった。
お金があれば、「PLAN75」なんかに
もうしこまなくてもよさそうだし、
年金がすくなくても、あるだけのお金で
それなりにくらしていけばいいのに、におもう。

主演の倍賞千恵子さんは78歳という設定で(実年齢は81歳)、
寅さんのさくらでしられるあのきれいな倍賞さんが、
歳をとるとあんなにも「老人」になるのか、とショックをうける。
ホテルの清掃スタッフとしてはたらく場面が冒頭にあり、
倍賞さんのあまりにも歳おいた表情が衝撃的だった。

わたしは漠然と75歳くらいまで生きられたらいい、と
おもっているし、ひとにもはなしてきた。
映画をみたあと、いみじくも、
自分が75歳で線をひいていたことをおもいだした。
なんで75かというと、年金をうけとれる 65まではたらいて、
そのあと10年ゆっくり老後をたのしめたら、
そろそろ死んでもくいはないだろう、くらいな計算だ。
75歳という年齢が、映画みたいにくらいだけとはおもいたくない。

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2022年07月09日

子ネコをみつける

1週間まえに、3匹目となる子ネコがわがやにきた。
ジョギングのとちゅうで、ないている子ネコに気づき、
なんにちかかよってごはんをあげる。
気温がたかい時期だったので、そとでの生活は心配だ。
でも、こわがってちかづかせてくれないので、
ネコにくわしいしりあいにたすけをもとめた。
そのひとは、たった1回でつかまえることに成功する。
ケージをかりて、子ネコを家につれてかえった。
はじめはにげていたけど、すぐにひとになれ、
さわらせてくれるようになった。
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まえから家にいた2匹のネコ(4歳と2歳のオス)は、
しんいりの子ネコとなかよくするつもりはないようで、
ちかづくと シャーっとこわい声をあげる。
ココ(4歳)は、1週間のうちになれて、
顔をくっつけてもおこらなくなったけど、
プリン(2歳)はいまでもはなれたままだ。
自分のほうがずっとからだはおおきいのに、
こわがってにげまわり、だんだんげんきがなくなってしまった。
家じゅうを子ネコが占領してるようなもので、
プリンは2階においやられてしまった。
トイレもごはんもいまでは2階ですませている。
それまでのプリンは、いつもひとこいしいタイプで、
ひとのあとをおいかけていたのに、
このごろはかくれていることがおおく、姿を目にしない。
子ネコをたすけ、家にむかえたことで、
プリンのいごこちをわるくしたかたちとなり、
ネコ社会のむつかしさをおしえられることとなった。
子ネコの出現により、すっかりメンタリティーかわったプリンに、
せいいっぱいのことばをかける日がつづいている。

posted by カルピス at 21:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月24日

民族学博物館(みんぱく)へ

親戚の結婚式にまねかれ、ほぼ10年ぶりに大阪へでかけた。
JRのやくも号(松江から岡山まで)はゆれがひどく、
よってしまうので いつものようにバスをつかう。
松江から4時間で千里ニュータウンにつく。
終点の梅田ではなく、千里ニュータウンにしたのは、
ひさしぶりの大阪だから、「みんぱく」へいきたかったからだ。
国立民族学博物館、通称みんぱくへは、
もうなんどもいったことがあるけど、
わたしが大阪でいきたいところは「みんぱく」くらいしかない。
ここは、世界中の民族にかんする研究・展示をしている機関で、
わたしにさまざまな影響をあたえてくれた
梅棹忠夫さんが初代館長をつとめられた。

みんぱくについたのが4時まえだったので、
閉館の5時まで2時間ほどしかない。
いそぎ足でまわれば、2時間でもそこそこみられるだろう、
とおもっていたけど、2時間はやはりみじかすぎた。
南アジアとかヨーロッパとか、地域を紹介する展示だけではなく、
言語・音楽など、民族の文化にかんすることを
ひろくあつかっており、2時間ではどうにもならない。
映像をつかった展示が以前よりふえており、
いろいろいじっていると、すぐに時間がすぎてしまう。
さいごはかけあしでまわり、それでも
日本についての展示は あきらめなければならなかった。

こんかい目をひいたのは、人肉をたべるときに、
フィジー諸島でつかわれていたというフォークだ。
手づかみでたべるのかとおもっていたのに、
ちゃんと道具をつかっていたのだ。
しかも、かなりややこしいつくりの。
手で直接たべると、死者の霊がこわい、というのが理由らしい。
たべたいけど、こわい。こわいけど、たべたい、という
複雑な心理がおもしろい。
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みんぱくにいたる小道には、雑草がげんきよくそだっていた。
博物館がほんとに営業しているのか、心配になるようなあれかただ。
アンコールワットみたいな、自然のなかにうもれゆくうつくしさ、
という味のあるものではなく、ただ手をぬいて、
雑草をそのままにしているだけ、という印象をうける。
維持・管理にかかる予算がけずられているのだろうか。
博物館のなかにはいると、さまざまな道具や衣装が、
これでもかとゴージャスに、お金をかけて展示されており、
すたれゆく施設のにおいはしない。
いりぐちの雑草は、なぜあそこまでほっておかれているのだろう。

posted by カルピス at 18:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月16日

チュニジア戦での完敗

6月に4試合の代表戦が日本でおこなわれた。
パラグアイ・ブラジル・ガーナ・チュニジアとの4連戦で、
はじめの2試合はキリンチャレンジカップとして、
あとの2試合はキリンカップとして、いずれもなか3日の日程だった。
なか3日は、Wカップのグループリーグを想定したもので、
きびしい日程を体験するのがひとつの目的でもあったようだ。

この4カ国のなかで、パラグアイとガーナ戦は日本がかったものの、
相手の不出来にたすけられた形で、いまひとつものたりなかった。
2試合目のブラジル戦では、まともにサッカーをさせてもらえなかった。
あるていど予想されたことで、PKによる1失点におさえたことは、
善戦したといえるかもしれない。
それにしても、この試合では枠内にシュートがとんでおらず、
Wカップ本番であたるドイツとスペインとの試合をおもうと、
かち点1をとるのもむつかしい現実をおもいしらされた。

そして4試合目のチュニジア戦。
日本はボールをもち、シュートまではこぎつけるものの、
枠内シュートがゼロで、決定機をきめきれない。
三苫と伊東によるサイドからの突破が通用せず、
クロスをあげてもあぶなげなくしのがれてしまう。
かといって、中央から突破する連携もなく、
せめあぐねるうちに、3点をつみあげられてしまった。
3失点は、いずれもキャブテンの吉田がからむもので、
4連戦のつかれがたまっていたのだろうか、
この日の吉田はまったくいいところがなかった。

グループリーグの4カ国目は、コスタリカにきまった。
ベスト16にのころうとするには、
ドイツ・スペインには、なんとか かち点1でしのぐとして、
コスタリカ戦での勝利がどうしても必要となる。
コスタリカだってそうおもっているわけで、
らくな試合はひとつもないのが日本のおかれている状況だ。
3試合、いずれの試合もちからをぬくわけにはいかず、
かといって、おなじメンバーを3試合ともならべると、
よいコンディションをたもてない。

ワールドカップまえになると、バタバタした試合を披露し、
いつもファンを心配させる日本代表だけど、
こんかいほど八方ふさがりなのは はじめてではないか。
ほしいのは、絶対的なエースストライカーと、
精神的な支柱となるディフェンダーだ。
どこの国だってそうだろうけど。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする